MYITTAの工房

日々のくらしや手作り、ときどきミャンマー

カテゴリ: つれづれに

最近気づいたらショパン、そしてアルゲリッチにはまっています。

昨年のコロナ禍以来、まずYouTube で久々にピアノ演奏をよく聴くようになり、次いで一年延期されてどうなるのかと見守った5年に一度のショパンコンクールのアーカイブを聴き比べ、ショパンの曲を聴いるうちにアルゲリッチに行き着いた、という流れ。

とくにこのところ、ショパンのピアノコンチェルトop11にハマってしまい、仕事の合間の昼休みも含めて朝からいろんな演奏を聴いて頭の中はピアノの音でいっぱいになっています。

この曲は憂いを帯びた曲調も素敵ですが、アルゲリッチの流れるような円熟みを帯びた演奏はやはり比類なく圧巻です。

しかし一番すごいのは65年のショパンコンクール優勝時の演奏!若き日のアルゲリッチの演奏は、一つ一つの音が人懐こい妖精のようで、生き生きとしています。

脳細胞が若返るような刺激がもらえるアルゲリッチの演奏の効果は薬以上!

アルゲリッチを再発見できたことは、コロナ禍の貴重な収穫だったかも、と思わずにいられません。




週末に大バッシングが起きていた大坂なおみ野会見拒否のニュースは、大会棄権と鬱の告白という急展開に着地、世界中にさまざまな後味の悪さを残す結果となっている。

正直、会見拒否で罰金もどうかと思っていたが、四大大会出場不可という脅しはやり過ぎだと感じていた。

今どき、さまざまな意見表明のやり方があるのだし、専門は話すことではないのだし。

今日、緊張して取り組んだ仕事であまり上手くいかなかったけれど、珍しくあまり落ち込みも反省もしすぎないで済んでいる。

本番前の昼に光浦靖子のエッセイを読み、疲れて帰宅後は「今日も厄日です」を読んで、いい感じで力が抜けたからだと思う。

若い頃は、真面目すぎたからか、よく思われたかったからか、何事も自分に厳しく、高めの基準を標準としてしまう癖があった。もちろん今でも若干そうだが、歳を経て、無駄に頑張っても自分が思うほどの意味も成果もないことがわかってきた。それより、無理なくバランスのとれた心の在り方を優先するほうが、何倍も良いのではないか。だって、どうせ誰も気にしていないのだから。

日本の狭くて肩にはまった教育を受けてくると、なかなかそれに気づかない。

気づいて自分らしくマイペースになることと、オバさんが完成に近づくこととは深い関係がありそうだ。

だから、なんだかんだ言って、あの若さであれだけの結果を残し、メンタルヘルスについて告発したり、社会に問題提起できる大坂なおみは、やっぱりすごいと思う。

私もオバサンになる前に、自分の心と向き合うべきだった!

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連休にカズオイシグロの最新作「クララとお日さま」を読みました。AIを搭載したロボットのクララによる優しい語り口で、厚さの割に思いの外あっという間に読了してしまいましたが、久しぶりに、不思議な読後感がいつまでも続く作品でした。

美しい子供とか、お日さまへの崇拝や友情についての純粋さへの賞賛のコメントが多いようですが、私はそういった眩しい面のほかにも、文学だからこその面白さや静かな警鐘のようなものも感じたので、備忘録がてら書いています。

まず、全編がロボットのクララによる観察の語りですが、この人間への洞察と何か観察者独特の偏った視点が味を出す手法は初めての感覚ではない…前にもどこかで…と思い返したら、「吾輩は猫である」でした。吾輩もクララも、独自の感性で、よく家族を観察し、理解しようとしています。その狭い世界の中に、人間の愛や愚かさがよく炙り出されているのです。

この作品は、文字だからこそロボットの観察力の表現に成功しているという面白い面もあると思います。著者は、翻訳者に対して、生まれたてのAIならではのクララ語をそれらしく訳出することを求めたそうです。全体的にあらゆる場面で説明がシンプルで、汲むべき行間が多いと感じるのですが、それが想像力を掻き立てているところでもあるでしょう。

例えば、最後の場面で、自由に動かせるのが頭だけ、視線だけとなったクララが、懐かしい店長さんと再会する場面。大変美しい語り口のままでしたが、もしこの場面を映画にしたらどうなるでしょう。残酷なものがたくさん写りこみ、見る者はそちらからの情報が多すぎて、また、人間の見慣れた先入観が情報を補いすぎて、間違いなくクララの視点を失うでしょう。

歳月がたってから、廃品置き場を訪ね歩いていた店長さんは、どんな身なりでどんな目的だったのか。おそらく風貌や景色が見えることで、クララにとっての店長さんとの関係に、別の印象がもたらされることでしょう。

他の場面でも、夕日に包まれた小屋の場面のように情景描写が際立つ場面がある一方で、敢えて物足りないくらいシンプルな描写にとどめている場面が多いと感じました。

文学だからこそ成し得たロボット目線による対象の絞り込みや世界観があるのだと思います。

また、クララの太陽盲信について。純粋だとか崇拝と理解する声が多いようですが、私はこれには、AIの暴走を仄めかしたのではないかと感じています。確かに、愛ゆえの一途さを示しているのですが、見方を変えれば執拗な目標の破壊に他なりません。頑なに信じたことを突き進むのは、人間なら思い込みで済むかもしれませんが、AIは最終目標を設定してしまったら、善悪の判断の余地は無いわけです。

友情もどうでしょうか。クララ達AIロボットは、子供の良き友達となることを期待されて造られ、購入され、消費されています。良い友達になることが目標なので、その目標に向かってクララはいつも努力するのです。そう造られているのです。子供が大きくなり、或いは目標が達成されて用済みになったとき、読んでいる私達人間は悲しいと感じますが、クララがそう感じたとはどこにも書かれていません。おそらくやはり、感じることはなく、理解できてしまうのでしょう。登場人物も当たり前のようにそれを受け入れている時代のように描かれています。

文学としては、それが一層現代の読者の感情を揺さぶることになります。

全体を通して、AIと人間との友情の可能性を賛美したり、クララを美しい子供として描いたという印象がありません。むしろ、今後関わりを深めざるを得ないAIに対して、ポジティブに捉えることもネガティブに捉えることもなく、一定のドライな距離感を感じるのです。

AIという鏡を通して、友情や家族愛、孤独や傲慢といった、人間の欲望や心の波を浮き立たせるとともに、AIそのものが負う、人間とは異なる性を敢えて強調しようとしているように思います。

それにしても、いつまでも不思議な読後感が続くのは何故なのか…。


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ミャンマーのクーデターからもうすぐ2ヵ月。

状況はあっという間に悪化し、過去何年もつづいた穏やかな発展の兆しがあっという間に崩れ去りました。

しばらくの間、民主化に舵をきったかに見えていたのは何だったのか。

私たち家族がヤンゴンに住んだ5、6年前は、希望に満ちすぎてインフレが酷かったけれど、一番平和な時期でした。

我が家の庭ではライラックの蕾が膨らみ、球根が花をつけ始め、これから迎える春本番に向けて助走をつけてるよう。

ミャンマーの春はどこに。

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イタリアはミラノに住んでいた頃、よく中国人と間違えられました。いえ、正確にはイタリアだけでなく、他の国でもあまり日本人と認識されなかったような記憶があり、いつも不思議に思っていたのです。
通りがかりの同胞と間違えられて中国語呼びかけられたことも、一度や二度ではありませんでした。

顔や丸くて目も丸いからなのか、服装が日本人らしく(きっちり)していないという見かけの問題からなのか。はたまた、一人で行動していることが多く、遠慮がちとは程遠い言動からだったのか・・・。
当時、海外では日本人はお金持ちの旅行客のイメージがあったので、日本人と思われないことは、スリに逢いにくいとか、値段を吹っ掛けられないなどのメリットもありました。

それから何年も経ってから、ミャンマー人と結婚し、ミャンマーに旅をしたり住んだりするようになると、そこでも私は中国人かミャンマー人と間違えられることが多くなりました。しゃべらなければ日本人だと思われないよ、とありがたいのかどうかよくわからないことを言われることさえありました。

外国人料金設定の多いミャンマーですが、中国系の住人は多いので、中国人かミャンマー人に見られると、どこに行っても外国人料金を課されないというメリットがありました。

だから長い間、そうか、私は中国人っぽく見えてラッキー♪くらいに思っていたのです。

ところが、先日、ヤマザキマリさんの本を読んでいて気づいたことがありました。

20年くらい前から北イタリアには中国人がたくさん入ってきていて、多くの企業が表面的には見えなくとも社長は中国人、という状況が静かに進行していたらしいのです。気づくと、イタリア行きの飛行機のファーストクラスはほとんど中国人だったそうで、イタリアと中国の関係は、人材も経済的にも切り離せないものになっていたとのこと。新型コロナウィルスが早くからイタリアで感染拡大したのも、そういった人の流れと無縁ではないだろうというのです。
20年前といえば、私がイタリアに留学していたころです。

そして、中国人の進出といえば、ミャンマーではとっくの昔から有名です。ミャンマーでは町中に、目に見えて中国が根付いています。

つまり、中国人の人口が多いのです。だから私が中国人に見られたのは、その辺を歩いてるビルマ族っぽくない人は、たいがい中国人だったからなのでしょう。

イタリアで中国人に見られたのも、中国人からよく話しかけられたのも、私のルックスのどこが中国人っぽいというより、アジア人が目立つ環境で、多数派のアジア人といえば中国人だったということです。

長年のナゾが解けました。そして改めて中国の圧倒的な存在感にも身をもって気づかされたのでした。

ミャンマー軍の突然のクーデター。
日本や世界の国々が多少の制裁に舵を切ったところで、中国が黙認している限り、何の効果もないのでしょう。



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ほぼ家で過ごすことになったコロナ禍の年末年始。
時間ができたついでに、キッチンの収納や道具を見直してみました。今回新たにキッチンに導入して感動したモノベスト3です。

その1は、なんといっても冷蔵庫!
これまでの冷蔵庫は娘が産まれる前に買ったスリムでシンプルなタイプで、はや13、4年モノだったのですが、、、。昨年、冷凍庫の奥の冷気吹き出し口に氷山ができているのを発見し、夏を越えられるか心配つつ様子見していました。
働く母としては、かねてより冷凍をもっと活用したかったため、フリーザーを別途買うかどうか迷って検討の結果、冷凍庫の大きい冷蔵庫に買い替えました。

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シャープのメガフリーザー。
これが大正解で、合計170リットルという冷凍室は見た目以上の驚異的な収納量!コストコや業務スーパー、大量に作り置きした食材など、どんどん入ります。
ほんとにありがたや。

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キッチン革命その2は、魚焼きグリルで使えるグリルプレート。魚焼きグリルは、魚を焼くばかりでなく、活用すればフライパンより絶対美味しくなることに気付いていたものの、洗うのが面倒臭くて、使いこなせていませんでした。

家時間が増えた今期、やっぱり美味しく簡単にグリル調理がしたいと思い立ち、IHの魚焼きグリルで使用可能なニトリのグリルプレートを導入。肉も魚も野菜も期待以上に美味しくて、そして調理も後片付けも簡単!一日に何回もグリルを使うようになりました。

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ニトリのサイトからの図ですが、サイズも絶妙だし、軽くて本当に使いやすいのです。もっと早く使っていれば良かった。


そして、その3はシンクまわり。広く使えるよう、思い切って生ゴミ三角コーナーを廃止し、シンクの内側の左1/4に渡して設置していた水切りカゴを、シンクの外に置く大容量のものに換えました。

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燕三条のステンレス製伸縮水切り。

シンクの奥行きよりも少し大きい奥行き57センチで、普段は幅はスリム、広げて大容量に変えることも可能です。縁は断面が四角い細いステンレスで、シンプルでムダのないデザイン。しかも、しっかりしていて造りが良い!!たかが水切り、されど毎日目にして使うもの。惚れ惚れする水回りとなりました!

こうして今年の巣ごもり年末年始は、キッチンまわりが無事アップデートました。



今年もはや12月。
コロナに始まりコロナに終わる未曾有の一年です。

ただ、新型コロナ問題を別にすれば、個人的に今年一番大きな出来事は久方ぶりに正社員になったことでした。

出産を機に常勤職をやめてから、かれこれ12 年。一旦主婦になり、ときどき非常勤やボランティアで働き、ミャンマー生活を経て、帰国後に契約職員などを再開し、40代半ば過ぎにして12年ぶりに常勤になりました。

子供が小さい頃は、良いママ友に恵まれて楽しく過ごしていて、またいつか、子供が小学生になったら何らかの形で働きたいと思ってはいましたが、漠然としたものでした。働くにしても、得意なデザイン関係か、日本語講師がらみで何かできれば、というくらいだったのです。

そんな呑気な感覚が変わったのは、やはりミャンマー生活以降でした。

当時アメリカの企業に勤めていた夫が、希望して異動したミャンマー転勤で、待遇面でも悪くない条件ではありました。

しかし、外国人の夫が外国企業へ海外転勤するのに伴うとなると、様々な日本の法律や社会保障制度から切り離されていきます。自分自身は任意で国保には加入しておきましたが、紐の切れた凧のような気分でした。

日々の暮らしでは、経済的にも生活面も全て夫に頼るしかありません。好きだった車の運転ができず、公共交通機関も使える状況にない中、移動も買い物も人に依存する毎日です。

日本語を教えたり、就職指導をするようになってからは、能力と気力さえあれば、一定程度の仕事や収入にありつけるという日本の当たり前の素晴らしさにも改めて気付かされました。有休休暇もあるし、何しろ急にクビにもなりません。失業した場合でも、失業保険だってあります。納めるものを納めれば、減るとはいえ、将来年金だって貰えるのです。

そして医療保険!デング熱にかかってしまった時は、輸血ができないミャンマーで、同じ時期にデング熱にかかった日本人がチャーター機でバンコクの病院に運ばれたと聞いて、心底心配になりました。私の場合は輸血が必要なほど重症化しなかったのは不幸中の幸いでしたが。

日本的な生き方や働き方を嫌ってミャンマーに住むことになった日本人にも時々出会いましたが、それはむしろ、私自身とのベクトルの違いを自覚させられる機会でもありました。

社会的にも、解決しようのない様々な問題を経験するにつれ、以前は好きになれなかった日本人の生真面目さや細かさ、日本の法律や制度がいかに優れたものであったかに思い至ったのです。

それはかつてイタリアに留学した時や、様々な途上国でのフィールドワークをしていた頃に感じていたものとは違うスケールの感覚で、やはり子育てしながら生活者目線で社会を見たからこその実感だったのだと思います。

日本も格差社会と言われるようになってきましたが、ミャンマーはじめ、様々な国と比較すれば、まだまだチャンスに恵まれた国。地球上では、どの国に生まれるかによって、歴然とした差があるのです。

日本に帰ることを決めた時、まずは日本人として日本社会の枠組みの中にコミットし、自立したいと思い、仕事を探しました。

既に40代に突入していたので、あまり好きではなかった英語も無理矢理売りにして探した結果、幸い先に仕事を決めてから帰国することができました。フルタイムではありませんでしたが、時々ニュースにも登場するような著名な方の秘書を2年ほど務め、その後また別のご縁があり、教育研究機関で契約職員となり、2年目。

内部登用試験を勧められ、今年から常勤となりました。年齢を考えるとありがたいことですが、海外経験や英語力が役に立ったので、ミャンマー生活もまあ活かされたといえます。

帰国後の私を見て、かつての主婦時代のママ友から、どうしてそんなに仕事するのと聞かれたことがあります。その時は、逆に聞かれたことに驚いてしまいましたが、確かに子育てしながら主婦をしていた頃は、フルタイムで働くことはハードルが高いという雰囲気があったのです。

しかし、人生100年時代がクローズアップされ、今ではかつての主婦友も、ほとんどフルタイムで仕事をしています。

今年は新型コロナで辛い社会状況でしたが、だからこそ、日本で仕事ができることはありがたいと思う一年でした。

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夜、寝室に入ると、床に何やら黒いものが粉々になっていてギョッとしてしまいました。

よく見ると、それは去年のクリスマスリースからもぎとられた松ぼっくり。

やられた…!と思ってもあとのまつり。

季節もののグッズをしまっていたクローゼットが少し空いていたので、そこから取り出して噛んで遊んだのでしょう。


我が家ではワンちゃんは室内にいますが、毛が長く、しかも抜け毛が多いタイプなので、寝室には侵入禁止にしています。

とはいえ、柵をもうけているわけではないので、少しでも扉が開いていると、人の目がない時はこっそり開けて侵入しているのです。

たいがい痕跡が残っているので、「あー入ってたでしょ!」とバレて怒られるのですが。でも本人は、人の目のないところで、こっそり禁止区域に侵入するスリルがたまらないらしく、どこか開いていないかと家中をパトロール。あちこちにその痕跡が残されていたり、出てくるところを目撃されたり。

今日も、また私の寝室に松ぼっくりの残骸が散乱していました。クローゼットはしっかり閉まっていましたが、前に略奪されたときの一部がどこかに落ちていたのでしょう。

本人はもう廊下の自分の毛布の上で寝ていますが、残骸を見て、こっそり侵入して松ぼっくりで遊んでいる姿を想像し、親バカにもかわいいなと思ってほっこりしてしまうのでした。


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英語の勉強を続けていると、急に英語力が伸びたなと自分で実感する時があります。
とくに、心から何かを伝えたいと思った時に、自然に言葉が出てくるように思います。

私の場合、今までで一番英語で話すのが上達したと感じた瞬間は、義理の姉に主人の文句を言ったときでした。

その日は、ニューヨークに住むミャンマー人の義理の姉親子が来日し、我が家に泊まりに来ていたのですが、普段は家事をろくに手伝わないで料理の文句を言ったりする夫が、姉の前だとかいがいしく家事を手伝っているふりをしたのです。

いつもはやらない癖に・・・。と私。義理の姉は私の言葉に鋭く反応し、そうでしょう、想像できるわ、と共感してくれたのでした。そのとたん、私の日ごろの不満が噴出し、止まらなくなってしまったのです。驚いたのは、とめどなく英語で文句が流れ出る自分に気づいた時です。言いたいことが優先で、文法なんて二の次だったのです。

海外旅行から帰ってきて日本の空港に降り立つと、急にアナウンスがすっと耳に入ってきて驚く(日本語なので)という経験がありますが、それと同じような驚きでした。そのくらい、自然に言葉が、いえ文句が流れ出てきたのです。

感情は言葉や文法を超えるものなのだと思います。

この経験を、私はミャンマーで日本語を教えるときにも使いました。上級クラスで、ディスカッションや発表をさせてみても、定型表現や優等生チックな答えばかりで、通常はなかなか盛り上がらないものです。特定の生徒以外は、話せるのに話さないこともよくあります。

そこで、ある自由セッションの時間に「これまでの学校生活で一番嫌だったことは何ですか」と聞いてみたのです。ミャンマー人は目上の人や先生に対してとても礼儀正しくするよう教育されているので、いまいち本音が見えないと日ごろ感じていたので、本音を聞いてみたいという気持ちもありました。

すると、一人がミャンマーの受験戦争の厳しさについて語ってくれました。親戚のライバル心の強さ、失敗したと笑われて悔しかったことなど、涙ながらに話してくれたのです。

するとほかの生徒も、ミャンマーの学校は絶対に先生に反対意見を言ってはいけない、なんでも「はい」と言わなければいけない教育が嫌だと言い、次々に生徒たちが話し始めたのです。

文句を言ってはいけないと教育されているので、日ごろ不満に感じていることを教室でシェアするのは初めてで面白かったと言う生徒もいて、時間がたりないくらい盛り上がりました。前にも後にも、あんなに生き生きとした生徒の顔を見たのは初めてというくらいでした。

心からあふれる思いを表現するのは言葉を学ぶための大きなモチベーションになります。いつも不満を言うのは教育上良くないかもしれませんが、たまには言いたいことを言って「外国語」という檻から自分を解放するのも悪くないと思います。

最近の自分の英語学習について振り返ると、オンラインの英会話の気の合う講師とおばちゃんトークを繰り広げると、一日の疲れがとれて癒されます。残業が続いたり、疲れている日ほどレッスン予約を入れたくなるのです。これは昔の日本の飲みニュケーションと同じ効果なのかもしれません。


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私は長年主婦だったこともあり、英語学習は独学でしたが、仕事で英語を使う機会が増えてから、アウトプットの機会を増やしたくなり、オンライン英会話を始めました。

最初は主婦からの再就職の武器になれば、と読む聞くの独学ばかりでしたが、Toeicで900点になったあたりで、話す書くが苦手でバランスが悪い自覚があったのです。リスニングは、毎日CNNを見ているのでかなり慣れてきましたが、やはり日常的なアウトプットの機会が圧倒的に足りないのです。

今は低価格のオンライン英会話がたくさんあるので、いくつかの会社の体験レッスンを試し、結局Bizmatesというビジネス英語に特化したオンライン英語学習に決めました。 

理由は、基本的なメソッドや教材がしっかりしていて、講師もしっかりトレーニングされた人が多いからです。

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そしてこの会社、元々ベルリッツにいた方たちが始めだのだそうです。ベルリッツといえば、昔イタリア語でお世話になったときに、そのメソッドの素晴らしさに感動したものでした。

Bizmatesは昨今のオンライン英会話の中では若干高めですが、ベルリッツの質とお値段も高さを知っていれば、十分納得です。

実際、一回のレッスン中にできるようになる目標軸がしっかりしていて、嫌でも自分で表現するしかないように構築されているのです。

逆に、他の安いオンラインレッスンは、いかにも体験だけ良くトレーニングされた講師が対応…ならまだ良いほうで、イマイチやる気が感じられない講師がふつうに現れて、反対に驚かされた会社もありました。

これまで、途中、一時休止を挟みつつ、かれこれトータルで1 年ほど続けているところです。

結果は、思ったことをかなり自然に口を突いて出るようになってきたというところでしょうか。なかなか真面目に毎日とはいきませんが、疲れきっていない日は、夕食後にゴロゴロしてしまう時間にレッスンを入れるようにしています。

慣れてくると、気の合う講師も見つかり、なかなか楽しいものです。


数年前から「人生100年時代」というキーワードが世界で注目を集めています。

のほほんと生きていた私も、いろいろ考えさせられました。

そんな中、いくつになってもクリエイティブな発想で新しいことに挑戦する先輩方の生き方は勇気を与えてくれます。

私にとって、そんな方の一人、若宮正子さん。
退職後にパソコンを始め、ゲームアプリを作成し、アップルからも注目される80代の日本人女性です。

そんな若宮正子さんの『独学のすすめ』は、長い人生を楽しく生きるための知恵が詰まっていて、元々、独学好きな私は納得することばかりでした。





人生後半世代にオススメの一冊です。






忙しい日々の中、娘と行く犬の散歩の時間は、学校のことや友達のことを話す時間でもあります。

昨日は、音楽の時間に何やら音感のことで褒められたそうで、ずっとピアノを習っていて良かったと思ったとのこと。ピアノそのものは、もっと上手な子がたくさんいるので、いままで得意と思ったことはなかったようだし、やってて良かったという言葉は初めて聞いたような気がします。

音楽と語学の発音は、大人になってから上手になろうと努力をしても、伸ばすのは難しいというのが自分の経験です。

なので、娘がまだ小さい頃に、とりあえずピアノと英語を始め、嫌いではないようなので続けてきました。英語にしても、最近になってやっと本人も話せて良かったと思う瞬間が多いようです。

私は仕事をやめて専業主婦になった頃、どうせなら時間のかかることに挑戦しようと思った時期がありました。

お菓子作りや梅干し作りにもはまりましたが、独学で興味があった資格に挑戦したり、ガーデニングで実のなる木を植えたり。嫌いだった英語の学び直しも始め、10年経った今はそれらが仕事やリフレッシュに役だっています。そういえば家のローンも時間のかかる大物ですが。

その頃ママ友として出会い、子供抜きでも友達になった友人達にも恵まれました。今はそれぞれ仕事復帰していますが、お互いに時間を調整しながらランチやお茶をして、おしゃべりに花を咲かせています。

娘も来年からは中学生。もう子供時代の養分を糧に、自分で考える時期に入ってきています。

専業主婦時代に蒔いた種が、芽を出し始めたなと思う今日この頃。フルタイムの仕事を始めると、毎日の忙しさで、もはや日々の種まきに目配りをする余裕がないのが現実です。

人生後半のためにも、主婦時代があったことは本当に良かったと思うのです。

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秋に咲くバラ。

バラも様々な種類と出会い、今も庭にあるのは育てやすい四季咲きの品種ばかりです。




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秋の庭に美しいビロードのようなパンジーが加わりました。
毎年寒くなってくると、薄紫や赤紫系のパンジーやスミレを植えますが、こんなに目を奪われる紫に出会ったのは初めてです。

今年も友人宅で育ったブドウをいただきました。粒が多くて甘くて美味しいこと!

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無農薬でも見事に育っているので、結構強い品種なのかも…?
食べた後のタネを撒いてみようかと思いつきました。

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検索したところ、食べたブドウの種から芽が出たという報告が結構見つかります。

たしかに、アフガニスタンの砂漠地帯やミャンマーの過酷な環境でも、ブドウはよく産出していたことを思い出しました。ブドウって肥料もいらないというし、わりとたくましくて育ちやすいものなのかもしれないです。


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果たして芽がでるものか…
でも、もしも芽が出なかったとしてもいいのです。
この待っているワクワク感が楽しいのですから。

そういえば、いつの頃からか、時間がかかるものに魅力を感じるようになってきました。

たとえ一つでも育ってくれることを祈って!!

我が家のコロナ自粛中の過ごし方を振り返ってみました。

【ホームオフィス】

4月に在宅勤務の試みが始まった際、快適なホームオフィスを整えるべく、和室を模様替えをし、パソコンのモニターも買い替え。

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ところが、結局仕事の都合で私はほとんど在宅勤務できず。このスペースとパソコンを占拠したのは、学校登校自粛で塾もオンラインになった娘でした。


【趣味の園芸】

夫は庭に畑スペースを作成。ナスやトマト、きゅうり、獅子唐辛子、バジルなどを育成。このほか、買うと高すぎるシャインマスカットも苗を購入。来年以降、実がなることを祈って!

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【洗濯機が壊れる】

6月洗濯機が壊れるという予想外のことが!13年もの(なんとまだNATIONAL)だったので、予想しておくべきでした。自粛が解除され始まった頃で、急に配送が集中し、新しい洗濯機の配達まで2週間待ちに。コロナ禍の梅雨時、日々コインランドリーに通うはめに。



【プログラミング】

娘が塾のオンライン授業で毎日パソコンに触るうちに、あっという間にパソコンに慣れてしまった。ゲーム用に作ったアバターが、本人に激似で驚く。

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【教科名のスタンプ自作】

学校の自学計画と報告作成用に、科目別のスタンプを探すも、ジムキチにもAmazonにも売っていないことに驚く。仕方ないので消しゴムハンコを自作。手抜きで白抜きの文字に。どなたか手帳用に販売されてるミニスタンプに、教科名シリーズを加えて下さいー!

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【色選びは人のブログを参考に】

店頭から化粧品の色見本が姿を消したため、実際に肌にのせた場合の微妙な口紅の色の違いを確認するため、多くのブログにお世話になりました。同じ色でも、つける人によってかなり変わることを改めて認識。

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【ホットケーキミックスでクッキー】

外食できず、お惣菜も買いに行きにくいため、食事の手作りが充実し、食費も減ったのは良かった点。

一時ホットケーキミックスが世の中から消えた反動で、流通再開してから実家からも沢山届いたため、消費するべくクッキーもホットケーキミックスで手作りしてみました。

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娘の習い事も歳とともに変化してきましたが、5歳のときからピアノは続けています。

と言ってもあまり練習するわけでもなく、なんとか課題を練習し、たまに好きなように弾いて楽しんでいる程度。

引越しもあったし、自分の経験からも続けるかどうかわからないので、今までずっとピアノは何台かレンタルで様子見のままでした。

6年生になるのを機に話し合ったところ、本人はピアノをずっと続けたいとのこと。コロナ禍のなかで、私もこれから老化防止に弾いてみると良いかもしれないなどと思い立ち、契約更新を機にようやく購入を決断。新型コロナ自粛が少し落ち着いた頃に、ピアノを見に行きました。

何台か弾かせてもらい、最近借りていた新品のピアノがなかなか音程が落ち着かなかったことと、アンティークなデザインに惹かれて、中古のカワイをお迎えすることにしました。1970年代のものですが、70〜80年代の国産ピアノは、その後と比べて良い材料を使えていた時代なのだとか。

思い出してみると、私が子供の頃にピアノを買ってもらったのが、まさにその頃でした。結局辞めたり引越したりで手放してしまったのですが。もちろんモノは違いますが、その時代のピアノを今また買うことになるなんて、不思議なものです。

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音楽は世界共通で、私もこれまで関心があるだけで、そこから思わぬご縁が広がったり、楽しい経験に恵まれてきました。娘も、入り口としてピアノを楽しんで続けられたらいいなと見守っています。



ミャンマーから帰って、はや4年半。ブログを放置して3年以上。

主婦からパート、非常勤から常勤に社会復帰し、娘も6年生になり、新型コロナの影響で夫はまだ半分在宅勤務で家事と育児をやりくりしたりして日々の忙しさに追われつつ、ふと気づけば2020年も残り少なくなっていました。

時の経つ速さに驚きます。

ブログを始めた2008年から比べ、SNSの選択肢が広がった現代ですが、最近感じるブログのメリットは、自分が探している古い写真をググって探せること!

ブログを始めた当初は、ミャンマー美術を紹介する意欲に溢れていましたが、今はまた人生の新たな旅路についているようにも感じられる今日この頃。

何やらこれからは人生長くなる時代らしいので、様々なライフステージの備忘録に、また書いて行こうかなと思い立ちました。

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そういえば、先日の雲が幻想的でした。エノキダケにも見えなくない。

以前お世話になった方から、リタイヤ後、イタリアはミラノ住まいになった由、絵葉書をいただきました。

ミラノには私が留学した頃の思い出がたくさんあり、忘れかけていたシーンがぐるぐると蘇ります。

その後、仕事でいろんな国のいろんな方や考え方と出会い、ミャンマー人の今の夫とも出会い、当時進むつもりでいた道は諦め、専業主婦を経て家庭優先にしながらの仕事を模索したり、ミャンマー暮らしの現実を経験したり。

いろいろありすぎて今ではずいぶんと遠くなってしまいましたが、やっぱりイタリアはどうしても特別で、まるで古き良き子供時代のようなノスタルジーの世界なのです。

なぜこんなに違う方向に来てしまったんだっけ?都合の悪いことは忘れる主義ではありますが、当然ながら、消化しきれずにフタをして背負っていることは多々あります。

成り行きまかせに近い自分史に困惑していた時、ある雑誌の表紙に書かれていた言葉が目に止まりました。

『人生って、旅のようなもの』

まさに。確かに。
初めて聞いた言葉ではないけれど、今初めて自分に響きました。

道は一本だけなわけではなく、あちこちに通じていて、どこを通っても、進んでも立ち止まっても、時には引き返したって無駄ではないと思ったら、少し肩の荷がおりた気がしました。

今日、納得できないことがあったとしても、通過地点と思えれば、明日からの道を練り直す元気につながりそうです。




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庭のバラが咲き始めました。

5月だけガーデニングが趣味な私にとっては心踊る季節です。

今年は、庭にある10種類のバラのうち、蕾がついた後に一種類だけ枯れてしまいましたが、他の株は順調に蕾をつけてくれました。

そしてもう一つの楽しみは、高校時代に仲良しだった友達から誕生日プレゼントにもらった花瓶です。

ステンドグラス調のなかなか華やかな花瓶、もう25年くらい経ち、アンティークな存在感が出てきました。

今考えると、高校生でこの花瓶を選ぶなんて、なんて大人っぽいセンスの持ち主でしょう。

この花瓶にはバラが一番よく似合うのです。だから、毎年5月はこの思い出の花瓶が一番映える季節でもあります。




忘れられないパスタがあります。

ローマのL'Archettoというパスタ屋さんのトマトソース味。

ときどき、ふとあのよく焦げたガーリックとオリーブの風味が蘇るのです。ちょっと太めのパスタにいいお味が染み込んで、もう、一度食べたらやめらません。

突然脳裏によぎるあの香ばしい匂い…やはり嗅覚は脳に記憶として残るものなのだということを再認識。

とくにあの店のペスカトーレときたら!!

様々な種類の貝が載って、ボリュームも本当にすごかった。

私がイタリアに居たのはもう16、7年前になります。その後も何度か、ローマに行けるときは必ずあの店に行きました。

私にとってあの忘れられない香りは、おいしい記憶とともに夢いっぱいの若かりし頃を思い起こす匂いでもあるのです。

つまり、青春の香りがオリーブ油とガーリック…⁉︎

イタリアから帰ってから5年くらいは、パスタもコーヒーもイタリア式にこだわりました。やっぱり日本の店ではあの味は食べられないので、必ず自分で作って。

それが今や。子供とスパゲッティを食べるときは、もちろん時短最優先。買ってきたソースを平気で使える日々です。

でも今日は突然、仕事中にあのパスタの香りが蘇り、久々にこだわりのパスタを作ることにしました。

残念ながら、仕事帰りに立ち寄ったスーパーでは、たくさんの種類の貝はありませんでしたが、ラッキーなことにアサリが旬の季節です。有頭のエビもいい味を出してくれて 納得の一皿ができました。

8歳の娘にこの超こだわりパスタを食べさせたのは初めて。いつもは食が細くて遅い娘が、生まれてきて一番のパスタだとグーサインを出して、あっという間に食べてしまったのです。

やはり、娘にも確実にママの好みが遺伝しているようです。

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先日、久しぶりに長年の手作り友達との時間を楽しみました。
学生時代からの友人ですが、歳を重ねて全く別の生き方をしている今でも
手作りが共通の関心事で、話が尽きません。

ギリシャ美術史が専門だった彼女は、センスもバツグンで、
今年の冬もトルコやギリシャで素材集めをしてきたという行動力も健在!

お互いステキな刺激をもらえて、こんな友達がいてくれるのは
きっと人生の贅沢の一つですね。 

今週は娘がインフルエンザで学校も私の仕事もお休みという
ちょっとブルーな日々でしたが、
作品の販売もしているその友人から、ちょっとした朗報も届いたりして、
また励まされたのでした。

この手先の器用な友人との会話を思い出しながら、
ミニ刺繍でピンやブローチを作って過ごした看病の日でした。

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すっかり春になってきました。

気分転換を兼ねて、これまであちこちに分散していた手作りの道具をまとめて、小さなアトリエスペースを作りました。

元々ミシン用にしていた小さなデスクをパソコン用にして、壁際に板でカウンターデスクを作成して新しいミシン&作業コーナーに。

奥の縦長の小タンスは、母が結婚した際に親戚からいただいたもので、もう50年近く昔のもの。

最近見ないデザインなのでインテリアとしても見栄えするのですが、引き出しがたくさん付いているのが重宝するので、度重なる引っ越しに耐えて今も活躍しています。

狭いですが、なんだかとても落ち着くスペースになりました。

最近なんでも一緒に作りたがる娘は、さっそくここで絵を描いたりアクセサリーを作ったり。宿題までやっています。自分の机があるのに!

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職場から毎日見える梅の木。まだ寒かった3月上旬にこんなに満開でした。春を一番先に伝えてくれる木です。

季節の移ろいというのが日本の魅力と感じてやまないこの数年。寒さに飽きた頃に春を告げる梅の木を改めて見直してしまいました。

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夕焼けもきれいでした。


去年もたわわに実がなって、たくさんの楽しみをくれる木でもあります。

今まで梅は和風と思ってあまり庭の木としては興味がなかったのですが、こんなにステキな木だったのかと再発見。

今年からはまた自宅で梅干しを作ろうと思っていたので、将来のために自宅にも梅の木を植えることにしました。やっぱり梅干しには南高梅!

南高梅は自家受粉は難しいそうなので、受粉樹として小粒南高も植えました。まだ地面に棒が刺さってるだけみたいな苗です。

実がつくにはかなり長いこと待たなければならないそうですが、10年後の楽しみを今準備するつもりで。

昨年参加して無事年末にニスまで終わったバイオリン工作教室。
まだ完成の喜びも冷めやらぬところですが、今度は、体験できる工程が増えた大人向けのこだわり工作教室がスタートするとのことで、特別体験教室に参加してきました!

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こちらの教室では、バイオリン本体の表板を膠付けするところから体験でき、ペグを切ってドリルで穴をあけたり、コマの高さの調整、そしてなんといっても、バイオリンの聖域ともいえる魂柱を立てる作業も自分で行いました。

1日の教室ですが、作業が多くて、気づけば写真をとる余裕がありませんでした・・・。
(写真は教室のHPに紹介されているので詳しくはこちら

唯一写真を撮る余裕があったのは、表板を膠付けしたあと、クランプで鋏み、固定するのを待つ間だったでしょうか・・・。

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これを横から見ると・・・

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下側から見ると・・・

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そしてもちろん、膠付けの前に、自分の名前のラベルを貼ることもできます。

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久しぶりにノコギリを握ったり、膠付けでは手早い作業が必要だったり、なかなか緊張の連続でしたが、一番難しかったのはやはり魂柱を立てる作業だったかもしれません。

魂柱はバイオリンの音を左右する響きの要ですから、プロのバイオリン奏者でも自分でさわることはほとんどない聖域のようなパーツです。

そんな魂柱を立ててみるなんて、購入した楽器で試す勇気はありませんから、本当に貴重な体験でした。
何度も失敗するうちに、だんだん大胆になり、最後になんとか立てることができました。

自分で組み立ててみると、なるほど、そうだったのかー!と楽器の構造がよく理解できます。

最後に音大生のアシスタントの方が自分が組み立てた楽器を弾き比べしてくださったのもとても感激する瞬間でした。上手な方が弾くから良い音なのかもしれませんが、今回のキットは材料もグレードアップされているそうです。

これからまた長いニス塗りを始めることになります。。。
今度はもう少し上手に塗れるようになるといいのですが。



ところで、以前作った娘の1/2サイズの楽器ですが、緊張しながら娘のバイオリンの先生のところに持参し、サイズが上がったらレッスンで使って良いか伺ってみました。

ジュリアードでも学ばれた先生で、非常に優しい方なのですが、最初はさすがに
「ええっ!つ、作った??? 珍しいですな。特にその色が・・・。ちゃんと木でできてるのか?果たして音はどうかな・・・私には何とも・・・」
と、困惑された表情。まあ、やはり驚かれますよね。

でも先生は結局、試しにその場で娘に弾かせてみてくださり、

「ほう!音が悪くないね!ちょっとユニークではあるけど、本人がこの楽器が好きだと言ってるなら」
とおっしゃってくださいました!!上手な人が弾いたのではなく、まだバイオリンを始めて1、2年の娘が弾いた音でも悪くないと言ってもらえた楽器! そう、最近私がこのバイオリン工作に盛り上がっているのは、なかなか音が良いということも理由の一つです。

もう少し背が伸びたら使いたいと、娘のモチベーションも上がっている様子。


いろいろと、ドキドキ、楽しみな体験満載のバイオリン工作体験なのでした!


それにしても、ミャンマーから日本に帰ってくると、こうしてバイオリンを作る体験ができたり、そもそも楽器を習えたりすることも、ありがたいと感じてしまいます。

もちろん音楽だけではありませんが、日本ではそれぞれの分野に関わる人が、とても丁寧に計画的に、奥の深さに敬意を払って、物事に取り組む姿があちこちで見られます。

やる気があれば何でも挑戦できる日本の子供は、とても環境に恵まれているなあと改めて思います。


昨年参加したバイオリン工作教室。

(キットバイオリン教室http://www.trymaking.com/

その後、宿題だったニス塗が完成しました!

2種類のニスを合計12回塗っています。
もっと塗っても良いみたいですが、色合いが気に入ったところで終わりにしました。
仕上げにヤスリやオリーブ油で磨くのは加減がわからずかなり適当でしたが、
最後に顎宛てや弦をつけて、なんとか形になりました。

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裏側はこんな感じで、遠目にはきれい(?)

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脇など、ニスが溜まってしまったところも多々あります。

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ネックはニスを塗らないようですが、塗らないところの境目がまた難しく・・・・

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とりあえず、完成して嬉しいです。
そして、工作キットとはいっても、なかなか良い音色なのです。
おととし娘に買った1/4サイズの楽器より良い音がするのは気のせい・・・?
でも娘本人も気に入ってくれて、早く使いたがってくれています。

夕方買い物に行ったスーパーで、激しく泣き叫ぶ幼児を複数目撃。シャボン玉かなんかのオモチャを手に激しく泣き続けてママにアピールする子を見ると、お母さんの毎日の大変さに胸が痛くなりました。

と同時に、うちはいつの間にかその年代を卒業していたな・・・と、ふっと思いました。

娘はあまりスーパーで泣き叫んだことはなかったけれど、買い物カゴに入れた会計前のヨーグルトをカートの幼児席で勝手に開けて食べていたり、ウロウロしているうちに迷子になりかけたり・・・レジ待ちの列でおもらしということも・・・まあ、5歳くらいまではやっぱり買い物に連れて行くのって大変でした。

でも小学校に入る頃からやはり違ってくるのでしょうか。

我が家はインターで学年もずれたりして、小学校の入学式を経験できなかったり、ミャンマーに行ったりして忙しかったからか、いつの間にか気付いたら8歳、すっかり頼もしいくらいに成長してました。

育児で疲れているママ達には、もう少しだよ!と言ってあげたい。

そして、主婦だったママ達が次第に働き始めたり、ボランティアに参加したり、次の活動をスタートさせるのもこの頃。

傍目にはあまり目立たないけれど、育児の一段落は、お母さん達の人生にとっては、けっこう大事なステップなんではないかと感じます。よくかんがえると、人生折り返し地点だったりもします。

大人な時間がもてるようになったらやりたいと思っていた沢山のことも、そろそろ始めてみようかな・・・

地味ながらも、今はひとつの節目の時期なのかな、と感じた夕方でした。






実に久しぶりのブログ更新となります!
我ながら時の経つのの速さに驚いています。

あっという間に飛び去った1年の間に、
ミャンマーではいろいろ、いや本当にいろいろなことを経験し、
主人の仕事がまた日本ベースとなり、家族で日本に帰国、
今月になってようやく犬の帰国も完了し、やっと落ち着いた今日この頃です。

また少しずつ、ミャンマーでの心に残るあれこれを書きながら、
最近も続けている手作りの話題などを書きたいと思います。
そしてリクエストの多い犬の帰国の手続きについても。

この1年の間、ミャンマーでは新政権がスタートし、世界の注目や報道も
変化がみられるように感じます。
去年までは日本の番組でも誇張や期待が先行していた気がしますが、
最近はやや落ち着き、もっと現実を突きつける冷静な味方が聞こえてくるようになりました。
まだまだ、長い長い上り坂です。

日本の今年の夏は台風とともにあっという間に過ぎ行き、
季節の変わり目を迎えています。
前は当たり前すぎて気付かなかった季節の移ろいの素晴らしさというものが
とても愛おしく感じられる今年です。

万年常夏の国では、秋を迎えるという空気は想像すらできないものだから。

お月見にハロウィンにクリスマス・・・
日本の若干商業主義的な季節感に前は呆れていましたが
移ろうものだからこそ、その時々を楽しむということのありがたさ、
そして平和だからこそのこの日々に、感謝の気持ちが湧いてきます。
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BBCのニュースを見ていると最近よく目にする黒髪の国際ジャーナリスト、ヤルダ・ハキームさん。紛争地や自然災害の現場を取材する、エキゾチックな風貌にこの名前。どこの人だろうと気になって調べると、なんとアフガニスタン出身でした!

私にとってのアフガニスタンは、2005〜6年に仕事で滞在したときに見た、内戦後の、それはそれは厳しい世界です。あの国から、世界で活躍する若い女性が出てきたとは!

といっても、彼女の家族はヤルダさんが生後6ヶ月でアフガニスタンを逃れ、オーストラリアで育ったそうです。オーストラリアのSBSで国際ジャーナリストとして活躍した後、2012年よりイギリスBBCの国際ニュースを担当することに。

家族の、そしてアフガニスタンの苦難に再び向かい合うことになった彼女のアイデンティティを知ることができるインタビュー記事が、インディペンデント紙のネット版にもありました。
 http://www.independent.co.uk/news/media/tv-radio/from-refugee-to-war-reporter-yalda-hakim-fled-afghanistan-as-a-baby-and-now-reports-from-the-worlds-conflict-zones-8991572.html
 
これからもジャーナリストとして、彼女だからこそ見えるもの、伝えられるものがあるのでしょう。 

人生には変えられない宿命のようなものと、意思や信念で自ら切り拓けるものが交じりあったものだなあと思います。

ミャンマーでのビジネスに参入する日本企業も増える中、よく見聞きする日本人によるミャンマー人へのイメージの誤解について。


1.『ミャンマー人を雇い、育成しても、少し叱られただけですぐにやめる』わけではないかも。

よくミャンマー人は叱られ慣れていないといいますが、怒るのはよくないという慣習のもと、子供の頃から親があまり怒らないため、自分が悪いという可能性があることすら、理解できていない人が多いようです。

ただ、仕事をすぐやめるのは怒られたことだけが原因ではないかもしれません。そもそも一つの仕事を長く続けるという考え方がないようです。若者ばかりではありません。

というのも、ミャンマーでは、家族親類のなかで最低一人は大黒柱となるべく(お父さんとは限りません、仕事に向いている性格の人がその役目を担います)稼ぎますが、あとの人はまあ、何でもいいという感じなのだそう。すぐに仕事をやめたり、大学まで出たのにニートが多いのはこのためではないかと思います。いい歳をして、職を転々としている人も沢山います。ある意味2:8の法則です。

だから逆に、仕事をしっかり頑張る人は(または自分がその番になったら)、仕事を大切にし、家族親類まで世話したりして、責任感の強い人が多いのです。そういう人を探すのは、少ないだけに大変です。


2.『ミャンマー人は親日』というわけではありません。

ただ、誰に対しても一定の礼儀と笑顔と丁寧さがあるだけです。優しくしているのは日本人に対してだけではありません。


3. 『ミャンマーの若者は素直で勤勉』ではありません。

人の意見に表立って反論しないだけです。自分の価値観を変えない強さは鋼のようです。たとえ一瞬順調に見えても、新しいことにはとても熱しやすく冷めやすいのです。

よく30歳越えると頭がかたくなり、新しい価値観に柔軟になれないといいますが、ミャンマー人は20歳でも既にそんな傾向が。15歳だとだいぶ違いますが。日本への留学経験者でも、18歳から日本に行った人と25歳からではだいぶ身についている価値観や習慣に違いがあって驚きます。


4.『より良い待遇(給料)を求めている』のは確かですが、『お金のために働くわけではない』が続きます。

自尊心やプライベートを犠牲にしてまで働くことはありません。長い目でメリットのあることよりも、短期的な得をとるので、隣の芝生が青く見えればすぐに移ります。


5. 『マニュアルやルールがあればきちんとできる』わけではありません。

日本人が想定する以上に独自の解釈が得意です。約束や時間を含め、『必ず』のものは『almost(だいたい)』と理解されます。日本人の『だいたい』が90パーセントとすると、ミャンマー人の『だいたい』は50パーセントくらいです。
ただ、偉い人や親方クラスからの口承の指示は大切にします。一旦信頼関係ができれば話が早くなりますが、そこまでの関係になるのに時間もかかります。



こういった特性はヤンゴンの人達であって、田舎の人はもっと頼りになると主張する田舎出身の主人ですが、私に言わせれば、おおむね主人にも当てはまります!(27歳から日本に17年、日本の国立大で理学博士号をとり、産総研に勤めてお堅い世界にいたにもかかわらず、です)

それは頑張らなくても人が助けあって食べていける社会だからなのでしょう。人にも自分にも甘いのではありますが、どんな生き方をしても人から悪口を言われる心配もないので、基本マイペースです。

だから、日本人の感覚でこちらがイライラしたり我慢強くなるよりも、彼らの特性を理解して、最初からそれに合った計画をたてねばと思う今日この頃です。



テレビのニュースでリアルタイムに戦争を目撃したことが衝撃的だったイラン・イラク戦争。

映画『ペルセポリス』は、その頃のイランを少女の目から描いたマルジャン・サトラピ(Marjane Satrapi)による秀逸な自伝的アニメーションで、第60回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞。第80回アカデミー賞外国語映画賞の作品です。

シンプルなラインと、モノクロの画面が世界観をよく表していて、少女の葛藤が、国や文化を超えて身近なものとなって迫ってきます。そこかしこに散らばるちょっとニヒルなユーモアのセンスが、時に厳しい内容にもかかわらず後味を良くする、ユニークで力のある作品です。

最近、注目すべきイラン出身の女性の作品が多いですね。

伝えたいものが内側からあふれている、という印象は、なんだかかつてのロシアの前衛的音楽のようで、平和ボケした国から見ると、眩しくも愛おしく感じます。

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