今年もはや12月。
コロナに始まりコロナに終わる未曾有の一年です。

ただ、新型コロナ問題を別にすれば、個人的に今年一番大きな出来事は久方ぶりに正社員になったことでした。

出産を機に常勤職をやめてから、かれこれ12 年。一旦主婦になり、ときどき非常勤やボランティアで働き、ミャンマー生活を経て、帰国後に契約職員などを再開し、40代半ば過ぎにして12年ぶりに常勤になりました。

子供が小さい頃は、良いママ友に恵まれて楽しく過ごしていて、またいつか、子供が小学生になったら何らかの形で働きたいと思ってはいましたが、漠然としたものでした。働くにしても、得意なデザイン関係か、日本語講師がらみで何かできれば、というくらいだったのです。

そんな呑気な感覚が変わったのは、やはりミャンマー生活以降でした。

当時アメリカの企業に勤めていた夫が、希望して異動したミャンマー転勤で、待遇面でも悪くない条件ではありました。

しかし、外国人の夫が外国企業へ海外転勤するのに伴うとなると、様々な日本の法律や社会保障制度から切り離されていきます。自分自身は任意で国保には加入しておきましたが、紐の切れた凧のような気分でした。

日々の暮らしでは、経済的にも生活面も全て夫に頼るしかありません。好きだった車の運転ができず、公共交通機関も使える状況にない中、移動も買い物も人に依存する毎日です。

日本語を教えたり、就職指導をするようになってからは、能力と気力さえあれば、一定程度の仕事や収入にありつけるという日本の当たり前の素晴らしさにも改めて気付かされました。有休休暇もあるし、何しろ急にクビにもなりません。失業した場合でも、失業保険だってあります。納めるものを納めれば、減るとはいえ、将来年金だって貰えるのです。

そして医療保険!デング熱にかかってしまった時は、輸血ができないミャンマーで、同じ時期にデング熱にかかった日本人がチャーター機でバンコクの病院に運ばれたと聞いて、心底心配になりました。私の場合は輸血が必要なほど重症化しなかったのは不幸中の幸いでしたが。

日本的な生き方や働き方を嫌ってミャンマーに住むことになった日本人にも時々出会いましたが、それはむしろ、私自身とのベクトルの違いを自覚させられる機会でもありました。

社会的にも、解決しようのない様々な問題を経験するにつれ、以前は好きになれなかった日本人の生真面目さや細かさ、日本の法律や制度がいかに優れたものであったかに思い至ったのです。

それはかつてイタリアに留学した時や、様々な途上国でのフィールドワークをしていた頃に感じていたものとは違うスケールの感覚で、やはり子育てしながら生活者目線で社会を見たからこその実感だったのだと思います。

日本も格差社会と言われるようになってきましたが、ミャンマーはじめ、様々な国と比較すれば、まだまだチャンスに恵まれた国。地球上では、どの国に生まれるかによって、歴然とした差があるのです。

日本に帰ることを決めた時、まずは日本人として日本社会の枠組みの中にコミットし、自立したいと思い、仕事を探しました。

既に40代に突入していたので、あまり好きではなかった英語も無理矢理売りにして探した結果、幸い先に仕事を決めてから帰国することができました。フルタイムではありませんでしたが、時々ニュースにも登場するような著名な方の秘書を2年ほど務め、その後また別のご縁があり、教育研究機関で契約職員となり、2年目。

内部登用試験を勧められ、今年から常勤となりました。年齢を考えるとありがたいことですが、海外経験や英語力が役に立ったので、ミャンマー生活もまあ活かされたといえます。

帰国後の私を見て、かつての主婦時代のママ友から、どうしてそんなに仕事するのと聞かれたことがあります。その時は、逆に聞かれたことに驚いてしまいましたが、確かに子育てしながら主婦をしていた頃は、フルタイムで働くことはハードルが高いという雰囲気があったのです。

しかし、人生100年時代がクローズアップされ、今ではかつての主婦友も、ほとんどフルタイムで仕事をしています。

今年は新型コロナで辛い社会状況でしたが、だからこそ、日本で仕事ができることはありがたいと思う一年でした。

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