英語の勉強を続けていると、急に英語力が伸びたなと自分で実感する時があります。
とくに、心から何かを伝えたいと思った時に、自然に言葉が出てくるように思います。

私の場合、今までで一番英語で話すのが上達したと感じた瞬間は、義理の姉に主人の文句を言ったときでした。

その日は、ニューヨークに住むミャンマー人の義理の姉親子が来日し、我が家に泊まりに来ていたのですが、普段は家事をろくに手伝わないで料理の文句を言ったりする夫が、姉の前だとかいがいしく家事を手伝っているふりをしたのです。

いつもはやらない癖に・・・。と私。義理の姉は私の言葉に鋭く反応し、そうでしょう、想像できるわ、と共感してくれたのでした。そのとたん、私の日ごろの不満が噴出し、止まらなくなってしまったのです。驚いたのは、とめどなく英語で文句が流れ出る自分に気づいた時です。言いたいことが優先で、文法なんて二の次だったのです。

海外旅行から帰ってきて日本の空港に降り立つと、急にアナウンスがすっと耳に入ってきて驚く(日本語なので)という経験がありますが、それと同じような驚きでした。そのくらい、自然に言葉が、いえ文句が流れ出てきたのです。

感情は言葉や文法を超えるものなのだと思います。

この経験を、私はミャンマーで日本語を教えるときにも使いました。上級クラスで、ディスカッションや発表をさせてみても、定型表現や優等生チックな答えばかりで、通常はなかなか盛り上がらないものです。特定の生徒以外は、話せるのに話さないこともよくあります。

そこで、ある自由セッションの時間に「これまでの学校生活で一番嫌だったことは何ですか」と聞いてみたのです。ミャンマー人は目上の人や先生に対してとても礼儀正しくするよう教育されているので、いまいち本音が見えないと日ごろ感じていたので、本音を聞いてみたいという気持ちもありました。

すると、一人がミャンマーの受験戦争の厳しさについて語ってくれました。親戚のライバル心の強さ、失敗したと笑われて悔しかったことなど、涙ながらに話してくれたのです。

するとほかの生徒も、ミャンマーの学校は絶対に先生に反対意見を言ってはいけない、なんでも「はい」と言わなければいけない教育が嫌だと言い、次々に生徒たちが話し始めたのです。

文句を言ってはいけないと教育されているので、日ごろ不満に感じていることを教室でシェアするのは初めてで面白かったと言う生徒もいて、時間がたりないくらい盛り上がりました。前にも後にも、あんなに生き生きとした生徒の顔を見たのは初めてというくらいでした。

心からあふれる思いを表現するのは言葉を学ぶための大きなモチベーションになります。いつも不満を言うのは教育上良くないかもしれませんが、たまには言いたいことを言って「外国語」という檻から自分を解放するのも悪くないと思います。

最近の自分の英語学習について振り返ると、オンラインの英会話の気の合う講師とおばちゃんトークを繰り広げると、一日の疲れがとれて癒されます。残業が続いたり、疲れている日ほどレッスン予約を入れたくなるのです。これは昔の日本の飲みニュケーションと同じ効果なのかもしれません。


CB27ED5E-D423-4500-BC25-449F605CC3D2
スポンサー