MYITTAの工房

日々のくらしや手作り、ときどきミャンマー

カテゴリ: ミャンマー生活

まだあまり知られていないミャンマーの文化財について紹介したいと思い立ったのが、このブログを始めたきっかけでした。 時々ミャンマーの主人の実家にも行っていましたが、ミャンマーに転勤した際に知った現地情報についても書いています。

◆◆◆ミャンマーいろいろのカテゴリ
  ◇ミャンマーの工芸品:伝統工芸や布、漆の漆器、ロンジ―など
  ◇ミャンマーの布
:大好きな伝統模様の布やハンドメイドについて
  ◇ミャンマーの文化財建造物
:古い遺跡めぐり
  ◇ミャンマーへの旅:主人の実家やおみやげ、ミャンマーでの体験など
  ◇ミャンマー生活:現地のくらしいろいろ
  ◇子供と犬と一緒にミャンマー転勤:学校探しや犬の引っ越し手続き、住宅事情etc...
  ◇くらしの中の伝統美:ミャンマーのくらしに根付く伝統文化etc.

◆◆◆語学学習:英語や日本語の学習、子供と言語について思うこと。

◆◆◆仕事と子育て:ほぼ子育てについて。人生100年時代のライフワークバランスについても書いて行ければ!

◆◆◆旅の思い出:仕事や旅行の備忘録


◆◆◆つれづれに:日々の日記

◆◆◆庭と手作り
  ガーデニング:庭のこと
  ハンドメイド手作りのこと



Myitta.rogo



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かつてのビルマシルクの情報を教えてくれるお気に入りの本があります。

1901年にビルマ政府から発行された英語の本です。著者はJ.P.Hardimanという方です。

当時のビルマでのシルク産業についてまとめられていて、カイコの育成から糸の作り方、機織り機の様子、代表的な装飾紋様、値段などが紹介されています。

ところどころ、水彩画のような絵があるのですが、これがとても味があります。

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代表的な織紋様も描かれています。

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この本はハードカバーですが、恐らく最版か、ミャンマーによくあるコピー製本版だと思います。

でも古き良き時代の雰囲気に癒される一冊となっていて、まだ熟読は出来ていませんが、時折手にとり楽しんでいます。



(ミャンマーには電車はない!というブログを目撃し、「車両」になおしました)

昨年、帰国する前にヤンゴンの環状線に乗ってみたときの写真が出てきました。なんと、記念に乗ってみた電車が新潟製の日本の電車の車両だったのです。
記憶が薄れてしまう前にご紹介します。

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ヤンゴンの市街地をかこむように走るローカル線、実はミャンマー人の主人も一度も乗ったことがないというのです。

車通勤の渋滞の酷さを考えると、時間帯によっては使えるかも、とウワサしていたのですが、結局、ヤンゴン在住中は乗らずに過ごしてしまったので、帰国前に一度乗ってみることにしたのでした。

自宅最寄の小さな駅に行ってみると、案の定、ミャンマー語の看板しかありません。

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小さな駅舎で紙の切符を購入します。一応、大人用、子供用と分かれていました。

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駅で待っていると、やってきたのは緑色に塗られたザ・鉄製!というかんじの車両。

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この車両はどこ製だかわかりませんでしたが、ドアもなく、走行中もオープンな感じでした。雨季はどうなるのでしょう。
中は夕方のマーケットに向けた荷物をたくさん抱えた行商の方が多いようでした。この日は週末だったので、比較的空いていた様子。

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で、帰りの車両がこちら。やってきたのは何やら見覚えのあるような丸みを帯びたフォルム。そう、これが日本の電車の車両だったのです。

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中も、昔懐かしい日本風!ただ、やはりドアは開けたままでした。

壁には、日本語で津波がきた場合の注意などが貼ってありました。
その上のほうの古めかしいプレートをよく見てみると、『新潟鐡工 昭和54年』の文字が!なんだか、この文字を見たら、ふつふつと感動がこみ上げてきたことをよく覚えています。
私が子供だった頃の日本の電車が、今のヤンゴンで活躍してるんだー!と。

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途中の駅では、日本人らしき5人位の団体が一駅だけ乗車して、また降りてゆきました。海外で活躍する懐かしい日本の電車を見に来られた鉄道ファンの方々だったのかもしれません。
私は全く鉄道に詳しくありませんが、ちょうど日本製の車両に遭遇できて本当にラッキーでした!

近年は日本の援助などによりこの路線の近代化計画が進められているように聞いているので、次に行ったときは景色がだいぶ変わっているかもしれません。

7歳の娘が通うヤンゴンの英系インターは、生徒の増加でクラスも増え、クラスメイトも半分くらい新しいメンバーで8月からの新学年がスタートしました。この勢いは、ミャンマーに流入する外国企業の勢いをそのまま反映していて、子供たちは本当に多国籍。

それにしても、生徒が増えているわりに、お迎えのときに見かけるママ達が減っている・・・?と思たら、仕事を始めたママ達が多いよう。学校の送迎バス組が増えているのです。

お勤め、NPOやボランティアのほか、医師、そしておシャレなベトナムレストランやケーキ屋を起業したママなど、実にバラエティーに富んでいます。外国人にとって決して仕事がしやすい環境ではない中、外国人ママ達のこの勢いもヤンゴンの急成長の波を反映しているかのよう。ある意味、チャレンジ精神があるからこそ、ミャンマーに来てみようと思った人たちなのかもしれません。

そして、ママ達の英語力もハイレベルです。学校内は当然ながら全て英語なので、雑談や事務連絡は日本語もOKだった日本のインターとは違ってなかなか気が抜けません。

7歳でもときどき難しい宿題があり、私が英文の意図するところが理解できない場合も出てきました。小学校の後半になると、英語ネイティヴでない親が宿題をみてあげるのは難しいと聞いたことを思い出しました。

多国籍な中には東南アジア勢も多いのですが、親たち自身も英語で学ぶ学校出身で、日常的に英語環境で育ったり、バイリンガルが多いのです。彼らの話をきいていると、一世代以上前から英語教育の選択肢が日本よりも大きかったためではないかと感じます。

例えば多民族が当たり前に暮らすマレーシアでは、中国語で学ぶ学校、マレー語で学ぶ学校、英語で学ぶ学校があるのだそう。

こういった多様性の中で育てば、ことさらグローバルだの目標にしなくても、自然と多様な価値観の中で生き抜く力が身につくなあ、と親の方も学んでおります。












裁縫道具を売る店も多いと聞いて、ダウンタウンのテインジーゼーに行きましたが、日曜日はちょうど祝日で、ほとんどの店が閉まっていて、ほんとに残念!

それでも数件のミシン屋さんや裁縫道具屋さんが空いていたので暑い中ぶらぶらしてみました。

ミシン屋さんには工業用ミシン屋や、古〜いシンガーミシンなども現役用に売ってます。日本なら骨董品ですね。そういえば、メティラーの実家にも骨董級のミシンが現役であります。

この日の目的は、お手頃な裁縫グッズを調達して、オリジナル携帯裁縫セットをつくること。それにしても、一つ一つが、安い。ボージョーゼーの裁縫屋さんともだいぶ違います。テープメジャーが100チャット、カラー糸セットが12色で700チャット、とかです。もちろん沢山買い込みました。

その後、適当なケースを探してパンソーダンのハンドメイドミャンマー土産屋さんへ。こちらは最近発見した、なかなか気の利いたお店です。

戦利品はモノトーンの千鳥格子がなかなかおしゃれな編みカゴのバッグとスクエアのミニポシェット、漆器のトレーなど。

このポシェットに裁縫セットをつめて、今度の帰国時に、裁縫好きへのお土産にする計画です。

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先月デング熱にかかった際、先生からこちらの蚊除けのほうが効果があると教えていただき、スプレーやクリームをいろいろ試してみました。実はそれまで、薬類はほぼ日本から持参したものを使っていたのです。

容器に表示されている虫除け成分のDEET濃度をみると、確かに日本から持参した虫除けスプレーがDEET6%とか8%程度なのに対し、ミャンマーで売られている虫除けは、スプレーでもDEER12%が主流のようです。日本で定められた市販の製剤は12%までとのことなので、一応安全な範囲内なのだと思います。

もともと、虫除けや日焼け止めなど肌に何かをつけるとベタベタした感じになるのが苦手で、匂いが強いのもイマイチでした。

そんな私が、使用感や爽やかな香りで気に入ったのが写真の3種類です。

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左のはミャンマー製スプレータイプで、微かな香りとサラッとしたつけ心地。DEET12.5%、80mlで1000チャットもしません。クリームタイプもあります。

右2つはタイ製のクリームタイプで、真ん中のほうは柔らかなカモミールの香りの敏感肌用。右側のものはラベンダーの香りですが、石鹸のような軽い香りです。クリームタイプにしてはノビが良くて、カバー力があるのに全くベタベタしません。スプレータイプもありますが、気のせいか、クリームのほうが香りがマイルドで、肌のサラサラ感、長持ち感も良好です。

蚊が多い我が家のキッチンでも、全く蚊に刺されなくなり、クリームのほうは半日くらい効果がある印象です。

安くて効果があってつけ心地がいいので、虫除けをつけるのが嫌ではなくなりました。これからは夏に日本に帰るときも必携になりそうです。




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このあいだの休日、久しぶりに家族でシュエダゴンパコダに行きました。娘の楽しみはもちろん参道の階段脇にあるおもちゃ屋さんです。実は私も、ですが。

いつも探してしまうのは、お気に入りのミャンマーおもちゃ、サクゥヨウ(訳して紙製の人形?)です。張り子の動物たちは、一つ一つ表情が違っていて、ほんとにかわいいのです。

お土産にもいいので、買ってもすぐにあげてしまったりして、しょっ中買い足しています。

小さいほうは一つ500チャットだったので、ついつい複数購入。

外国人向けのおしゃれなお土産屋さんだと、もっと小さいのが3000チャットとかで売られているから、やっぱりここはお買い得!

木と牛の皮でできた太鼓のおもちゃ、馬車のおもちゃなど合計しても6000チャット!!

ちなみに、大きい牛&キリンは以前バゴーの縁日で買いましたが、娘が座って遊べるくらい大きいのに5000チャットくらいでした。




8月以来、家族が何かと体調を崩して免疫力低めな我が家。今月の私のデング熱は極めつけでしたが、先週は娘も発熱と嘔吐。幸い、血液検査でデング熱は陰性でした。

そんな我が家が何度もお世話になっているのは、インヤーレイクホテルにあるインターナショナルSOSの日本人女性医師です。

外国で病気というのは不安なものですが、とりわけ子供の場合は、やっぱり日本語で、しかも優しくて元気な女性の先生に診てもらえるのは安心です。

実はこの方、うちの娘の学校のお友達のママなので、これ以上ない安心感なのです。

日本の医療の基準に基づきつつ、こちらに多い病気に関しては現地の医師の経験的判断を大切にされているそう。

もともと外国人がよく利用する24時間営業のインターナショナルSOSですが、予約の際に日本人医師を指名できます(毎日平日の10時から2時まで)。

デング熱は二日おきに血液検査が必要だったので(血小板の減少が著しい場合などは毎日の血液検査が必要だそう)、SOSに行き慣れてきた我が家では、検査結果の待ち時間などは、受付に一声かけてからホテルのカフェでお茶したりして、快適な病院通いでした。










ネットで見つけたニュース、『意外や意外 「女性社長比率」で青森県が全国トップのナゼ』の内容が、なんだかミャンマーにあてはまる!と思ってしまいました。

日本で女性社長が多いのが、1位青森、2位沖縄と、意外にも日本の南北端に位置する地域だとわかったのだそうですが、帝国データバンクの方による、その理由の分析がなるほど…

青森は男性の平均寿命が国内で最も短く、社長が亡くなると奥さんが会社を継ぐケースが多いのだそう。

一方の沖縄は、温かくてのんびりしているので、男性が仕事を辞めてしまいやすく、その分女性が支えるべくしっかりしているとのこと。

これは、、、まさにミャンマーと同じでは!

ミャンマーも女性の社会進出がなかなか進んでいますが、それは女性のほうがしっかりしていたり、家族経営が多いからという面があります。家庭内に人出が多くて、家事雑用を手伝ってもらいやすいという環境も大きいと思いますが。

これは逆に、社長になりたい都会の女性が注目すべき選択肢かもしれません。



意外や意外 「女性社長比率」で青森県が全国トップのナゼ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151023-00000020-nkgendai-life





先月、ニューヨークに住む義姉が休暇でミャンマーに来ていました。
我が家にも数泊していったのですが、私の家にあるさまざまなモノが気に入って、
ニューヨークの友人へのお土産に自分も購入したいと目を輝かせていました。
もとはヤンゴン大出身ですが、すでに日本とアメリカでの生活が長くて既にアメリカンパスポート所有のお義姉さんは、最近のヤンゴンはぜんぜんわからなくなり、外国人のようなのだそうです。

そんなお義姉さん目線の、ニューヨークの友人に喜ばれそうなミャンマーギフトをご紹介。

.チンあたりのデザインの赤いコットン製テキスタイル。私がボージョーマーケットで2万チャットで購入したもので、ミャンマー人にとってお買い得なのかは不明ですが、お義姉さん「それなら安い!帰る前に何枚か買いたい!」とのこと。しかし結局時間がなくて、うちのものを持って行きました。

▲潺礇鵐沺璽魁璽辧次2罎家で飲んだコーヒーを気に入ってくれたので、お土産用にスーパーで何種類か購入しときました。ミャンマーコーヒーも、いくつかのメーカーがあり好みが分かれますが、コットンの巾着袋に入ったお土産タイプのものが気に入り、たくさん持参。

J厂未竹で編んだゴザ、もう片面がスエードでできた座布団。曰く、「暑い時にはゴザ側、寒いときにはスエード側を使えるスグレモノ!しかもコンパクトで軽い!」と大興奮でガンダマーホールセールにて複数購入も・・・最終的にはニューヨークに持参する荷物に入らず、後で送ることに。

ぁPASHMINA」のストール。スーパーでも4、5000チャット程度から売られているもの。なかなかステキな手触りとデザインだけれど、本当のパシュミナならこの値段はありえないのでは・・・?と警告したものの、ニューヨークは寒いしとか言いつつ、お土産にお手頃なのでたくさん購入していきました。

セ表の入った可愛いスウェード調サンダル。ガンダマーホールセールで3〜4000チャットくらい。私がお土産用に買って忘れていたものを家で見つけて、ほとんど同じデザインのを購入していきました。確かに、スエード調サンダルって、外国ではないかも。しかも、刺繍まで入ってこのお値段。女子に人気なこと請け合い!

Japan Storeで売っている寿司マグネット。これはミャンマーのじゃないから!でもおまけでお土産に持たせてみたら・・・・。何とニューヨーカーに大ウケだったらしく、後から電話で追加発注の依頼がありました。日本土産を、ミャンマー人が、ニューヨークの友人に!?という意外な結末に。

というわけで、これらは日本人にも人気のアイテムばかり。
私も次回リピートしちゃいそうです。

先日、家を引っ越したり、新しい環境で忙しく免疫が下がっていたのでしょうか、とうとう初めてデング熱に罹ってしまいました。熱帯の洗礼というべきか・・・、噂には聞いていたけれど、まさか自分が!罹って初めて知ったデング熱の基礎知識を経過とともにご紹介。

1日目:その日、朝早くから日帰りでタイに行きましたが、今思えば足を蚊に刺されたところがとても腫れ上がって、これはいやーな予感と思ったのです。ただ、潜伏期間が数日から1週間あるということなので、この時刺されたのが原因ではなさそうです。午後から、腹痛と下痢があり、何度かトイレに行くも、バンコクのショッピングセンターの冷房が強すぎるせいかと気にせず。夜、ヤンゴンの自宅に戻ってから、悪寒を感じて、発熱の予感がし、体温をはかるとこのとき37.0度。すぐに寝る。

2日目:体が重くて熱を測ると38.3度。やはり熱が出たかと思いつつ、最近の溜まった疲れが出た程度に思い、パナドール(熱冷まし)を飲んでそのまま寝て過ごす。下痢はないが、全身だるくて関節が痛く、立ち上がると気持ち悪くてトイレも大変な状況。それにしても、普通のこの程度の熱のときよりも体が重くて関節が痛む。

3日目:この日も38度第半ばから39度代前半の熱が続き、パナドールを飲むが、気分は40度くらいありそうなくらいにだるく、痛くて気持ち悪い。午後、ようやくこれはおかしいと気づき、知人の医師にメールで問い合わせ。初日が下痢のスタートであったことから、細菌性の下痢に由来する熱に効く抗生剤を勧められ、家族に薬局で購入してもらい、飲む。ミャンマーでは抗生剤がスーパーの薬局で買えるらしい。夜、薬が効いたか、熱が下がり始め、37度代後半に。

4日目:熱は37度代に下がったが、依然として体が重く、全身の関節が痛くてトイレ以外には起き上がれず。熱がないのにこの状況なので、知人医師に一旦抗生剤をやめて来院するようすすめられる。あるいはインフルエンザかデング熱かと疑う。デング熱にしては発疹がないのだが、出ないタイプの人もいるのだそう。

5日目:やはり熱は37度代も、症状は同じ。病院で血液検査をしたところ、白血球と血小板の減少が確認され、デング熱陽性と判明。つける薬はなく、血小板が下がりすぎないかの確認をしながら時間がたつのを待つしかないと知らされる。普通は毎日血小板の検査をするらしいが、来院が大変なので2日後に再予約して帰る。ちなみに血小板が急減の場合には、ミャンマーでは輸血機能が不十分なので、タイのバンコクの病院に搬送手続きとなるそう。

6日目:熱37度代、症状は同じ。

7日目:症状は同じだが、手に赤い発疹が出はじめる。病院にて血液検査、血小板は減少傾向にあるが、急ではないのでこのまま様子見になる。発疹は回復傾向に入ったことを示す良いサインと聞かされ、気持ちが前向きになる。初日の下痢のあと便が出ていなかったので、整腸剤と下剤を処方してもらう。夕方、赤い発疹が足や腹部にもひろがり、痒みが出てきて寝付けず。

8日目:熱は平熱に戻るが、まだだるくて起き上がれず、なにより全身に赤い発疹が出てかゆくてじっと寝ていられない。デング熱の発疹の話は聞いたことがあるが、こんなに痒いなんて初耳。病院でも誰も教えてくれなかったけれど、この痒みは眠れないし、熱より辛いと感じる。痒みは普通1週間くらい、長いと1ヶ月かかる人もいることを知り、ショックを受ける。快方に向かっているサインとやらがこんなに辛いとは・・・。トホホ。

9日目:担当の先生が休暇で別の先生に引き継がれており、痒みを訴えて抗ヒスタミン剤を処方してもらう。まだ全身の関節が痛むが、少し起きていられるようになり、ソファで過ごす。痒みに加え、関節のむくみがひどくなる。

1011日目:痒み、関節の痛み、むくみが続く。

12日目:痒みが改善!関節の痛みむくみも残るものの、ゆっくり歩けるように。久しぶりに買い物、夕飯は外食を楽しむ。

13日目:朝は足の関節の痛み、むくみが少し残るが、日中は外出し、ヤンゴン港に停泊中の移動本屋、ロゴス・ホープ号最終日に間に合う。以降、ほぼ通常生活に戻る。

 

というわけで、私がデング熱を患っていたのは約2週間弱というところです。私の場合は重篤なケースではなかったし、熱も短かったので、比較的楽にのりきったと言えるかもしれませんが、症状は非常にケースバイケースなのだそうです。私の場合は、熱がなくても痒くて寝てるしかないのは辛かった。

ちなみに、デング熱には4つの型があり、一旦かかると3ヶ月はどの型のデング熱に対しても耐性ができるそうです。3ヶ月過ぎると、自分がかかった型以外の3種類の型のデング熱にはまたかかる可能性があるのだそう。2度目は重くなるらしいので、今後蚊に刺されないように注意するしかないそうです。

今回は私でよかったけれど、子供だったらと思うと・・・。とにかく、蚊対策を甘く見てはいけませんね。回復してあらためて感じる、普通の健康のありがたさです。

ずっと娘に見せたいと思っていたミャンマー伝統のマリオネット、先日初めてヤンゴンでの実演を見ることができました。

日本大使館などの後援で開かれたこの日の日緬人形劇交流事業は、前半が世界無形文化財である日本の文楽の実演と紹介、後半がミャンマーのマリオネットという構成。場所がChin Chaung Palaceという文化財建築で、普段入れないところということも楽しみの一つでした。実際には、その横の小さな建物が会場で、お目当ての建築ではなかったのですが…

文楽もミャンマーマリオネットも、とても実演、解説ともになかなか充実していて楽しめる体験となりました。

とくに、文楽を生で見るのが初めてだった私には、思いの外、文楽について勉強になりました。有名なあの『お七』からの抜粋では、何と言ってもあの緊張感と太夫、三味線奏者、人形遣いの方々の呼吸、職人技がまさに芸術で、いつの間にかすっかり惹き込まれてしまいました。

娘には、牧歌的な音楽や動物や鬼が登場したミャンマーパペットのほうが面白かったそうですが、両者は、なんというか、国民性の違いまで表しているように感じます。

あのわずか一瞬の文楽でも示された圧倒的な緊張感の美というのは、日本的というか、やはり日本人が好むものであり、日本人が求める芸術なのだと思います。

と、この日はヤンゴンにいるのに(いるからこそ?)日本文化のインパクトが強すぎたので、またの機会にはミャンマーマリオネットだけをゆっくり鑑賞してみたいところです。

もちろん娘には両方とも良い初体験となったみたいでした。

ミャンマーでのビジネスに参入する日本企業も増える中、よく見聞きする日本人によるミャンマー人へのイメージの誤解について。


1.『ミャンマー人を雇い、育成しても、少し叱られただけですぐにやめる』わけではないかも。

よくミャンマー人は叱られ慣れていないといいますが、怒るのはよくないという慣習のもと、子供の頃から親があまり怒らないため、自分が悪いという可能性があることすら、理解できていない人が多いようです。

ただ、仕事をすぐやめるのは怒られたことだけが原因ではないかもしれません。そもそも一つの仕事を長く続けるという考え方がないようです。若者ばかりではありません。

というのも、ミャンマーでは、家族親類のなかで最低一人は大黒柱となるべく(お父さんとは限りません、仕事に向いている性格の人がその役目を担います)稼ぎますが、あとの人はまあ、何でもいいという感じなのだそう。すぐに仕事をやめたり、大学まで出たのにニートが多いのはこのためではないかと思います。いい歳をして、職を転々としている人も沢山います。ある意味2:8の法則です。

だから逆に、仕事をしっかり頑張る人は(または自分がその番になったら)、仕事を大切にし、家族親類まで世話したりして、責任感の強い人が多いのです。そういう人を探すのは、少ないだけに大変です。


2.『ミャンマー人は親日』というわけではありません。

ただ、誰に対しても一定の礼儀と笑顔と丁寧さがあるだけです。優しくしているのは日本人に対してだけではありません。


3. 『ミャンマーの若者は素直で勤勉』ではありません。

人の意見に表立って反論しないだけです。自分の価値観を変えない強さは鋼のようです。たとえ一瞬順調に見えても、新しいことにはとても熱しやすく冷めやすいのです。

よく30歳越えると頭がかたくなり、新しい価値観に柔軟になれないといいますが、ミャンマー人は20歳でも既にそんな傾向が。15歳だとだいぶ違いますが。日本への留学経験者でも、18歳から日本に行った人と25歳からではだいぶ身についている価値観や習慣に違いがあって驚きます。


4.『より良い待遇(給料)を求めている』のは確かですが、『お金のために働くわけではない』が続きます。

自尊心やプライベートを犠牲にしてまで働くことはありません。長い目でメリットのあることよりも、短期的な得をとるので、隣の芝生が青く見えればすぐに移ります。


5. 『マニュアルやルールがあればきちんとできる』わけではありません。

日本人が想定する以上に独自の解釈が得意です。約束や時間を含め、『必ず』のものは『almost(だいたい)』と理解されます。日本人の『だいたい』が90パーセントとすると、ミャンマー人の『だいたい』は50パーセントくらいです。
ただ、偉い人や親方クラスからの口承の指示は大切にします。一旦信頼関係ができれば話が早くなりますが、そこまでの関係になるのに時間もかかります。



こういった特性はヤンゴンの人達であって、田舎の人はもっと頼りになると主張する田舎出身の主人ですが、私に言わせれば、おおむね主人にも当てはまります!(27歳から日本に17年、日本の国立大で理学博士号をとり、産総研に勤めてお堅い世界にいたにもかかわらず、です)

それは頑張らなくても人が助けあって食べていける社会だからなのでしょう。人にも自分にも甘いのではありますが、どんな生き方をしても人から悪口を言われる心配もないので、基本マイペースです。

だから、日本人の感覚でこちらがイライラしたり我慢強くなるよりも、彼らの特性を理解して、最初からそれに合った計画をたてねばと思う今日この頃です。



せっかくミャンマーに来たのだから、ミャンマーハープ、サウンを習いたいと漠然と思っていたのですが…。大昔に経験したバイオリン、せっかくヤンゴンに持参してるので、たまーに練習したりして気を紛らしていました。まあ、気晴らしにはなるのですが、一人で弾いてても上達しないし、中途半端
よなーと思いながら。

そうこうするうちに、娘が8月から学校の器楽の授業でバイオリンを選択できるらしいことが判明。バイオリンなら、まあ次どこに転勤になっても続けやすいし、日本で習うよりだいぶお得なレッスン料で済むので、これを機に娘がピアノを習っている音楽教室で、母娘でバイオリンも習ってみることにしました。

6歳の娘はまだ1/4サイズの分数バイオリンなので、来月日本で購入するつもりだったのですが、運良くお借りできることになり、少し早めに練習が始められることになりました。

今日は初めてのレッスン日。長い髪のミャンマー人の女性の先生が、英語で指導してくれました。一回おきに、私と娘が交代でみてもらうことになり、まず今日は私の番だったのですが、娘もやりたがるので、結局ほとんど二人平行しながらとなってしまいました。

全くのビギナー初日の娘は、弓の持ち方から習い、しばらく弓を持って腕を動かす練習。私はというと、レベルチェックということで、いきなり難しめの曲からスタート。ひいた記憶はある曲でしたが、なんだか久々のレッスンに緊張して、固まり気味でした。しかも、音階はドレミファではなく、CDEF・・。すぐに変換できずに指示の理解がワンテンポ遅れる始末。

必死なレッスンが終わる頃には、今度は娘が楽器を構え、ボーイングを始めて先生に教えてのアピール。先生はやり直しの私とビギナーの娘を上手に交互にみてくださったのでした。

次回は娘の番に徹するとして、今後、私の時にも娘に同席させるのはどうなのかと悩まないではありませんが、程よい緊張感のある時間を親子で共有するのは、思っていた以上に充実して楽しいものでした。

娘はよほどバイオリンを始めるのが嬉しいらしく、その後一日中、弓の持ち方のエア練習をしたり、箸や綿棒を使うときまで弓の持ち方をしてみたり。


何かと思い通りにいかずにイライラしがちなヤンゴン生活ですが、娘とバイオリン練習が一味違った毎日にしてくれそうな予感。練習しなさいと親がいうばかりではなく、一緒に楽しんだり競争したりできる環境にしたいと思っているのです。

ちゃんと続けなくちゃね・・・

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ミャンマー衣装のブラウスのボタン部分によく使われる紐結び装飾に、花モチーフのものがあります。ミャンマー語でパン トウ デー〔花編み〕というこの花飾りは一つ一つ手作りのため、手芸パーツとしてはヤンゴンでもなかなか高いのです。

それを嘆いていたら、メティラーに住む親類がパントウデーを作れるという情報が!そのおばあちゃんは、伝統の手仕事を前から人に教えたがっているのですが、若い人は誰もやりたがらないと残念がっているというのです。そこで早速その手仕事を教えてもらいに行きました。

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65歳でも快活で芯の強い眼差しのおばあちゃん。挨拶も早々にすぐに作業が始まり、手仕事好きな者同士、言葉の壁も暑さも忘れて熱中しました。

まずは紐作り。生地の目に対し45度斜めに細長くカットした布にミシンをかけて裏返し、細い紐を作るのは、くるみボタンをとめるときのループ紐の作り方と同じです。

この紐を使って、花飾りを花びら一枚づつ針と糸で留めながら形作っていきます。花びらは一重から三重、数は5、6枚が美しいのだそう。菊やジャスミン、バラ、葉などの作り方を教わりました。

少し難しいのは、ボタンになるボール状の部分の結び方。先端がかなり長めのピンセットのような道具を使い、結びながら締めながら玉を作っていきます。これは日本のオリエンタル紐飾りの作り方の本にも出ているかもしれません。

おばあちゃんはテイラーから頼まれ、依頼されたブラウスの共布を使ってパントウデーを作り、縫い付けて仕上げています。年々作れる人が減り、今パントウデーが作れるのはメティラーではこのおばあちゃんだけになったそう。もったいない!
次回もまた違うテクニックを習う約束をしました。

毎回一点物のデザインが出来上がる楽しみ。ボタン飾り以外にもいろいろと応用できそうです。

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おばあちゃんのミシンコーナー。雑貨がいろいろあって楽しい。



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ヤンゴンに来てから、ミャンマー人の主人の知人や親戚、一緒に住んでいる姪などを通じて、ヤンゴンのいまどきの若者の価値観を垣間見る機会が増えました。

Facebookには韓国ファッションに身を固めてポーズをつけた自撮り写真が多いこと!結構ナルシストが多い⁉︎

日本の服はクオリティはいいのだろうけれど、シンプルすぎ、地味すぎてとても着れないのだそう。少し前までは喜ばれていたのに…!

地方出身者が地元に帰るときには、レーダンあたりで最新のファッションを兄弟達にお土産に買っていくのだそう。

とはいえ、依然ロンジーも女子には人気です。伝統的なロンジーの生地にも流行や最新のデザインといったものがあるらしく…選び方にはこだわりが。

長身でスタイルが良くオシャレな姪は、数ある布地のなかからとても斬新なパターンのロンジーの生地を選びます。次にそのロンジーに合うロンジー用ブラウスの生地を探して歩きます。無地の布でも厚みや微妙な濃淡にこだわらなければならないので、ハシゴする店の数は5,6件でも足りません。さらに、ボタンや飾りなどの専門店で合うものを選びます。ロンジーは必ず体にぴったりフィットじゃないとダメだそうで、縫製は絶対にテイラーで。

私も最近は影響を受けて、だんだんロンジーのセットアップにこだわる気持ちがわかるようになってきました。

最近は、伝統的なパターンを少し大胆にアレンジしたようなデザインのリバイバルも若者の間で流行っているのだそう。これなら外国人にも似合います。

やはりロンジーは気候にもあっていて、その便利さを再認識する今日この頃。積極的に楽しみたいものです。

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日本から持参した虫刺され時のかゆみ止めが無くなりかけていたので、虫刺されに効くアロマがあったことを思い出して調合して使ってみました。すると、一緒で痒みがなくなり、香りも良いし驚きの使い心地!こんなに効くならもっと早くから使えば良かった!

虫刺されを含め、ヤンゴンに来てから我が家で欠かせなくなったアロマは、以下の通りです。(配合量は家庭での利用には精油が1%を目安にといわれますが、その都度本やサイトを参考に適当です。)

虫刺されに・・・ホホバオイルにラベンダーとティートリーの精油を配合して塗布。

虫除けに・・・エタノールと水にシトロネラ、ゼラニウムの精油を配合してスプレー容器に。

デオドラントに・・・エタノールにラベンダー、ティートリー、ユーカリの精油を配合してスプレー容器に。

室内の蟻よけに・・・エタノールと水にペパーミントとユーカリの精油を配合してスプレー容器に。

暑さによる不眠に・・・エタノールと水にラベンダー、イランイランの精油を配合してルームスプレーに。


ヤンゴンでも容器は日本の100均で、エタノールは薬局で入手できます。精油の一部はオーガニックショップなどで見かけましたが、レメディーズ系のクオリティのものは外国から取り寄せるしかないでしょうか。

アロマに心身助けられる日々です。ミャンマーの伝統的な薬草の世界にも興味が湧いてきています。



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今日は、前から行きたいと思っていた日本人女性によるお店に足を運ぶことができました。

まずはオーガニックの野菜などを扱うGreen Hillさん。ヤンキンセンターからほど近く、自宅から近いにもかかわらず、入口が目立たなくてずっと場所がよくわからなかったのですが、友人が連れて行ってくれました。ほうれん草や春菊のようなこちらでは入手しにくいお野菜のほか、ハーブティーや雑貨もあって、小さいけれど素敵なお店です。有精卵やソーセージなんかもあり、これからは何度も通うことになりそうです。

そして、Excel Treasure Hotel近くのBeauty Salon MIUさんでは、ヘッドスパをしてきました。最近肩こりがひどく、私のような目からくる肩こりにはヘッドスパがよく効くのですが、ヤンゴンでは初めてでした。3種類のアロマから好きな香りを選んで、しっかりとした指圧のマッサージ。最近忘れていたけれど、私も持参したアロマをもっと生活に活用しようと思いながら癒される時間でした。

そして、サロンの一角が、ミャンマーの手作り雑貨のdacco.さんのお店コーナー。ミャンマー伝統の手仕事を大切にし、生産者の生活をまもるというアイディア、そして一つ一つの商品のセンスが、まさに私が求めていたものばかり。とても丁寧なつくりにも感動です。まるで私の夢を叶えてくれているような世界観でした。

日本人女性の仕事は丁寧でたくましいなとあ改めて実感。今日は素敵な女性たちの活躍を垣間見て、とてもリフレッシュさせていただいた1日でした。

ヤンゴン転勤で持参するべきものに続き、ヤンゴン生活2ヶ月の時点で感じている、ヤンゴンでゲットして意外によかったものをご紹介。

 

・香りつき除虫グッズ(ジャスミンやロータス、ミントなど、芳香剤兼用の除虫スプレーや除虫剤拡散器。・・・蚊が多いので、我が家ではジャンボサイズのスプレーでも2週間もちませんが。ちなみに、ミントやラベンダー、シトロネラなどアロマ効果のボディー用虫除けスプレーもわりと安価です。)

・ワンタッチ式モスキートネット(ワンタッチ式のテントが全面メッシュになったようなタイプです。簡単便利でダブルサイズでも1500円くらい!これで安眠が約束されました。やっぱりスプレーを使いすぎるのは体によくないし・・・)

・アルミ製スパイスグラインダー(手動です。ちょっと前までの石製も良かったけれど、なんといっても重いので。アルミ製はおしゃれで軽くて、おいしくできます。棒のほうもアルミか木製が選べます。)

2ナンバー式携帯電話(通話はこの会社、ネットはこちらの会社、というように目的別に2枚のSIMカードが収納できる携帯電話が主流です。もちろん番号も2つ。これなら仕事用とプライベート用が一台で超便利!)

いまのところ、そのくらいでしょうか。また思いついたら追加します。

 


ヤンゴンで生活を始めて早くも二カ月。盛りだくさんだったからか、もっと長く感じます。

ただ生活をするだけでも、子供連れだと独身時代の留学や仕事での海外出張とは違った忙しさがあるものだと実感。子供の学校行事や来客、各種工事などの忙しさに加えて、市内の交通渋滞がひどくて何をするにもとても時間がかかります。

ヤンゴンでの生活自体は、覚悟していたよりは普通で、物資も豊富で安心しました。(といっても、独身時代に出張したアフガニスタンやインドなどが比較対象だからかも)

大型スーパーやショッピングセンターもあちこちにあるので、サービスアパートメントに住む外国人であれば、概ね快適に過ごせるのではないでしょうか。

が、ミャンマー人の夫の好みにより普通の戸建てを借りたので、何もかも自分たちで手配しなくてはならず。毎週あちこち壊れたり停電やら断水やら勧誘やら、いろいろな小さな問題が起こり、ミャンマー語ができない私が家守りをするのはそれなりに大変さもあります。

ネット接続も申請してから一カ月かかると言われブログもそれからにしようと待っていましたが…、

お宅は近隣の接続ポイントから遠いから工事に結構なお金がかかると言われ、来年引っ越すかもしれない賃貸物件なので断念。割高なWifiでしのぐことに😢

生活も落ち着いてきたので、ボチボチまた綴っていこう思います。

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先日ビザの申請にミャンマー大使館に行きました。
9月中にビザの手続きシステムを大幅に変更したそうで、
とても発行が早くなり、1日で受け取れるようになりました。

そういえば、大使館の建物は建て直し工事中のようで、
ビザ申請は構内のプレハブの建物でした。

今回ビザ申請の待合室で見つけたのがミャンマー初の月間日本語情報誌
『ミャンマージャポン』
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帰りの電車で開いてみると、最新の使えるミャンマー情報に驚きました!

ビジネスの注目が集まるミャンマーですから、特集にはミャンマー人部下と日本人上司のあるあるや、
ビジネスニュース、ミャンマーで活動する日本のNGO一覧、今月の注目賃貸物件情報など。

私が個人的に喜んでしまったのは、ヤンゴン生活に便利そうな特製マップでした!
主な通りや地区名、ショッピングセンターやレストラン、病院、日系企業などなど、
かつてないとても見やすいマップに感嘆です!

そしてお役立ちリストのレストラン一覧。日本料理が多くなったとは聞いていましたが、
80件近いリストを見てこんなにたくさんあるのかと驚いてしまいました。
私達が借りる家の近くに日本食材店があることもわかりました。

コミュニティ情報では、各県人会や出身大学ごとの会、趣味のグループなども
たくさんあって驚きました。

これまでのヤンゴン情報は、噂は聞けど、何がどこだかハッキリわからないことが
多かったので、この情報誌は本当に役立ちそうです。

それだけヤンゴンに関係のある日本人が増えてきたということなのでしょう。
本来、海外で日本人だけで固まるのは好きではありませんが、
やはり母国語で情報交換できるのは本当に助かります。

来月からのヤンゴンライフが少し具体的に感じられるようになってきました。


主人がミャンマー出張中に、そのまま家探しもしてきてもらいました。
急激な民主化への期待からか、ヤンゴンの不動産価格は恐ろしく高くなり、賃貸価格も
東京並みで驚かされます。

家族3人+犬一匹(中大型)なので、戸建てを探していたのですが、本当に高くて。
しかも、ヤンゴン在住の人のブログを拝見すると、戸建ては泥棒などの心配もあるらしく・・・
とはいえ、マンションは構造や配管等、また別の不安もありますし、結局主人に任せることに。

知人の紹介や不動産をやっている知人の紹介などにより、
最初は川向こうのFMIシティという新しいエリアに値段設備ともに合格な物件があったのですが、
なにせ子供の入学予定の学校や主人の会社から遠く、橋を渡る渋滞を考えると
毎日の通勤通学時間が大問題だったのです。

で結局、インヤー湖近くの大変便利な場所にある小さな戸建てを偶然見つけたそうで、
そこに決まりました。狭いし値段も高くなりますが、場所の良さは確かに重要です。
これで娘の学校の送迎も楽ですし、主人の会社へも自転車通勤が可能になりそうです。

近隣には昔から主人がお世話になっている方たちも住んでいるので、
何かの折には頼りになるのではと、心強い限りです。

それにしても、ミャンマーの賃貸は、先に1年分の家賃をまとめて払うのが一般的とのこと。
これまた大変です。日本で新車が買える金額です。。。



ミャンマーでは女性や子供達が顔に泥のようなものを塗っています。タナカという伝統のスキンケアで、木の幹を丸い石のまな板の上で擦って作ります。

白檀に似た良い香りで、日焼け止めやデオドラント効果があるとも言われています。

毎日新鮮な擦りたてを使うため、タナカを擦る作業はミャンマー女性の毎朝の日課なのです。これはとてもエコなスキンケア。

以前、娘の幼稚園でミャンマー紹介をしたとき、みんなで実演して楽しんでもらいました。

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でもこの作業、なかなか大変です。今はタナカを利用したコスメもいろいろと発売されていると聞いたので、先週、主人がミャンマーに行ったお土産に既製品を頼みました。

それが、下の写真のようなクリーム容器のようなものに入ったものです。クリームというには硬いのですが、粉を固めたような状態なので水に溶いて使います。

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このタナカは、日本語や英語でなんという名前の木なのか今一はっきりしないのですが、香りは白檀、サンダルウッドといったところです。なかなかいい香りなので、首や手首に薄くつけるだけでもアロマ効果も期待できそうです。

今回の自宅へのおみやげは・・・

縁起もののフクロウの人形。玄関などに一対置くのがミャンマーの流です。
竹で編んだフレームに新聞紙をはり、色を付けた伝統工芸。
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ずっと欲しかった、素朴な陶器の花瓶。
メティッラーあたりでは最もポピュラーなデザインです。ひとつ18円くらい。
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そしてやはり選んでしまうのはカチン族の織物。
なんてモダンなデザイン!
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だいぶ間があいてしまいましたが、以前書いたエーヤワディー川をわたる!の続きです。

船に乗るのは30分くらいと言われていたのに、やっと目的地となる岸が見えてきたのは、1時間もたったころでした。
船を岸に寄せていくのでそうだと解るものの、見えるのはただの砂浜。いや、多少、砂浜が階段状に整備されているか。

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船が着くと、また幅15センチの板を渡して皆で降り立ったのでした。
ここからかなり急な斜面を登り、ところどころ階段が作られた細い参道を登っていきます。

途中、物置のような建物の裏手にトイレがあるというので、女性陣は順番に小休止となりました。
このトイレが・・・。斜面に長い角材の杭を立てた上に築かれた、半畳ほどのスペースに和式トイレが設置されています。扉はありました。やはり15センチほどの板を小走りにわたって、そこまで渡り、用を足すのですが、穴の先には中空がぽっかり空いているのです。幸い、本人からは何も見えないので気になりませんが・・・。

さて、なかなか急な階段を上り下りしながら進んでいくと、途中から階段にトタン屋根が掛けられた参道になります。

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このころ、もう学生達はさっさと行ってしまいましたが、私は疲れ切ったイタリア人の教授の話し相手になりながら、ゆっくりと登って行きました。この方は、私もかつてお世話になったことがあるミラノ工科大学の先生で、もう10年も近隣の遺跡の保存のために活動されているそうです。思いがけず、建築保存学の先生と、イタリア語でお話する時間がもてて、私としてはこの長い階段が楽しいものになりました。先生は聞いていたより遠いじゃないか!としきりに来たことを後悔されていましたが・・・。私達は、考古学者のウィン・チャイさんの強い勧めでこの古くからの縁のあるパゴダに来ることになったのですが、私達の関心はともに、「古くからの縁のある新しいパゴダ」ではなく、「古い遺跡」そのものだったのです。

さて、途中でサルと出会ったりしながら、私達も目的のパゴダに到着しました。
そこからの眺めどうでしょう。

遥かに広がるエーヤワディー川!

なかなかの高さまで登ったことがわかります。

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このエーヤワディー川の眺めは疲れを吹き飛ばし、忘れられない思い出となるものでした。

帰りの船旅は下りだったためか、当初聞いていた30分ほどでピューの街に無事戻ったのでした。

ミャンマーに行くたびに撮った写真でポストカードを作ることにしました。

まず第一弾は動物達の写真です。主人の実家のメティラーで見かけた、ミャンマーの日常で身の回りにいる馬、牛、子ブタなど。

ちょっとしたお土産や、メッセージカードとして使えるよう、これからシリーズを増やしていくつもりです。


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最近ますます注目を集めるミャンマー。
特に経済界の関心は高く、先日就航したビジネスクラスのみの直行便も満席だという。

そんなニュースを伝える特集の中でのこと。ミャンマー人は親日的であるという紹介に続き、現地特派員が地元ミャンマー人にこんな質問をしていた。

「かつての支配者イギリスに対する現在の印象はいかがですか?」

一瞬間があいたその瞬間、彼は思ったのではないだろうか。

「日本人が聞くことか」
と。

現在の日本では一般的に、ミャンマーというと軍事政権と民主化運動の軋轢の歴史の部分しか知られていない。

こんな質問をしたのは、大戦末期のイギリスと日本とビルマの関係について、日本がビルマの人々に与えた苦しみについて、正しい認識ができていないからではないだろうか。

私が知るミャンマー人たちは、長期にわたって支配をつづけたイギリスに対して、日本ほどの悪い印象はない、という。少なくとも彼らはビルマ人を人間として扱ったというのだ。

敬虔な仏教徒としてのミャンマーの人々は、人を憎んだり、過去を恨んだりすることをしないように、自分たちの心をコントロールするよう、小さいころから学んで育っている。そのおかげで現在日本は、表面的には恨んだり嫌ったりされないで済んでいる。祖父が日本軍に連行されて命を絶った人でさえ、日本に留学していたりする。その理由は、現在のアジアでは一番すぐれた教育の機会を提供してくれるところだからという。教育とは、正しいことを理解できるようになること・・・これがミャンマー人が経済最貧国と言われながらも教育水準が高い理由だ。過去ではなく、あくまでも現在目線で考え、行動しようとする。

そしてこれが、日本人が呑気にも、ミャンマー人は親日的と勘違いしている理由ではないだろうか。別に日本人に対してというわけではなく、誰に対しても最大限の敬意を払って対応しようとするのがミャンマー人なのだが。

その勘違いが、今後、日本企業がミャンマー進出することによって問題となるのではないかと心配している。良くも悪くも、経済的メリットだけで動くことのないミャンマ―人は、何より人と人との信頼関係を重視して動く民族なのである。

安価な労働力と親日だけを狙って進出しても、起こりうる問題は目に見えている。日本人は結局過去と同じことを繰り返し、進歩していないと思われるのがおちである。

日本で研究員としての滞在経験もあるアウン サン スー チー さんが、世界を歴訪する中、日本への訪問が優先順位に入っていないということが、日本とミャンマーの未来をよく物語っている。
 
中国や欧米に先を越されたと心配する前に、日本はあるべきアプローチの仕方をよく考える必要があるのではないだろうか。同じアジア人として、長い目で対等な人間的付き合いをする姿勢がない限り、ミャンマーにとって世界における日本の存在は諸外国の一つにすぎないのだ。しかも、優先順位の低いままの。

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これらは我が家に飾っているチークの木彫りの壁掛けです。土産物用に作られた手頃な作品ですが、堅いチークですので、彫刻にはなかなか手のかかるものです。

ミャンマーでは、家具ばかりでなく、寺院や宮殿などの建築への木彫による装飾が盛んに行われてきました。堅固で長持ちする良質のチーク材を多く産出する国ですので、チーク材による木彫装飾は当たり前のようになっていますが、極めて優れた手仕事による伝統技術の一つです。
この伝統の技を大切にまもっていってほしいものです。

毎日新聞に連載されていたアウン・サン・スー・チーさんのエッセイ『ビルマからの手紙』。部分的にしか読んだことがなかったので、最近、増補復刻版を2巻入手し、改めて読んでみました。その知的で感性豊かな表現力。そして、私が知りたいと思っていたビルマ人の日常世界、文化や世界観が国際経験豊かなスー・チーさんの目から客観的、相対的に描かれていて、あっという間に虜になってしまいました。もちろん、政治の問題や国際社会との関係、経済発展問題などについても書かれているのですが、それ以上にスー・チーさんの傑出した個性が全体に滲み出ているのです。ビルマの日常への愛着や、民主化後の国の変化への懸念など、ビルマ人でもない私までこんなにも共感できるのは、まさに彼女のカリスマ性のなせる技なのでしょう。

世界が彼女に注目せずにいられないのは、民主化運動のリーダーとしてだけではなく、アウンサン将軍の娘であるからだけでもない。政治家としてのみならず、思想家として、芸術文化の理解者として、女性として母として、公私ともに類稀な素質を備えた人間だからなのだと改めて理解できたのです。

今月は、長年にわたる自宅軟禁を解かれて初めて久々のヨーローッパを訪問し、途中体調を崩しつつも、各国を歴訪して市民から熱狂的に歓迎され、ノーベル平和賞受賞記念講演を果たしたスー・チーさん。「この日が来ると信じていた」という言葉に、説明できない万感の想いを感じます。私たちも、数奇な運命を背負った女性の激動の歴史を目の当たりにしているのです。

この類稀な女性とともに、歴史に残る1ページを今まさに開こうとしているミャンマーの人々に期待しています。

最近のミャンマーの政治情勢の劇的な変化について、多くのマスコミが懐疑的ながらも積極的にとりあげていますが、そこにあるのは必ず「アジア最貧国」という枕言葉。GDPなどの指標にもとずく経済的な側面からは事実なのですが、この「最貧国」という言葉を聞くたびに、私はどうしてもギャップを感じてしまいます。それは、経済的には貧しくとも、心豊かに生きるこの国の人々の幸福度をすべて否定しているような響きを感じるからです。

敬虔な仏教徒で在家信者が多いこの国では、そもそも物質的な豊かさに関心がない人々が多く、誇り高くて物乞いも見かけません。外国からみると分かりにくいのですが、食糧は豊富にあり、天然資源にも恵まれ、モラルも識字率もきわめて高い国民です。電気ガス水道などのインフラ不足の問題から、生活の不便さはあるものの、「貧困」は全く感じません。むしろ、自給率の高さゆえに、諸外国の経済制裁が功を奏していないくらいです。家族とともに伝統的な自給自足の生活をし、富があれば寺院に寄付し、地域ぐるみで子供を慈しむ育む生活の中に、彼らの人間らしい幸せが営まれているのです。

この点は、最近注目を集めているブータンと全く同じだと思います。外からの文化の流入を規制し、愛国心を高めている点では、国家的な思想の統制という意味で共通点があります。ブータンの人と出会うと、例外なく自国の文化に誇りをもっています。ブータンの国民の幸福度が高いことは、伝統を重視する教育の成果であり、決して西欧的な、物質的な豊かさが故ではないことは、最近よく知られるようになりました。

ミャンマーの場合、批判されるべきは、自由を軍事力で規制してきた軍事政権や既得権と賄賂にまみれた役人であり、貧しさへの批判は全く異なる問題だと思うのです。貧しさは、生命を脅かし、国民が問題視するのであれば、国際的な介入が必要になると思いますが、ミャンマーの場合は清貧に近いものを感じます。むしろ、人々の「無欲さ」を糧に、これまでの軍事政権や役人が成り立ち得たともいえるでしょう。

新政権が民主化へ舵をきった背景には、当然経済的な発展を目指すことがあります。この変化と諸外国からの文化の流入は、この国を大きく変えようとしています。特に都市部の若者の価値観は、これまでの伝統的な価値観から大きく変化し、貧富の差も広がり始めています。新しい産業や工場で目先の収入が増加し、物質的な豊かさへの欲と個人主義に目覚め、子供との接し方がわからない若者が増えてきました。社会生活が駆け足になり、文化や人々のつながりが失われてゆくのは、もう私たちが経験済みの領域です。

将来、「最貧国」の枕言葉が過去のものになるとき、この国の本当の豊かさをも売り渡す結果とならないことを願っています。

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