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January 2014

January 31, 2014

ミャンマー人が喜ぶ日本のお土産

ミャンマーに行く人に、喜ばれるお土産について聞かれることがあります。

相手の方の年齢層にもよりますが、我が家でいつも用意するのは
日本の着物の模様がプリントされた生地(日暮里の生地屋さんで購入)と
○ルボンやミスター○トウなどの箱入りクッキーです。
値段にして100円前後ですが、おいしくてたくさん入っているし、
箱入りというのは便利です。
ミャンマー人はお茶の時間が多いし、お寺に寄進したり近隣の子供達に分けたりするので
量が多いのはとても喜ばれますよ。
日本のキャンディーやクッキーはミャンマーの高級スーパーなどで
と〜ってもお高い値段で売られていて驚きます。

反対に人気なかったものは、あんこ系のお菓子、過剰包装なクッキーなど。。。
服も廉価なものが現地で売っているし、好みも違うので難しいですね。
財布なども、サイズがぜんぜん違うのでNGです。ミャンマーでは札束が多くなるので
財布はカバンサイズだったりします。

以下、体験した成功例です:

●大人の男性向け
やはり電子機器が喜ばれます。
カメラやUSBメモリなど、日本のメーカーのものは人気ですし、
時計や電気炊飯器をリクエストされたこともありました。
薄毛対策の男性化粧品なども日本製が大人気です。

●家族向け
自動泡石けん(?)。センサーで泡石けんが出てくるのは便利だし、
日本っぽいハイテク感を生活にとりいれられるということで
魅力みたいです。値段も1500円くらいだったでしょうか。

●子供向け
子供には100均の文具セットや、多色サインペンのセットなんかも喜ばれます。
(36色をあげたら、3本ずつ近所の子供に配っていておどろきました。。。)
飴やチョコレートも王道です。

●女性向け
圧倒的に日本製の基礎化粧品の類が人気です。口紅のような色のあるものは、
向こうの人が好む派手な色が日本にないため難しいですが、
喜ばれるのは美白化粧水や洗顔石鹸、シャンプー、リンスなどです。
とくに日本語の書かれているもの。「潤い」とか「しっとり」とか、平仮名があると
中国製との見分けができて人気みたいです。

服は難しいですが、「最近日本で人気のユニクロよ」といってUVの白いカーディガンや
ストールなんかをあげたらとても喜ばれました。
仏教精神の強い人は黒を嫌がりますし、白なら何にでも合うのでいいみたいです。

●日本に来たミャンマー人がお土産に買っていた物
・百均の帽子を30個、
・鎌倉大仏のミニチュアを50個

帰国してからたくさんの人に配るのでしょうね・・・

myitta at 09:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) つれづれに | ミャンマーへの旅

January 30, 2014

ちょっとすてきなイタリアの童謡

ci-vuole-un-fiore




偶然テレビで知って以来、我が家のお気に入りになったイタリアの童謡があります。
イタリアでは子供の頃に誰もが聞いて育った有名な童謡らしいのですが、
なかなか奥深い歌詞と楽しいメロディーに、とてもイタリアらしさがあります。
定冠詞と不定冠詞の使い分けのあたりも、意味深いものがありますね。

うちの娘もあっという間に歌詞を覚えてしまい、毎日歌うようになりました。
歌の力、イタリア語の魅力を改めて感じてしまいました。




Ci vuole un fioreより抜粋

Gianni Rodari
作詞 parola Sergio Endrigo, Luis Enriquez Bacalov
作曲 musica Gianni Rodari
(1974年)

Per fare un tavolo ci vuole il legno
Per fare il legno ci vuole l'albero
Per fare l'albero ci vuole il seme
Per fare il seme ci vuole il frutto
Per fare il frutto ci vuole il fiore
Ci vuole un fiore, ci vuole un fiore
Per fare un tavolo ci vuole un fiore

花は必要

テーブルを作るためには 材木が必要
材木を作るには 木が必要
木のためには 種が必要
種のためには 実が必要
実のためには 花が必要
花は必要 花は必要
テーブルを作るためには 花が必要




myitta at 22:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) つれづれに | 言語と教育

January 13, 2014

ジャスミンの香りの思い出

ジャスミンというと、とてもアジアなイメージがあります。お茶や映画、アートから香水まで、アジアの文化とつながりの深い花と言えるでしょう。アウンサン・スー・チーさんのことを書いた『銃とジャスミン』という印象深いタイトルの本もありました。

私のジャスミンとの印象に残る出会いは、初めてミャンマーを訪れたときのものでした。寺院やマーケット、道端などあちこちでジャスミンの花に糸を通した花輪を売る人に遭遇します。ミャンマー語でザベーと呼ばれるこのジャスミンの花輪は、仏像に供えるほか、部屋や車の芳香剤として活躍しているのをよく見かけます。ホテルに戻ればロビーにジャスミンの香りが出迎えてくれるといった具合いです。初めてのミャンマーはまさにジャスミンの香りに満たされたものでした。

すっかり魅せられた私もジャスミンの花輪を買い、ホテルの部屋に飾って楽しむことにしたのですが…。主人曰く、ジャスミンは夜中になるとキョーレツな匂いを放つようになるから知らないよ、とのこと。

果たして、夜中に予想以上にキョーレツさを放ったジャスミンに辟易し、部屋の外に出すことになったのでした。

とはいえ、私にとっての最初のミャンマーは、ジャスミンの香りとは切り離せないものとなりました。後にはマーケットや発酵食品の匂いを知ることになるのですが…

アロマの王とも呼ばれるジャスミンは、夜に化学反応で強い匂いに変わるのを待って手摘みで花が採取されるそうです。そのため、そのエッセンシャルオイルは大変高価なものとなることでも知られます。

ミャンマーの特産品として、もっともっとジャスミンを活かす道がありそうな気がします。

myitta at 22:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) つれづれに | 旅の思い出

January 11, 2014

日本語の動詞。子供は「て形」から覚える?

幼児の言語習得過程ということを考えていて、日本語初級の難関のひとつに動詞の活用について思い出したことがあります。子供はいとも簡単に動詞の活用を使いこなせるようになってしまうのに、なぜ外国語としての日本語ではこんなに難しいのか。汽ループとか競哀襦璽廚箸、暗記する必要があるのって大変すぎます。そういえば、通常外国人に教える日本語では、動詞は「ます形」から教え始まりますが、子供は「て形」から覚えているようです。母親は頻繁に「ほら、見て」とか、「食べて」と子供に語りかけますよね。子供が発話するようになっても「これ、とって」とか「ママもやって」などなど・・・。これは、子供にとって言葉というものが他者に欲求を伝える必要から始まるからではないかと思います。

私が言語学を学んでいた頃、自分の子供の言語発達についてテープに録音してつぶさに調べた研究者の話を聞きました。そいいう研究もずいぶん蓄積されているだろうと思って調べてみると、これがなかなか難しいものがあるようです。単純に発話の順序や多さを比較することはできても、場面や状況、発話欲求の強さを勘案することが難しいからです。言葉は生き物ですから、そういった状況は重要です。1歳代に興味を覚えたことについて単発で発することばと、3歳頃に強烈な自我の目覚めによって強く相手に意思を伝えるために繰り返し言う言葉では、単純に同じ発達線上にのせて考えることはできないと思います。

個人的な印象では、言語発達の早い子と遅い子には、性格にも違いがあります。やはり自己表現の要求の強い子やリーダーシップのある子は言語の発達が早いです。一方、大人しく従順な性格の子は発話自体も少なめです。うちの娘は5歳ですが、クラスメイトを見渡すと、5歳の言語発達には既に大きな差があることがわかります。むしろ大きくなってからは必要な場面で必要なことだけを話すようになるので、自由気ままな幼稚園児では差が大きいのかもしれません。もしも言語学者だったら・・・、子供の観察は面白すぎるに違いありません。

myitta at 15:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 言語と教育 

驚異的なベルリッツメソッド

大学で偶然ドイツ語の成績がよかった私は、実は最初ドイツ留学を考えていました。ところが、私の好きなドイツ人の作家や芸術家が口を揃えてイタリアへの憧れを書き残しているのをみて、当時大学院で建築史を学んでいた私もイタリアに行先を変えました。思い立ったのは秋、次の春にイタリア政府奨学生試験を受けることにしました。

6ヶ月で試験に受かるため、ベルリッツに通いながら猛勉強。研究室の大きなシンポジウムの手伝いや修士論文の作成と並行して勉強したため、その冬は睡眠時間2、3時間という日が続きました。結果、なんとか試験に受かり、8月からイタリアのミラノ工科大学に留学しました。

8月にイタリアに向かう飛行機のなかでは、隣に座ったイタリア人のおじさんと11時間会話が弾みましたし、現地でも生活で困ることは感じませんでしたから、使えるイタリア語が短時間で身に付いたのは確かなようでした。

なぜたった6ヶ月でイタリア語が覚えられたのか。それはもちろん、目的意識と集中して勉強したことに加えて、イタリア語と相性がよかったということもあるでしょう。でも、私がはっきり感じたのは、ベルリッツの教授法の良さです。たった一回のレッスンで、確実に話せることが増えるのを実感するのです。

ベルリッツメソッドは、幼児が言葉を覚えるように言語を教える直接法によるナチュラルメソッドの一つですが、長いこと日本的な語学学習の癖がついた私には目からウロコでした。

先生はほとんど何も教材も媒介語を使わず、口と簡単なメモ書きだけでレッスンが進行します。まずは幹となる文法と文型をリピートし、次はその文型を使って、生徒が先生に質問を投げなければなりません。最初は難しく大変な集中力を要しますが、先生はよくトレーニングされていて、順次枝葉を広げられるように指導してくれます。この間、先生ももちろん教科書も教案も見ません。最初から最後まで、お互いに目を見て口頭ですすめるのです。これは教師の側に大変な能力が要求されますが、生徒にとっては、教室を出たときから文法や文型が使いこなせるようになるほど効果大なのです。

このような教授法では、最近流行しているコーチングの訓練がとても効果的ではないかと思います。コーチングでは、本人が自然に習得する力を支援するのだそうてす。まさに幼児が自然に言葉を覚えるように語学を身につけるというアイディアと共通します。

また、どの順序でどの項目を叩き込むかということも重要です。まずその言語を使いこなす上で幹となる要素から教えるからです。イタリア語でいえば、基本的な語順と前置詞、イタリア語的な表現の要となるセンスのようなものから教え込んでいくのです。

では日本語に翻って考えてみると、日本語的なセンスを身につけるために必要な幹となる要素は何なのか・・・。ベルリッツでは日本語も開設しているので調べてみたのですが、まだ具体的な内容を入手することができませんでした。でも、ナチュラルメソッドの視点から、日本語の教え方について勉強してみることはとても意味があることではないかと思っています。

myitta at 14:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 言語と教育 

日本語教育はとても日本人的・・・?

昨年来、日本語教育について勉強すればするほど、難しさや奥の深さを感じる日々。
今では、教材もたくさん出版されているし、ネット上にも経験豊かな日本語教師の方々が自らの教案や体験談をたくさん載せてくださっている。もちろん英語ほどではないかもしれないけれど、私が勉強してきた様々なマイナー言語と比べれば、その情報量の多さに驚かされます。日本語ネイティブなのに、知れば知るほど難しく感じる日本語教授法の数々・・・・

私は大学で言語学を学び、これまで様々な言語を様々な教授法で勉強したことがあります。その自分の経験と比べると、なんというか日本語の教え方の多くは、なんとも丁寧で細かく、とても日本人的という気がします。まるで、日本人の英語の勉強の仕方をそのまま日本語教育にあてはめた考え方。文字、単語、文法を基礎から積み上げ、機会練習を繰り返し・・・  文法の教授順序は綿密に研究されていて、混乱するからという理由で初級では触れてはいけない項目がいろいろとある・・・

実はうちの主人は日本語が大変流暢ですが、日本語学校で学んだ経験はありません。大学留学時に2ヶ月間、大学で留学生用の日本語コースを受けただけです。英語も上手なので、もともと語学のセンスはあるのだとは思います。

私が今まで勉強した言語は、途中で挫折を含めて10カ国語以上(英語、中国語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語イタリア語、トルコ語、フランス語、ペルシャ語、インドネシア語、ミャンマー語)あります。仕事で行かなければならないために急遽勉強して挫折したものもありますが、中国語とドイツ語は大学の外国語講座で集3コマ、文法、音声、会話などの標準的な授業を受けました。一番長いのはもちろん英語ですが、学校で学んだ頃はあまり身につかず、国際関係の仕事で使うようになってから上達し、今も毎日独学で勉強を続けています。一番短時間で効果があったのは、ベルリッツで習ったイタリア語でした。短時間で使いこなせるようになる指導法は、教師の腕がいいということもあるのですが、幼児が言葉を覚えるように言語を身につけるという直接法によるナチュラル・メソッドに分類されるベルリッツ・メソッドの実力を実感したことをよく覚えています。

翻って日本語教育の世界をみると、日本人が英語を学ぶように長時間の努力が必要でありながら、すぐに使いこなせるようになるのが難しいように感じます。これはなんだかもったいないことではないか。日本語ならではの問題なのか。それとも工夫の余地はあるのか。。。このモヤモヤを乗り越えるため、ますます日本語教育方法の探求に勤しみたいと思います。




myitta at 14:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 言語と教育 

January 08, 2014

女性と教育、マララさんの声を聞いて

おととしタリバンによる銃撃で重症を追って以降も、歩みを止めることなく女性の教育の重要性を訴え続けるパキスタン出身のマララさん。国連でのスピーチは記憶に新しく、ノーベル平和賞の期待も高いなど、世界から注目を集めました。教育や自由という、とても基本的な権利が、まだ大きな課題になっている世界があることを改めて気づかされます。

マララさんの話をきくと、いつもミャンマーの子供達を思い出してしまいます。お茶屋の丁稚奉公や家政婦などとして今でも児童労働が当たり前に行われています。ミャンマーの場合は、男尊女卑ではありませんが、貧しさや、宗教心の強すぎるお父さんが出家してしまったために子供達が働かなくてはならなくなったりすることがよくあるのです。義務教育制度がなく、小学生くらいの子供達が日常的に昼間から働いでいるということ。普通のミャンマー人は慣れすぎていてその不平等さに気がつかないことに私はかねてから疑問を感じていました。ミャンマーの知人友人にはいつも言いますが、言われて初めて気づくといった感じです。

でも、マララさんのすごいところは、あのような社会で生まれ育ちながら、高い意識をもち、声をあげたということです。私も仕事でアフガニスタンやパキスタンを訪れたことがあります。道を歩く女性を一人も見かけないような世界で、私が歩くと女がいると物珍しそうに声をかけられ、無視すると女のくせに生意気だと石を投げられました。一瞬怒った顔で振り向こうとした私に対して、男性同僚達はここで揉めて目立たないように私を諭しました。あの環境で女性として生まれることがどんなことか、想像もできません。

でもそのような環境から、立ち上がった少女がいるということが奇跡のように感じます。文化や環境にかかわらず、人間の権利や平等について気付き、変化させようと行動できる人がいるということなのです。それは人間が根源的にもつ能力であり、困難な状況にあっても抑圧しつくすことはできない本能だからなのでしょうか。

世界にはまだ多くの国で子供、とくに女性が教育を受ける権利さえないこと、人生の選択の自由がないこととは次元の異なる問題かもしれませんが、女性と教育、女性と生き方ということについては、先進国とて同じ根源的課題を抱えていると感じます。

マララさんが言っていました。学校に行けないと言われ、女性は家で家事や育児だけをやっていろと言われたら、そんな明日は想像できないと。実は、大学院で博士号を取り、一旦は専門職に就きながら、現在主婦をしている私にはとても痛い言葉でした。先進国で高い教育を受けた女性であっても、仕事一筋でないかぎり、女性が家事と育児に多大なエネルギーを割かねばならないことは目下の話題です。まあ、生き方や価値観は個人それぞれですが、改めて、現状に甘んじていてはいけないと思い立ちました。



myitta at 20:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) つれづれに