MYITTAの工房

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カテゴリ: ミャンマーの建築

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6月22日、ついにミャンマーのピュー遺跡群が世界遺産リストに登録されることが決定されました。
http://whc.unesco.org/en/news/1158/

日本では富岡製糸場の登録決定が大きなニュースでしたが、ドーハで開かれていた第38回世界遺産委員会で最も注目されていたのはミャンマー初の世界遺産でした。

ピュー遺跡群を構成するのは、エーヤワディー川流域に点在するシュリクシュトラ、ベイタノ、ハリンの遺跡郡です。2世紀〜9世紀にわたるといわれ、有名なバガン遺跡に先行する時代の遺跡郡です。

これでミャンマー政府の観光政策は一気に加速することでしょう。既にバガンやインレー湖の観光化は目に余る程なので、個人的には複雑な思いもありますが。。。。

シュリクシュトラの遺跡については私も訪れた記録を書きましたが(こちら)、ハリンなどと比べて交通の便も悪いので、どのようになっていくのか注目したいところです。

そして今回26のサイトが新たに登録されたことで、世界遺産リストはついに1000を超えました。
これからどこまで増えるのか、増やすべきなのか・・・

でもまだきっと、ミャンマーのように素晴らしい未登録の遺産があることでしょう。

有名なバガン遺跡に先んじる重要な遺跡の一つにシュリクシュトラ遺跡があります。
これまで英語の研究報告が少ないためか、外国人には情報が少ない遺跡だったので、前回のミャンマー訪問の際に訪ねてみました。

事前に博物館の知人を通じて見学依頼をしたので、現地で長年発掘調査を続ける考古学者のウィン・チャイさんに遺跡を案内していただくことができました。

ピューの街にほど近いこのシュリクシュトラ遺跡は、タイエーキッタヤ―村の周辺に散在する複数の寺院とパゴダから成り、街を囲むように15キロほどの円形の市壁も現存しています。

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ここ数年、ミャンマー人専門家らが発掘調査を続け、未整理ながら新たな発見が多数あったそうです。前に登場したイタリア人専門家(エーヤワディー川をともに渡ったミラノ工科大教授)が、数年来ワークショップを行って、現地の専門家の育成にも努めているそう。

遺跡内に残るそれぞれのモニュメントはレンガ造で、主に正方形平面に迫り出し式のヴォールト天井がかかるものや、円錐形のパゴダなどがありますが、その様式や構法はさまざまです。

保存状態の良いモニュメントや、

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ドームの推力で崩壊しそうになったというモニュメントを鉄鋼で囲って抑えすぎたようなモニュメントの他、

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私としてはやはり迫り出し式の天井構造がむき出しになった半壊のモニュメントなどに目が釘付けでした。

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また、最近の地震で崩壊したという市壁の一部も見せていただきました。

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この遺跡の建築の概要については、Kyaw Latの'Historical sites before Bagan ("Art and architecture of Bagan pp.14-25, 2010")'や、Elizabeth H. Mooreの"Early Landscape of Myanmar(pp.167-180, 2007)"にまとめられています。

まだまだ詳細の研究はこれからとのことですが、ウィンチャイさんご自身は、日々目で見た経験から、これまでの定説と違う説う学説もお持ちのようです。はやくその成果がまとめられて、できれば英語で出版してほしいものです。

ウィンチャイさんのおかげで、おびただしい数のモニュメントを効率良く見せていただけましたが、もし一人で旅行がてら回ろうとしたら、なかなか難しいと思います。休憩場所もないので、暑さがかなりこたえました。

でも近くのピューの街にはとても素敵なリゾート風のホテルもあり、ゆっくり見学しながら滞在するには良いエリアでしょう。

ちなみに、ピューの街はラーメンのような麺料理が有名で、とてもおいしかったです。

2011年5月21日(土)に、国士舘大学で開催されたAJフォーラム20 "Preservation of Cultural Heritage in Myanmar"「ミャンマーの文化遺産保存」に参加してきました。講演者は、ミャンマー文化省考古・博物館・図書館局次長を務める女性の方で、民博の研究員として来日中だった方です。
ミャンマーの文化財事情について、それなりの立場の方からの説明を聞けるのはとても珍しい機会です。限られた時間でしたので、概要の紹介でしたが、いくつか印象に残ったことがあります。

まず、新首都ネピドーに新しい博物館を建設中で、文化関係も新政権や新首都といった新しい動きの影響が少なくなさそうだということ。講演者の方に後で聞いたところ、彼女の職場もネピドーに移るかもしれないとのことでした。

そして、パガンがなかなか世界遺産リストに載らない現状の中、政府はむしろ、パガン以前のピュー時代の遺跡群を世界遺産候補として力を入れようという考えがあるらしいことです。観光地としても著名なパガンについては、それなりに研究もありますが、それ以前のものとなると、これまで十分な研究が行われたとは言えません。現存する遺跡の質や量という点で、現実的には難しいのでしょうけれど、個人的には、パガン時代を築く基礎となった前の時代について、その重要性がもっと認識されてもいいのではないかと思っていたのでした。

民主化移行政権がスタートすることによって、文化財政策がどのように動くのか、これはまだわからないようですが、少しでも良いほうに動けばと期待しています。

『アジア・美の様式 下 東南アジア編』、J. ボワスリエ著、石澤良昭訳、1997年(オリジナル版La grammaire des formes et des styles,1978)

東南アジア美術の権威、J. ボワスリエによる本書では、ページ数は限られているものの、ビルマ(ミャンマー)の美術史についての概要が述べられている。石澤先生の和訳により、日本語で読めるという点でも貴重な一冊となっている。5世紀頃以降の遺跡や建築、美術について時代を追って、代表的な作例について紹介されている。考古学上の遺跡分布がわかる地図と、線画による図の資料がついていて、視覚的にも理解しやすい。

ビルマ最大の仏教遺跡バガン(バガン遺跡(1)はこちら)は、中部ジャワおよびクメールとならぶ東南アジアの三大仏教遺跡といわれる。しかしバガンには、前二者にはない真正アーチやヴォールト架構などの建築技術に特徴がある。

石やレンガによる組積造の建造物では、窓や出入り口などの上部に架けるアーチ構造には、大まかに分けて、部材を水平にせり出して間隔を狭めてつくる迫り出しアーチと、部材を放射状に積む真正アーチとがある。後者は古代ローマなどの地中海沿岸の巨大遺跡に用いられていたが、南アジアや東南アジアでは迫り出し式が一般的である。

ところが、バガンでは真正アーチに近い技法でつくられ、頂上部が尖った尖頭アーチや、これを水平方向に連続することでつくられるヴォールト架構が数多く残っている。中には、二重に架けられたヴォールトの上下の間に空間をもつ、いわゆる二重殻になっているヴォールトも残されている。

なぜここにだけ、このような技法が用いられたのか。上部の巨大なストゥーパ状の構造物を支えるために、構造上の必要性から地元で編み出されたものなのか・・・?それとも、どこからか伝わったものなのか・・・?海のシルクロードのルートを考えれば、隣接する地域ではみられない技法が、遠方から伝わった可能性もあるのではないか・・・?

組積造建築において、アーチやヴォールト構造は、大変注目されるテーマでもある。ビルマのアーチについて学術的な研究成果が出ているのか、現時点では確認できていないが、これからも注目してぜひ調べてみたい対象である。


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ビルマ最大の仏教遺跡であり、世界の三大仏教遺跡の一つといわれるバガン。

マンダレーの南西、エーヤワディー(イラワジ)川中流域の東岸に位置し、おもに11世紀から13世紀のバガン王朝の隆盛期に建設された寺院が数多くのこっている。

3000を超える寺院があったといわれるこの遺跡の規模は広大で、40k?といわれるその敷地は、飛行機から見てもすべてを視野におさめることは難しい。

なんといっても圧巻なのはその景観で、日中の灼熱の空気にほてったように寺院群が赤く染まる夕刻、エーヤワディー川のかなたに沈む夕日をただただ眺めるのはすばらしい。

寺院やパゴダには一つとして同じ形式のものはなく、建築様式を見るのもおもしろい。

外観ばかりでなく、他の南アジアや東南アジアにはみられない、ビルマ独特のアーチ架構方法や、仏教壁画、漆喰装飾にも見るべきものがある。

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より深くミャンマー(ビルマ)芸術を知るための専門書を中心に紹介してゆきます。徐々に増やす予定です。

建築・遺跡

-- Historical Sites in Burma, Aung Thaw, Burma, Ministry of Union Cukture, 1978

-- Sprendour in Wood; The Buddhist Monsteries in Burma, Sylvia Fraser-Lu, Orchid Press, Bangkok, 2001

-- Burmese Design and Architecture, Johni Falconer, Elizabeth Moore, Daniel Kahrs, Alfred Birnbaum, Virginia McKeen Di Crocco, Joe Cummings, Luca Invernizzi Tettoni, Periplus Editions, 2000

--Burma Art and Archaeology, The British Museum Press, 2002 

-- 『ビルマ仏教遺跡』、伊東照司著、柏書房、2003

-- 『アジア・美の様式』、J.ボワスリエ著、石沢義良昭監訳、連合出版、1997年

-- 『南の国の古寺巡礼:アジア建築の歴史』、千原大五郎、NHKブックス、1986年

-- 『ビルマの仏塔』世界の聖域10、大野徹編著、講談社、1980年

ミャンマー(ビルマ)では、一般の建築の多くが木や竹などの天然素材を組んで造られてきた。

なかでも、寺院や仏塔には、高度な木造による建築技術が駆使されてきた。

そこには、木組みによる建造技術ばかりでなく、彫刻や壁画、漆塗り、塗金の技術などにも最高の技術が結集されている。木造の仏教建築は、まさに総合芸術である。

戦時中に多くが失われ、現在では18世紀頃からの建造物が残っているが、保存技術の問題もあり、残念ながらその数は減少してきている。



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ビルマ遺跡地図日本の約二倍の面積をもつミャンマーでは、国土のそこここに、多くの遺跡が残っている。その多くは仏教寺院であり、石やれんがで造られた建造物は長い歴史を生き抜いてきた。

古くは9世紀頃に由来する建造物もあり、もっとも有名な遺跡であるバガンには、多い時には数千もの仏塔や寺院などの仏教建築があったといわれ、その規模はきわめて大きい。

しかし、驚くべきことに、この国にはまだユネスコ世界遺産リストに指定された遺産が一つもない。その理由の一つには、この国の文化財の保存理念が、ユネスコが求めるいわゆる世界共通のスタンダードと一致しないことが挙げられる。

彼らにとって仏教寺院は、いまだに生きた心の拠り所である。したがって、過去の姿を保存することではなく、今の自分たちが祈りを捧げ功徳を積むために、たとえそこが貴重な遺跡であっても、人々が皆で金箔を貼ったり、壁を塗ったり、新しい仏塔を建立したりしている。

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