MYITTAの工房

日々のくらしや手作り、ときどきミャンマー

カテゴリ: つれづれに

untitled



'Advanced Style'

本当に素敵な写真集です。ニューヨークの写真家による、60歳から100歳の本当におしゃれな女性達の本です。

人生を深めたからこそできる、自分らしさ全開のおしゃれ。どんなブランドも派手な色も、余裕の着こなし。本当にんな女性に憧れます。

以前、偶然この写真家の方のブログで拝見して感銘を受けた写真の数々。日本語版も出版されているのを見かけたので、母の誕生日にプレゼントしたらとても喜んでくれました。

自分用にもう一冊買おうかと思っています。

どんな年齢の人が見てもインスパイアされてしまうこと間違いなしの素敵な一冊、絶対にお勧めの一冊です。


来月で6歳になる娘の質問が、最近難しいのです。

「人間は何のために生まれるの?」

「どうして私は私なの?」

うーん。子供だから素直に不思議なんだろうけど、
それは大人にも難しい質問です。

そういえば私も小学校3年生頃、小学校からの帰り道に
一人で歩きながら同じようなことを自問したのを覚えています。

子供って、けっこう考えているものなのですよね。
でも、それにしてもちょっと早いかなとびっくり。

どう答えたらいいのでしょうね。
きっと子供がわかりやすい答えがあれば、大人ももっと生きやすいでしょうね。

英語の勉強のために、YouTubeで気になる人のスピーチなどを見ることがよくあります。スピーチの英語はわかりやすく話すことが多いので聞き取りやすく、事前に考えが練られているので、論旨もわかりやすいことが多いからです。

スーチーさんが自宅軟禁開放後に各国を遊説した際のスピーチもその一つです。スーチーさんは英語ネイティブではありませんが、オックスフォード大学で学び長い間イギリスに住んでいたため流暢に話します。そして、話そのものが、とても知的で力強く、しかも優雅で時にユーモアがあり、同じ女性としてもとても刺激を受けるのです。

開放後に世界中で引っ張りだこだったスーチーさんは、若い人と話すことで未来に希望をもちたいということで、ゆく先々の国の大学でスピーチをしています。昨年は日本でも、かつて研究員として過ごした京都大学などで話されましたし、学生時代を過ごしたオックスフォードでのスピーチは大変厳かでした。

2012年9月にはハーバード大やイェール大などそうそうたる大学でを訪れていますが、私が心惹かれたのは、コロンビア大学での熱狂的なスーチーさんの歓迎ぶりです。司会者も聴衆も、心から喜び、興奮していることがよく伝わるのです。後半には、学生からスーチーさんへの質問のコーナーも十分な時間が割かれており、感動のあまり言葉に詰まる民族服姿のミャンマー人学生の場面では、見ている私も目頭が熱くなったのでした。同時に、このような経験に恵まれたコロンビア大学の学生達が本当に羨ましく思えたのでした。

すっかりご無沙汰していたヴァイオリンですが、久しぶりに練習をしてみたら、案の定ひどい筋肉痛になってしまいました。ヴァイオリンは日常生活で使わない筋肉の使い方をするからか、下手で変な筋肉を使っているからか、久しぶりに弾くとひどく疲れるのです。それでまた遠のいてしまうのを繰り返していました。

今日は鎮痛や筋肉の炎症に良いアロマがあったことを思い出し、筋肉痛用のトリートメントオイルを作成しました。
練習後の疲れきった腕や肩、首、背中に塗ってみると・・・本当に不思議。1時間後には楽になっていました。

思った以上の即効性は、まるで湿布のようです。

レシピはおおよそですが;

(基材)
品質の劣化が少ない ホホバオイル 40ml
美容に良い ローズヒップオイル 20ml

(アロマオイル)各2滴くらい
筋肉の炎症を抑える ラヴェンダー、ユーカリ 
乳酸をとりのぞき回復を助ける レモングラス 
血液の循環を活性化する ローズマリー、スイートマジョラム
痛みを和らげる クラリセージ、ゼラニウム、イランイラン


最後にイランイランを加える前は湿布のような匂いになったので不思議。
効果はありそうだけれど、せっかくなのでイランイランも加えて香りも楽しめるようにしました。

こんなに効果があるのなら、今度娘の成長痛のときにも試してみたいです。

ミャンマーでは女性や子供達が顔に泥のようなものを塗っています。タナカという伝統のスキンケアで、木の幹を丸い石のまな板の上で擦って作ります。

白檀に似た良い香りで、日焼け止めやデオドラント効果があるとも言われています。

毎日新鮮な擦りたてを使うため、タナカを擦る作業はミャンマー女性の毎朝の日課なのです。これはとてもエコなスキンケア。

以前、娘の幼稚園でミャンマー紹介をしたとき、みんなで実演して楽しんでもらいました。

image


でもこの作業、なかなか大変です。今はタナカを利用したコスメもいろいろと発売されていると聞いたので、先週、主人がミャンマーに行ったお土産に既製品を頼みました。

それが、下の写真のようなクリーム容器のようなものに入ったものです。クリームというには硬いのですが、粉を固めたような状態なので水に溶いて使います。

image


このタナカは、日本語や英語でなんという名前の木なのか今一はっきりしないのですが、香りは白檀、サンダルウッドといったところです。なかなかいい香りなので、首や手首に薄くつけるだけでもアロマ効果も期待できそうです。

世界的なバイオリン奏者の五嶋みどりさんが、昨年はミャンマーで子供達にバイオリンと触れ合うイベントを行ったこそうです。
http://www.gotomidori.com/japan/year_in_pics13.html

少女時代からの不屈のエピソードがアメリカの教科書にも載った天才バイオリニストとして有名な方ですが、自身のみどり教育財団などの活動を通して、世界の子供達に音楽を通じた教育を提供する活動でも有名です。

五嶋みどりさんのの音色はピュアなのに逞しくて哲学的で、私にとっては、学生時代に大学オケでバイオリンを始めたときからの憧れの方でした。特に低い音色の深さが好きで、とくに悩み事や考え事があるときに、みどりさんの音楽に耳を傾けることが多かったのです。

昨年私はメニエール病のせいで低い音の聴力が落ちてしまったのですが、五嶋みどりさんの生演奏を聞いていないことがとても心残りでした。アメリカに拠点をおき、演奏やチャリティ活動で世界を飛び回っているみどりさんは、日本での一般向けコンサートは多くはありません。昨年は、8月に岩手でのコンサートが唯一と知り、遠くはありましたが念願の生演奏を聞きに行くことができました。

とても小柄な体から溢れる優しくも力強い音楽に、久しぶりに心が動かされ、時がたつのを忘れて聞き入りました。私にとっての個人的な歴史が、彼女の音楽を聞いてきた日々の思い出と交わり、熱いものが込み上げたのでした。

音楽には本当に不思議な力があると思います。ミャンマーではまだ一般人がバイオリンのような西洋音楽や楽器と直接触れ合う機会は限られていますから、みどりさんの活動は、子供達に大きなインパクトを与えたことでしょう。

みどりさんがどれほど有名な演奏家であるのかを知らなくても、音楽のジャンルや国境を越えて、心のある生の音楽との出会いは、子供たちに感動の芽を開かせることになっただろうと思います。

そして、みどりさんのように、自分のもてる力を世界のために社会のために貢献している人を見ると、では自分には何ができるのだろうと考えさせられます。

そして、つい先日、五嶋みどりさんがソリストとして参加した「パウル・ヒンデミット作品集」が
第56回グラミー賞 最優秀クラシック・コンペンディアム賞を受賞しました!

歳を重ねるごとに人としての内面からの美しさが増してゆくみどりさんに、これからも目が離せません。

ミャンマーに行く人に、喜ばれるお土産について聞かれることがあります。

相手の方の年齢層にもよりますが、我が家でいつも用意するのは
日本の着物の模様がプリントされた生地(日暮里の生地屋さんで購入)と
○ルボンやミスター○トウなどの箱入りクッキーです。
値段にして100円前後ですが、おいしくてたくさん入っているし、
箱入りというのは便利です。
ミャンマー人はお茶の時間が多いし、お寺に寄進したり近隣の子供達に分けたりするので
量が多いのはとても喜ばれますよ。
日本のキャンディーやクッキーはミャンマーの高級スーパーなどで
と〜ってもお高い値段で売られていて驚きます。

反対に人気なかったものは、あんこ系のお菓子、過剰包装なクッキーなど。。。
服も廉価なものが現地で売っているし、好みも違うので難しいですね。
財布なども、サイズがぜんぜん違うのでNGです。ミャンマーでは札束が多くなるので
財布はカバンサイズだったりします。

以下、体験した成功例です:

●大人の男性向け
やはり電子機器が喜ばれます。
カメラやUSBメモリなど、日本のメーカーのものは人気ですし、
時計や電気炊飯器をリクエストされたこともありました。
薄毛対策の男性化粧品なども日本製が大人気です。

●家族向け
自動泡石けん(?)。センサーで泡石けんが出てくるのは便利だし、
日本っぽいハイテク感を生活にとりいれられるということで
魅力みたいです。値段も1500円くらいだったでしょうか。

●子供向け
子供には100均の文具セットや、多色サインペンのセットなんかも喜ばれます。
(36色をあげたら、3本ずつ近所の子供に配っていておどろきました。。。)
飴やチョコレートも王道です。

●女性向け
圧倒的に日本製の基礎化粧品の類が人気です。口紅のような色のあるものは、
向こうの人が好む派手な色が日本にないため難しいですが、
喜ばれるのは美白化粧水や洗顔石鹸、シャンプー、リンスなどです。
とくに日本語の書かれているもの。「潤い」とか「しっとり」とか、平仮名があると
中国製との見分けができて人気みたいです。

服は難しいですが、「最近日本で人気のユニクロよ」といってUVの白いカーディガンや
ストールなんかをあげたらとても喜ばれました。
仏教精神の強い人は黒を嫌がりますし、白なら何にでも合うのでいいみたいです。

●日本に来たミャンマー人がお土産に買っていた物
・百均の帽子を30個、
・鎌倉大仏のミニチュアを50個

帰国してからたくさんの人に配るのでしょうね・・・

おととしタリバンによる銃撃で重症を追って以降も、歩みを止めることなく女性の教育の重要性を訴え続けるパキスタン出身のマララさん。国連でのスピーチは記憶に新しく、ノーベル平和賞の期待も高いなど、世界から注目を集めました。教育や自由という、とても基本的な権利が、まだ大きな課題になっている世界があることを改めて気づかされます。

マララさんの話をきくと、いつもミャンマーの子供達を思い出してしまいます。お茶屋の丁稚奉公や家政婦などとして今でも児童労働が当たり前に行われています。ミャンマーの場合は、男尊女卑ではありませんが、貧しさや、宗教心の強すぎるお父さんが出家してしまったために子供達が働かなくてはならなくなったりすることがよくあるのです。義務教育制度がなく、小学生くらいの子供達が日常的に昼間から働いでいるということ。普通のミャンマー人は慣れすぎていてその不平等さに気がつかないことに私はかねてから疑問を感じていました。ミャンマーの知人友人にはいつも言いますが、言われて初めて気づくといった感じです。

でも、マララさんのすごいところは、あのような社会で生まれ育ちながら、高い意識をもち、声をあげたということです。私も仕事でアフガニスタンやパキスタンを訪れたことがあります。道を歩く女性を一人も見かけないような世界で、私が歩くと女がいると物珍しそうに声をかけられ、無視すると女のくせに生意気だと石を投げられました。一瞬怒った顔で振り向こうとした私に対して、男性同僚達はここで揉めて目立たないように私を諭しました。あの環境で女性として生まれることがどんなことか、想像もできません。

でもそのような環境から、立ち上がった少女がいるということが奇跡のように感じます。文化や環境にかかわらず、人間の権利や平等について気付き、変化させようと行動できる人がいるということなのです。それは人間が根源的にもつ能力であり、困難な状況にあっても抑圧しつくすことはできない本能だからなのでしょうか。

世界にはまだ多くの国で子供、とくに女性が教育を受ける権利さえないこと、人生の選択の自由がないこととは次元の異なる問題かもしれませんが、女性と教育、女性と生き方ということについては、先進国とて同じ根源的課題を抱えていると感じます。

マララさんが言っていました。学校に行けないと言われ、女性は家で家事や育児だけをやっていろと言われたら、そんな明日は想像できないと。実は、大学院で博士号を取り、一旦は専門職に就きながら、現在主婦をしている私にはとても痛い言葉でした。先進国で高い教育を受けた女性であっても、仕事一筋でないかぎり、女性が家事と育児に多大なエネルギーを割かねばならないことは目下の話題です。まあ、生き方や価値観は個人それぞれですが、改めて、現状に甘んじていてはいけないと思い立ちました。

image

ご縁あって、先月から我が家の一員となったコロリンです。

子供の頃から4代にわたり犬を飼っていましたが、結婚後は初めて迎えるワンちゃんとなりました。

5ヶ月の女の子ですが、穏やかで甘えん坊、吠えることも噛むこともなく、コミュニケーションが上手なほんとにいい子です。耳の後ろの毛がフサフサで、なんのミックスちゃんでしょうか、まだまだ大きくなりそうな雰囲気です。

Welcome, コロリン!

海外で日本人が死傷など、事件に巻き込まれるニュースを耳にすると、他人事とは思えません。
私も研究や仕事などでよく海外を訪れ、幸いに盗難をふくめ、海外で犯罪被害に遭ったことは一度もありませんが、友人知人の中には鞄を切られたり、薬物を使ったこん睡強盗の被害にあったりした人もいます。

日本人女性は小柄で簡単にやりこめる印象があるといわれたことがあります。また、複数だと気が緩むもので、団体旅行で日本語で話している中高年の人や、国際交流に関心があり現地の人とのコミュニケーションを求める若者が不意を突かれているのをよく見聞きしました。

旅行者が多い国などでこういった事件が起こると、ニュースの中の解説員は必ず親日国なのに・・・というような発言が出てきますが、海外旅行者が襲われるといった問題に親日か、非親日かというのはあまり関係ないと思います。どの国にも残念ながら犯罪を犯す人がいるものです。特にイスラム圏では女性は自覚している以上に注目を集めやすいものですし、偶然見てはいけない場面に通りかかってしまったりすることもあります。

私も、遺跡を訪れることが多かったので、廃墟の裏側にまわると、先方の草むらの中から急に男達が立ち上がって威嚇されたり、だれもいないように見えた狭い階段で急に男に声をかけられて慌てたり、ひやりとした経験はいくどかあります。観光地でも少し裏に回ると注射器が落ちていたりするものです。少年たちが追いかけてきて石を投げられたこともありますし、一本裏道を通ったらうつろな人が道端にたむろしているエリアだったり、アフガニスタンでは、地雷の撤去されていないエリアに知らないうちに入ってしまったことも。

次第に、危険を感じる嗅覚のようなものが発達してくるものです。もし今危険な状況になったらどんな手段をとれるか・・・?ということを念頭におけば、おのずと行くべき道は見えてきます。だからこその自己責任なのですが、犯罪に巻き込まれると、傷つくのは自分ばかりでなく、必然的に多くの人を巻き込むことになります。

状況を正しくとらえて的確な判断力を養うことこそ、自立した人生や、真の国際交流に必要な力だと思います。

偶然BSで見始めて、つい最後まで見てしまった映画『扉をたたく人』。
ある大学教授が出会った若い不法移民との交流と、強制送還という現実にかかわる人間ドラマで、久しぶりに余韻に浸れる映画でした。日本での平和すぎる日常では忘れそうになりますが、こういう様々な状況に置かれた人が現在同じ地球上にたくさんいるのだということを思い出させられます。

観るうちにどんどんその魅力に引きこまれていくのがヒアム・アッバスというイスラエル出身の女優さん。この映画がテーマのわりにネガティブすぎず、品があって大人な仕上がりとなっているのは、この女優さんの存在感が大きかったと思います。不本意な立場に追い込まれても、毅然として誇りと強い意志をもって生きている・・・そんな存在の人です。

どこかで見たことがある人だな。。。と思って調べたら、昨年見た『シリアの花嫁』に出ていた女優さんでした。こちらもとても印象に残る作品でした。この方、女優だけでなく監督作品もあるようです。最近中東の女性が作る素晴らしい映画作品に触れる機会が増えてきました。

社会、女性、宗教、政治、マイノリティー、家族愛、宿命・・・様々な想いを伝える作品を作る彼女たちから目が離せません。

ケリー・マクゴニガルの『スタンフォードの自分を変える教室』(大和書房)に面白いことがかいてありました。

「現代生活は自制心を要することばかりですから、意志力などかんたんに使い果たしてしまう(P.94)」というものです。意志力は筋肉と似ているとのこと。自制心を働かせると脳は大変なエネルギーを要するため、蓄えられていた一定の力を使いすぎると、使い果たしてしまうのだそうです。

そう考えると、ミャンマーの田舎でのびのび過ごしすのと比べ、日本で生活すると、なぜ普通の日常をこなしているだけでも疲れ果ててしまうのかよくわかります。ものがあふれた日本では、気を散らす様々な環境要素や誘惑から身を守るだけでも大変なエネルギーを消費しているのでしょう。

もう一つ、「限界を感じるのは脳にだまされているだけ(p.115−)」というのも面白いことです。脳の中の慎重なモニターが、極度の疲労を防ごうとして、負担がかかりすぎる前にぺースを落とすように指示をだすのだそうです。
これも、とても頷けます。私も、年とともに脳がブレーキをかけるタイミングが早くなっているのを感じていました。

先日甲状腺ホルモンの血液検査をしたときのことです。マーカーとなる3種類のホルモンのうち、甲状腺からのホルモン2種類は正常値でしたが、脳からのホルモンだけが異常値でした。お医者様いわく、「脳が甲状腺ホルモンが多すぎると感じている状態」なのだそう。脳が事実を無視して、勝手にものを判断して守りに入っているのではないかと思いました。

心と体のバランスにとって、脳の働きがいかに大きいかがよくわかります。脳に悪影響を与えるものとしてストレスや睡眠不足がよく言われますが、私の場合思い当たるストレスもありませんし、睡眠は恥ずかしいほど長時間とれています・・・。むしろ、脳が暇をもてあましているのかもしれません。以前は仕事でもっと頭をつかっていたので、脳にはとても負荷がかかっていたはずです。それが産後いきなり主婦になたったために、脳の働く場所が急変しました。育児というのはより本能に近い部分の脳を使っている気がします。同時に、理論的な考えを行う脳のニューロンが勢いよく減っていくのを感じました。

日常的にも考える忙しさがなくなった脳は、代わりに考えるネタ探しを始め、心や体の不調を招く様々な暴走行為を勝手に進めるようになったのではないか、とさえ思えます。つまり、主婦が育児ノイローゼになったり、つまらないことでくよくよするようになるのは、脳の働きのバランスが悪いためなのではないかと思うのです。

脳の暴走を防いで、意志力を磨くためには、適度に脳に負荷をかけているほうがよいのかもしれません。

最近ますます注目を集めるミャンマー。
特に経済界の関心は高く、先日就航したビジネスクラスのみの直行便も満席だという。

そんなニュースを伝える特集の中でのこと。ミャンマー人は親日的であるという紹介に続き、現地特派員が地元ミャンマー人にこんな質問をしていた。

「かつての支配者イギリスに対する現在の印象はいかがですか?」

一瞬間があいたその瞬間、彼は思ったのではないだろうか。

「日本人が聞くことか」
と。

現在の日本では一般的に、ミャンマーというと軍事政権と民主化運動の軋轢の歴史の部分しか知られていない。

こんな質問をしたのは、大戦末期のイギリスと日本とビルマの関係について、日本がビルマの人々に与えた苦しみについて、正しい認識ができていないからではないだろうか。

私が知るミャンマー人たちは、長期にわたって支配をつづけたイギリスに対して、日本ほどの悪い印象はない、という。少なくとも彼らはビルマ人を人間として扱ったというのだ。

敬虔な仏教徒としてのミャンマーの人々は、人を憎んだり、過去を恨んだりすることをしないように、自分たちの心をコントロールするよう、小さいころから学んで育っている。そのおかげで現在日本は、表面的には恨んだり嫌ったりされないで済んでいる。祖父が日本軍に連行されて命を絶った人でさえ、日本に留学していたりする。その理由は、現在のアジアでは一番すぐれた教育の機会を提供してくれるところだからという。教育とは、正しいことを理解できるようになること・・・これがミャンマー人が経済最貧国と言われながらも教育水準が高い理由だ。過去ではなく、あくまでも現在目線で考え、行動しようとする。

そしてこれが、日本人が呑気にも、ミャンマー人は親日的と勘違いしている理由ではないだろうか。別に日本人に対してというわけではなく、誰に対しても最大限の敬意を払って対応しようとするのがミャンマー人なのだが。

その勘違いが、今後、日本企業がミャンマー進出することによって問題となるのではないかと心配している。良くも悪くも、経済的メリットだけで動くことのないミャンマ―人は、何より人と人との信頼関係を重視して動く民族なのである。

安価な労働力と親日だけを狙って進出しても、起こりうる問題は目に見えている。日本人は結局過去と同じことを繰り返し、進歩していないと思われるのがおちである。

日本で研究員としての滞在経験もあるアウン サン スー チー さんが、世界を歴訪する中、日本への訪問が優先順位に入っていないということが、日本とミャンマーの未来をよく物語っている。
 
中国や欧米に先を越されたと心配する前に、日本はあるべきアプローチの仕方をよく考える必要があるのではないだろうか。同じアジア人として、長い目で対等な人間的付き合いをする姿勢がない限り、ミャンマーにとって世界における日本の存在は諸外国の一つにすぎないのだ。しかも、優先順位の低いままの。

毎日新聞に連載されていたアウン・サン・スー・チーさんのエッセイ『ビルマからの手紙』。部分的にしか読んだことがなかったので、最近、増補復刻版を2巻入手し、改めて読んでみました。その知的で感性豊かな表現力。そして、私が知りたいと思っていたビルマ人の日常世界、文化や世界観が国際経験豊かなスー・チーさんの目から客観的、相対的に描かれていて、あっという間に虜になってしまいました。もちろん、政治の問題や国際社会との関係、経済発展問題などについても書かれているのですが、それ以上にスー・チーさんの傑出した個性が全体に滲み出ているのです。ビルマの日常への愛着や、民主化後の国の変化への懸念など、ビルマ人でもない私までこんなにも共感できるのは、まさに彼女のカリスマ性のなせる技なのでしょう。

世界が彼女に注目せずにいられないのは、民主化運動のリーダーとしてだけではなく、アウンサン将軍の娘であるからだけでもない。政治家としてのみならず、思想家として、芸術文化の理解者として、女性として母として、公私ともに類稀な素質を備えた人間だからなのだと改めて理解できたのです。

今月は、長年にわたる自宅軟禁を解かれて初めて久々のヨーローッパを訪問し、途中体調を崩しつつも、各国を歴訪して市民から熱狂的に歓迎され、ノーベル平和賞受賞記念講演を果たしたスー・チーさん。「この日が来ると信じていた」という言葉に、説明できない万感の想いを感じます。私たちも、数奇な運命を背負った女性の激動の歴史を目の当たりにしているのです。

この類稀な女性とともに、歴史に残る1ページを今まさに開こうとしているミャンマーの人々に期待しています。

最近のミャンマーの政治情勢の劇的な変化について、多くのマスコミが懐疑的ながらも積極的にとりあげていますが、そこにあるのは必ず「アジア最貧国」という枕言葉。GDPなどの指標にもとずく経済的な側面からは事実なのですが、この「最貧国」という言葉を聞くたびに、私はどうしてもギャップを感じてしまいます。それは、経済的には貧しくとも、心豊かに生きるこの国の人々の幸福度をすべて否定しているような響きを感じるからです。

敬虔な仏教徒で在家信者が多いこの国では、そもそも物質的な豊かさに関心がない人々が多く、誇り高くて物乞いも見かけません。外国からみると分かりにくいのですが、食糧は豊富にあり、天然資源にも恵まれ、モラルも識字率もきわめて高い国民です。電気ガス水道などのインフラ不足の問題から、生活の不便さはあるものの、「貧困」は全く感じません。むしろ、自給率の高さゆえに、諸外国の経済制裁が功を奏していないくらいです。家族とともに伝統的な自給自足の生活をし、富があれば寺院に寄付し、地域ぐるみで子供を慈しむ育む生活の中に、彼らの人間らしい幸せが営まれているのです。

この点は、最近注目を集めているブータンと全く同じだと思います。外からの文化の流入を規制し、愛国心を高めている点では、国家的な思想の統制という意味で共通点があります。ブータンの人と出会うと、例外なく自国の文化に誇りをもっています。ブータンの国民の幸福度が高いことは、伝統を重視する教育の成果であり、決して西欧的な、物質的な豊かさが故ではないことは、最近よく知られるようになりました。

ミャンマーの場合、批判されるべきは、自由を軍事力で規制してきた軍事政権や既得権と賄賂にまみれた役人であり、貧しさへの批判は全く異なる問題だと思うのです。貧しさは、生命を脅かし、国民が問題視するのであれば、国際的な介入が必要になると思いますが、ミャンマーの場合は清貧に近いものを感じます。むしろ、人々の「無欲さ」を糧に、これまでの軍事政権や役人が成り立ち得たともいえるでしょう。

新政権が民主化へ舵をきった背景には、当然経済的な発展を目指すことがあります。この変化と諸外国からの文化の流入は、この国を大きく変えようとしています。特に都市部の若者の価値観は、これまでの伝統的な価値観から大きく変化し、貧富の差も広がり始めています。新しい産業や工場で目先の収入が増加し、物質的な豊かさへの欲と個人主義に目覚め、子供との接し方がわからない若者が増えてきました。社会生活が駆け足になり、文化や人々のつながりが失われてゆくのは、もう私たちが経験済みの領域です。

将来、「最貧国」の枕言葉が過去のものになるとき、この国の本当の豊かさをも売り渡す結果とならないことを願っています。

エーヤワディー東岸の町ピイ近郊にあるピュー時代(4〜9世紀)の遺跡を訪れた際、予定外にエーヤワディ川を渡る機会に恵まれました。対岸にあるピュー時代にゆかりのあるパゴダを参拝することになったのです。

DSC_0133


考古学部の学生たちと合流し、20人くらいでにぎやかに川岸に降りると、チャーターしてあったモーターボートがこちらに近づいてきました。一瞬まさかあれ?と思うような、木製の小舟。北朝鮮の難民が日本海に流れ着いたときの木製の船を彷彿とさせる・・・。

DSC_0108


岸から船に向かって渡された幅15センチほどの木板を渡って船に乗り込んでみると、船底には水が入り込んでいて、若者が手桶でその水をかき出しています。搭載されているモーターエンジンは剥き出しで、小さいがやたらとウルサイ。もしもの場合の救命胴衣や浮輪など、もちろん搭載されていません。

大海に漕ぎだす難民のような心持ちで、いざ出発!壊れずに目的地に到達できますように!みんな、いつも使っているのだから、きっと大丈夫!

果たして、乗り心地はさほど悪くはありませんでした。そして昔教科書でイラワジ川という名で習った広大なこのエーヤワディー川を渡っているという実感は、感動ですらありました。流れはおだやかで、水しぶきは心地よく、景色も素晴らしい。渡るといっても川を上流に向かって数キロさかのぼるような位置に向かっていたため、30分と聞かされていた道のりは小一時間くらいのものでした。途中、対岸には竹やわらで編んだ小さな高床式住居が並ぶ漁師の村が見えたりしたほかは、行き交う船もほとんどないネイチャーワールド。

DSC_0114


やっと目的の船着き場に到着するも、もちろん護岸工事など何も施されていない砂浜状の岸に、例の幅15センチの板をかけて渡り下りたのでした。

パゴダ参拝もちょっと山を登る、と聞いていたのが、結構な山登り。誰も数えたことがないという膨大な階段を上ってのエクスカーションとなるのでした・・・(つづく)。

先日は娘の3歳の誕生祝いに、自宅にミャンマーのお坊さんを招いてミャンマー式のお祝い会をしたのですが、子供4人を含む総勢24人の集いとなりました。お坊さんのお祈り会というと、敬虔なミャンマーの人達はこうして集まり、皆でミャンマー料理を作って分け合うのです。

ミャンマー料理の準備のため、女性3人が前の日から泊りこんでくれました。東京と埼玉に住む彼らを主人が車でピックアップして、つくばにたどりついたのは夜中の12時半。お盆休みの渋滞にまきこまれて6時間もかかっての夜中の到着にもかかわらず、早速料理にとりかかって眠りについたのは午前3時半でした。

朝から次々と到着する友人たち。実は何人くるのかよく把握していなかった私は、イスも食器も足りないことに焦るばかり。和室とリビングとキッチンにわかれて、時間差で食事をとってもらい、お坊さんのお祈りとお話のあとは果てないおしゃべりで大賑わい。狭い我が家では不便も多かったと思いますが、皆の暖かい笑顔とつきないおしゃべりであっという間に居心地の良い時間が過ぎてしまいました。子供たちは外に作ったプールに飛び込んだり、お互い家族的ぐるみで楽しめたようです。

主人が買ってきたケーキが小さかったので、子供たちにだけに囲んでもらってハッピーバースデーを歌った時は、皆の歌声を聞いて、なんて幸せな子なんだろうとジーンとしつつ、今も苦しんでいる子供たちが世界にいることを考えると複雑な心境でした。少しでもみんなの幸せのために力を惜しまない人に育ってほしいと思うことしきりです。

普段は異国の日本でそれぞれ仕事に勉強に頑張っているミャンマー人。それを支える日本人の伴侶の方。外国で自立して生きてゆくことには、大変なストレスもあると思いますが、こうして集まって楽しい時間を過ごす機会は、とても心がなごみ、リラックスになると言う方もいました。でも一番暖かい心をいただいたのは他でもない私たち。感謝でいっぱいです。

3月11日の大震災。
いまだ続く余震と原発の問題。
1か月を経てもあまりの状況に言葉がでない。

連日新聞に載る膨大な数の亡くなった方々の名前。
そして未だ行方不明の人々。

戦後のような状況。
先が見えない被災地の人々の生活。
小さな子供や老人がいる家族の苦悩。
毎日迫り来る余震の足音に怯える日々。
死者行方不明者2万人以上。

自分の国で経験するこの未曾有の災害。

そして主人の国も被災した2004年のスマトラ沖地震と大津波。
マグニチュード9.3
死者22万人、負傷者13万人、被災者500万人

想像を超えた被害だったことを今回改めて実感。
あの頃、地震研究者だった主人は
日本の調査隊の一員として現地に行き、自分の国も見た。

いまあの被災地はどうなっているのだろうか。
7年経って、どのくらい復興できているのだろうか。


 日本ではなかなかお目にかかることのないミャンマーの映画やドラマ。都内のミャンマー人御用達店のなかには、ミャンマー製の映画やドラマのビデオレンタル店もあり、うちの主人は定期的に借りてくる。そのおかげで私も度々目にするのだが、なんとも独特な感じなのだ。以前は素人っぽいカメラワークや音声の不調が気になったが、最近はだいぶよくできたものが増えてきている。
 ドラマを見ていると、若者たちの流行や考え方がわかって面白い。伝統的な家族のなかにありつつ、欧米の影響をうけた生活スタイルやファッションへのあこがれを感じるが、俳優陣は立派な体型にばっちりメイクで、日本人から見ると、インド映画のセンスに近いだろうか。
 主人が借りてくるドラマは恋愛コメディーが多いのだが、べタなストーリーや、シリアスな展開、人気俳優たちのくそまじめな表情、女性達は積極的ですぐ怒る、コミカルな外野のツッコミ等など、そういえばどこかで見たような・・・・?そう、数年前に日本で吹き荒れた韓流ドラマとどこか似ているのだ。聞くところによると、日本と同様、ミャンマーでもしばらく前から韓流ブームが起こっていたらしい。だが、おばさま方に火がついた日本とは異なり、ミャンマーではアメリカからの影響を含め、若者の間で外国文化人気が広まっているという。特に最近のドラマのスタイルは、韓流っぽいものが若者受けがいいらしい。
 私自信は韓流ドラマにもミャンマードラマにもあまり思い入れはないのだが、韓流がこんなにも国を超えて、アジア人に影響力があるという事実は面白く感じている。

先日、ミャンマー人のお坊さんから、とても考えさせられるお話を伺う機会がありました。

このお坊さん、現在は日本に住むミャンマー人のために単身赴任で来日されていますが、ミャンマーのお寺では、親のない子や貧しい子供のための養護学校のようなものを営んでいるそうです。そこでは、現在300人以上の子供を受け入れているのだそうですが、この生徒たちのお昼ご飯と教科書や文房具代、そして指導に当たる先生10名ほどの人件費とあわせて、ひと月に10万円くらいかかるのだそう。寄附でまかなわれていますが、運営は厳しいとのことでした。

日本では、一家庭でも子供に月10万円くらいかかってしまいます。同じお金で、ミャンマーの300人以上の子供と先生のための学校の経費が賄えるのです。私たち夫婦も、今度ミャンマーに行ったら、実際にその学校を見て寄付してきたいと考えています。と同時に、他にも社会の役に立ちたいと考えている個人や企業に、そういった現状を知ってもらい、何か行動に移すことができないだろうか、とも考えています。

今日は、駒崎弘樹さんの『「社会を変える」お金の使い方−投票としての寄附 投資としての寄附』を読みながら、一段と行動することへの勇気をいただいたのでした。行動の方法や形には様々な可能性がありますから、しばらく模索することになるでしょうけれど、一歩踏み出してみることが重要なのだと思います。

Gakkou昨年ミャンマーの主人の実家に行ったとき、1歳半の娘をつれて、主人の母校の小学校に遊びにいきました。

木と竹を編んだ壁にとたん屋根をかけた、平屋造りの校舎のその学校は、よく日本で見る、いかにも東南アジアの貧しい学校、という風情です。でも木々に囲まれた自然いっぱいの環境は、子供にとって何よりの楽しい学び場に違いなく、まじめで優しい先生たちの雰囲気と相まって、羨ましいくらいのびのびとしていました。

久しぶりの学校で、懐かしい先生と談笑した主人は、この学校を誇らしげに私に案内してくれました。珍しい外国人訪問者を前に、たくさんの子供たちも控えめな笑みを見せながら出迎えてくれました。

ちょうど竹でできた校舎の脇には、レンガを積んだ新しい校舎を建てる工事が始まっていました。わずかばかりの寄附をするつもりで訪れていた私達は、校長先生と相談して、そのお金は新校舎の窓にガラスを入れるために役立ててもらうことになりました。

あれから1年近くたった最近のこと。
「子供たちに衛生的なトイレをつくってあげたい」
と主人が言い出しました。あの小学校訪問の時、校長先生がトイレの問題を話していたらしいのです。今のトイレは、地面に穴を掘って埋めるだけのボットントイレで、とても不衛生な状況なのだそうです。せめて新校舎建設を機にタンク式の手動水洗トイレにしたいのだが、そのためには日本円で80万円くらいかかるのだとか。

それはコンクリート製の巨大なタンクを地下に埋め、5年後とか、10年後に薬剤を入れて処理し、土にかえす、を繰り返して使うのだそう。汲み取り式ともちがうこのトイレ、実物を見ていない私にはちょっと理解しにくいのですが、主人の実家があるメティッラーでは多くの家庭が採用しているタイプのものなのだそう。主人の実家ではその工事に3、40万円くらいかかった(10年用)というから、学校でその値段というのは容量は大丈夫なのだろうか・・・・?

具体的な形はともかくとして、母校の後輩にせめて清潔なトイレを、と願う気持ちはとてもよくわかる。一般的に海外から途上国を支援したいと思っても、必要なことが膨大すぎて、何から手をつけたら良いのか、個人レベルでできることは何か、いつも悩んでしまう。できれば目に見える形で身近なところから支援したいと願う私達は、この小学校のトイレの改善を実現させようではないか、ということになった。

ニューヨークに住む姉も、そしてミャンマーに住む他の兄弟も、やりくりして少しずつ出資したいと言っている。いや、メティッラーで米屋を継いだ姉は、足りない分全部自分が払いたいという勢いだ。それなら、実現は不可能ではないだろう。

ミャンマーではこのように、学校や寺院の改修工事が寄付で賄われることが少なくないのだという。地元政府が何とかするべきインフラの問題のように見えるけれど、電気は二日おき、ガスはなし、水道は井戸水、という町では、公共事業に期待していたら、何十年先になるかわかりません。

でも、ふと思うのです。こうやって、少数の個人が自腹で出資して一つ解決したとしても、それでいいのだろうか。解決されるべき更なる課題はたくさんあるわけで・・・。

一方で、先進国には、誰かの役にたちたい、とか社会貢献したいが具体的な成果が見えないもどかしさを訴える個人や企業もたくさんいる。そういうギャップを埋める橋渡しの活動ができたら、それは兄弟でお金を出し合って、ひとつの小学校のトイレを改善するだけではない、もっと大きなものが生まれるのではないか。

学校の問題、トイレの問題や、水の問題は、世界の途上国あちこちで叫ばれている古典的ともいえる問題で、多くのNGOやボランティアがすでに取り組んでいるはず。私達も少し勉強して、母校のトイレという具体的な対象を手掛かりに、個人の枠を超えた支援の形を模索してみたいと考えている。



先日、フェアトレードショップでミャンマー産のシルクのスカーフを購入してきた。かなり張りのあるこげ茶の縦糸に、細いグレーの横糸で織られており、透け感があるのに、しっかりとしていて、デザインも洗練されている。デザインを日本の方が指導し、現地の織物学校で作られたものだという。

最近、フェアトレードについての本や情報をよく集めていた私は、ミャンマー製にしてはとてもモダンなデザインにウキウキしながら、夫とフェアトレードの可能性について話してみると・・・いろいろと現地人側からの意見が。

いろいろあるが、一番議論になったのは、各地のフェアトレード商品全般で主流となっている、先進国の人が先進国の人向けにデザインした商品はフェアじゃないのでは、ということ。

このデザインじゃ売れないから・・・と、海外で売るためといって、現地の人だったら絶対に使わないデザインのものを作らせていることに、そしてお金をもらえるからという理由でそれに従っている現地の人に、フェアじゃないものを感じる現地人は少なくないという。

フェアトレードのポリシーとして、現地で廃れかかっている伝統的な文化の継承を目指して・・・云々ということもよく聞かれるが、現地での伝統的なデザインだって廃れてはいけないのではないか。

経済的な面に着目して、技術者の確保や関係者の自立支援を促すというフェアトレードの一つの目的は、私は全く賛成で、できれば自分も支援していきたいと考えている。しかし、対象国出身者の目線はそうでもない、ということが私にとっては新鮮だった。客観的な提案に反感がもたれるのは、ときに無知による場合もあるが、独自のやり方に高い誇りをもっているため、ということも見落としてはならないと思う。文化であってビジネスではない場合である。そういう国際的な理念との軋轢は、私がかかわっていた文化財の保存の場合にもよくあった難しい問題である。

そもそも、必要だから作っていたはずのものが廃れかかること自体、現地における市場原理も働いている。そこにはデザイン以外の問題もあるのだから。そこに売れるものを作る、という資本主義的な働きかけをすると、どうしても市場は外国人向けになる。実際に地元の人には必要ない、欲しいと思えないものである場合が多い。将来的には現地の人に活動を継承してもらって・・・とまでいうのだが、それは本当に先進国の側からの見方にすぎないことも事実だろう。

ちなみに、夫が抱く反感は、ガイジンによるガイジンしか買えないデザイン、それを社会的な事業として讃える最近の風潮に対しての模様。外国人がデザインしている場合には、なにもフェアだの社会貢献を全面に出さず、普通に新しいビジネス、というのなら何の抵抗もないのだそうで。

でもフェアトレードという言葉には、アンフェアな国際企業の労働条件下に苦しむ現地人がいることや、途上国の生産者の現状について、関心のない人にも考えてもらおうというのが本来の趣旨なのだから、とても意味がある。ただ、その言葉自体が、先進国側からの概念であることは間違いなく、現地のひとが’フェア’という言葉に、彼らの個性を認めること、を求め、ときにそれが裏切られていると感じるのも無視できないことだと思う。

↑このページのトップヘ