MYITTAの工房

日々のくらしや手作り、ときどきミャンマー

June 2014

ミャンマー語の本や辞書を見かけるとつい購入してしまうのですが、これまで一番勉強しやすかったのは、

加藤昌彦著、『CDエクスプレスビルマ語』、白水社、2004年、でした。

この本は、以前上智大学の社会人講座でビルマ語を勉強したときにテキストとして使い始めたものです。
有名なシリーズのビルマ語版なので、使いやすくて頼れるお勧めの一冊です。

そしてさらに、昨年発売された素晴らしいミャンマー語の本を見つけました。


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『ミャンマー こんなとき何て言う』土橋 泰子、連合出版



こちらは、著者の方が書かれているとおり、言語学習的な書き方というよりは、ミャンマーの日常生活と結びつけながら、知り合いが教えてくれるような優しい語り口の本です。

たとえば、一つの言い方が場面や相手によってどのように変わるのかや、安易に仏像や犬を人間の比喩に使ってはいけないことなど、言葉の背景となる文化の問題が数多く紹介されているのです。生活のためにミャンマー語を知りたい私にとってはまさに待っていた一冊でした。

独学が難しいといわれるミャンマー語ですが、この本と先の『CDエクスプレスビルマ語』があれば、まず概要がつかめるのではないでしょうか。




SK1

6月22日、ついにミャンマーのピュー遺跡群が世界遺産リストに登録されることが決定されました。
http://whc.unesco.org/en/news/1158/

日本では富岡製糸場の登録決定が大きなニュースでしたが、ドーハで開かれていた第38回世界遺産委員会で最も注目されていたのはミャンマー初の世界遺産でした。

ピュー遺跡群を構成するのは、エーヤワディー川流域に点在するシュリクシュトラ、ベイタノ、ハリンの遺跡郡です。2世紀〜9世紀にわたるといわれ、有名なバガン遺跡に先行する時代の遺跡郡です。

これでミャンマー政府の観光政策は一気に加速することでしょう。既にバガンやインレー湖の観光化は目に余る程なので、個人的には複雑な思いもありますが。。。。

シュリクシュトラの遺跡については私も訪れた記録を書きましたが(こちら)、ハリンなどと比べて交通の便も悪いので、どのようになっていくのか注目したいところです。

そして今回26のサイトが新たに登録されたことで、世界遺産リストはついに1000を超えました。
これからどこまで増えるのか、増やすべきなのか・・・

でもまだきっと、ミャンマーのように素晴らしい未登録の遺産があることでしょう。

子供も5歳になると、物事をよく理解しはじめ、なぜ?どうして?なんのため?といいった論理的な思考が発達し始めます。親の言動もしっかり観察されていますから、おちおちしていられなくなってきたなあ、と思う今日この頃。

あのJ.F.ケネディ大統領の母は、9人の育児に関する回想記『わが子ケネディ』(ローズ.F.ケネディ著、大前正臣訳、徳間書店)のなかで、家庭での幼児教育の重要性について『「小さいうちに曲げると、大きな気になってからも曲がっている」という』とたとえています。 

そして次のように書いています。

 「私は育児を愛情と義務の作業だけでなく、知的職業としても見た。それは世界のどの名誉ある知的職業にも劣らないほど興味ぶかく、挑戦的で、私に最高の力を要求数ものだった。」

 「九人の子供をかかえていては、必要事はとほうもなく多く、単に個人的努力だけでなく、たいへんなプランニングと組織化と監督が要求された。私は育児によって管理職になることを学んだ。」

 子育てに対する責任感とプロ意識が伺えます。そういえば、ミシェル・オバマ大統領夫人も自らを「Mom in Chief」と読んでいわば家庭の最高司令官としての役割を強調していました。

続いてローズ.F.ケネディさんが優れた子供を育てるためにコミュニケーション能力の育成に力を注いだことがよくわかる一節をいくつか。

 「子供が他人から笑われることを心配せず、互いに自分たちの考えを尊重する雰囲気のなかで、自分の考えを持ち、発表するよに仕向けてやると、頭が鋭くなるばかりでなく、自身もつく。そしてコミュニケーションの能力も発達する。私の『切抜き帳』には、「世界の運命は、よいにせよ悪いにせよ、自分の考えを伝え得る人びとによって形成される」と書いた言葉がある。」

 「私は子供たちに、人間が動物とちがうのは言葉をしゃべることだと教えた。それは神が人間に与えた贈物の一つであり、あなたたちへの贈物だから、上手に使いなさいともいった。」

 「子供達を優れた人間に成長させるとしたら、小さいときから始めねばならない。子供はたとえばティーン・エージャーになってから突然、すばらしい会話者とか話し手に開花することはない。頭の回転の速さ、感情のバランス、知識の幅を獲得することもできない。それは遅くとも四歳か五、六歳のときに始めた準備と努力がなければ、十四歳か十五、六歳になって、たまたま出てくるものではないのである。」

ケネディ家はお父さんの家族愛も素晴らしかったそうで、その教育方針も納得させられます。
 「いいかね。笑顔と十セントでは市電にしか乗れない。人生のとこかへゆき着くにはもっと多くのものが必要だよ」というのが口癖だったということ。いつも子供たちに最高なる努力を要求し、「ベストを尽くしたのなら、それでいいじゃないか」といったそうです。そして、

 「泣き言をいいってはいけない、自分の不運を騒ぎ立てて他人に負担をかけてはいけない」、「だれにとっても人生は多くの打撃と傷に満ちているので、人間は小さいときからその考えになれていたほうがよい」と考えていたのだそう。

結局、夫婦の考えは『優秀さはかなりの程度、習慣の問題である』とのこと。優秀さの中に、コミュニケーション力やリーダーシップが重視されていることはアメリカ的というか、日本人が国際社会で戦うために足りないところだと感じます。

リーダーの家庭では、リーダーになるべく習慣づけているのですね。だからこそ昔は、それなりの家柄の姉弟でなければチャンスもなかったのだと思います。そういえば、以前、私の同僚の中で一番優秀な人が、子供の頃親から帝王学について学ばされたと聞いてとても驚いたことをよく覚えています。帝王学というものが今で言うリーダー教育なのだと知ったのはそれからでした。

誰にでも情報や手段が手軽に選べるようになった現代は、どの家庭でもよい習慣を実践するチャンスがあります。ということは、それだけ親の責任というものが昔以上に重要になってきているのかもしれません。





コロリンの歌

昨年、コロリン(犬)が我が家に来て以来、なんとなく娘と作って口ずさむようになったコロリンの歌があります。

今日は、ピアノを習い始めて3ヶ月目になる娘と一緒にこの鼻歌をピアノのノートに書いてみました。習いたてのト音記号やヘ音記号もなかなか上手にかけました!

ピアノで弾いてみると、当のコロリンがしっぽを振りながら寄ってきました。たぶん聞き覚えのある曲なので、なんとなく自分の歌だとわかっているのかもしれません。

英語の勉強のために、YouTubeで気になる人のスピーチなどを見ることがよくあります。スピーチの英語はわかりやすく話すことが多いので聞き取りやすく、事前に考えが練られているので、論旨もわかりやすいことが多いからです。

スーチーさんが自宅軟禁開放後に各国を遊説した際のスピーチもその一つです。スーチーさんは英語ネイティブではありませんが、オックスフォード大学で学び長い間イギリスに住んでいたため流暢に話します。そして、話そのものが、とても知的で力強く、しかも優雅で時にユーモアがあり、同じ女性としてもとても刺激を受けるのです。

開放後に世界中で引っ張りだこだったスーチーさんは、若い人と話すことで未来に希望をもちたいということで、ゆく先々の国の大学でスピーチをしています。昨年は日本でも、かつて研究員として過ごした京都大学などで話されましたし、学生時代を過ごしたオックスフォードでのスピーチは大変厳かでした。

2012年9月にはハーバード大やイェール大などそうそうたる大学でを訪れていますが、私が心惹かれたのは、コロンビア大学での熱狂的なスーチーさんの歓迎ぶりです。司会者も聴衆も、心から喜び、興奮していることがよく伝わるのです。後半には、学生からスーチーさんへの質問のコーナーも十分な時間が割かれており、感動のあまり言葉に詰まる民族服姿のミャンマー人学生の場面では、見ている私も目頭が熱くなったのでした。同時に、このような経験に恵まれたコロンビア大学の学生達が本当に羨ましく思えたのでした。

先日、とあるインターナショナルスクールを見学する機会に恵まれました。PreKから10年生まであるその学校では、先生方はほぼネイティブの英語話者ですが、生徒の日本語もOKなのだそう。そのため、この学校の子供達はどうしても日本語が多くなるという噂を聞いていたのです。この点について校長先生が次のように説明されました。

「私たちは日本語はダメ、何語はダメ、ということは言いません。言葉を制限することは、その子のアイデンティティを制限することです。それはデモクラシーではありません。」

なるほど・・・、と思うと同時に、正直少し戸惑いもありました。言語に対する学校の方針とデモクラシーを結びつけることに驚きがあったのです。

民主主義をめぐる戦いの続くミャンマー人と関わる私にとって、デモクラシーという言葉のひびきはとても重いのです。

現在娘が通うインターでは、よく校内では日本語禁止!と言われていて、英語力の向上のためにはそのほうが望ましいと考える親が多いようです。それはデモクラシーに反することだったのでしょうか。

確かにミャンマーはじめ、他民族国家では、衝突が続く周辺民族との対立要因の一つに、学校での公用語の問題があります。もちろんそれは主に公立学校の問題ですが、広い意味で言語の問題は、確かに民主主義とも関わる奥深い課題です。

子どもにとって学校は長い時間を過ごす場所であり、社会を学ぶ場であることを考えると、母国語を禁止するということのインパクトは、大人が思う以上に大きいのかもしれません。

一方で、校内は英語のみと厳しく規則付けないと、日本語を使ってしまい、英語がなかなか身につかず、授業についていけなくなります。日本語話者が増えれば、日本語話者以外が疎外感を感じるという問題もあります。ある種、特殊な環境であるインターナショナルスクールでは、校内は英語のみとするのは妥当ではないかと思うのです。

結局は学校の方針次第であり、どのような方針の学校を選ぶのかは、それぞれの家庭次第です。ですが、なかなか考えさせられた一言でした。

前から可能性があることはわかっていた主人のミャンマー転勤ですが、とうとう会社から打診が来たそうです。半分ミャンマー人の娘にとって、アイデンティティの形成のためにミャンマーで過ごす時期をもてるのは大切なことですし、将来ミャンマーに学校を作りたいという主人の夢もあります。世界どこに転勤しても大丈夫なように、娘はインターナショナルスクールで英語に慣らし、私も日本語教師の資格も取って準備をしていたのです。10月からヤンゴンというと、4ヶ月くらい準備期間があるのはありがたいことでしょう。

でもいざ現実となると、なかなか心が落ち着かないものです。やっと今のつくばでの暮らしにも根が生えてきたところですし、私自身、昨年来の体調不良がやっと改善してきたところで、まだ元気いっぱいというわけではありません。
若いころはいろいろな国に行き、途上国に行くことも経験として前向きに取り組めたものですが、不惑の40ともなると、だんだんと気持ちは保守的になってゆくもの。しかも、主人の会社は日本企業ではないし、子供連れでインフラが不安定な国で生活そのものをするとなると、なぜかとても気楽ではおれません。せめてあと5歳若かったら、もう少し違っていたか・・・なんていっても仕方がありませんが。

そこで、準備の記録がてら、自分の気持ちを励ますためにも、これからの悲喜交々をここに書いていきたいと思います。

各種手続きや住まいのこと、娘の教育などやることはたくさんありますが、より一番気がかりは娘の学校です。現地の公立学校か、日本人学校か、インターナショナルスクールが選択肢になりますが、今までなんとなく調べていたヤンゴンで人気のインターナショナルスクール、改めてよく調べてみると、なかなかの伝統校のようです。1952年創立のミャンマー老舗の米国系インターで、インターナショナル・バカロレアをはじめ各種欧米の学校資格を取得。大学入学資格まであるIBディプロマまであるので、12年生を卒業後は、イェール、MITなどなど・・・主に米国の有名大学に進学する生徒も一定数はいるのだとか。

現状では娘の年齢にあたる1年生は一杯でウェイティングリストに登録しなければなりません。たとえウェイティングに載せても、いざ空きが出来た場合には学校側の判断でふさわしい子供が選抜されるということで、待っていれば順番がまわってくるわけではありません。とりあえず、その登録だけでもしようということになりましたが・・・。これがなかなか大変なのです。推薦書や過去の成績表、健康診断、予防接種の記録といった一般的な書類(もちろんすべて英語版)に加え、国際的な能力試験の証明書など、すぐに誰でも準備できるわけではないものまで準備したうえで、登録のためのIDを取得し、すべてオンラインで手続きしていきます。オンライン上でも、親の収入や学歴、語学力の証明など含めた長ーいフォームに記入しなければなりません。主人は私よりはこの手の英語の手続きに慣れていますが、とりあえず登録、という気軽なことはできず、目下必要な書類の準備に勤しむことになりました。

いまの家は貸し出すべきか、犬は連れて行けるか。。。なんだかこれから大変そう・・・と気落ちしているとき、ちょううどBSでブラジル移民のドキュメンタリーを見ました。かつての至難を極めた開拓時代と紆余曲折を経て、今は自分たちの反省と感謝をこめてアマゾンの緑化のためにアグロフォレストリーという農業の普及に貢献している年配の方々。スケールの大きな話を聞いて、私も頑張らねばと思うのでした。



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