MYITTAの工房

日々のくらしや手作り、ときどきミャンマー

August 2013

学生時代、ごく短い期間でしたが、オックスフォード大のガーデナーのお宅にホームステイをしたことがあります。
90年代でしたので、まだ今ほどガーデニングブームもなく、私の母が自宅で勤しむ園芸以上の知識もなかった私が、ガーデナーのお宅にホームステイできたというのは、今思えばとてもラッキーなことでした。

そのお宅はオックスフォード中心部に近い古いコテージで、代々オックスフォード大のガーデナーが住んできた家だといいます。お父さんはオックスフォード大の複数のカレッジを担当するガーデナーで、奥さんはてきぱきと仕事と家事をこなすワーキングマザー。10の娘さんと4歳の男の子がいて、小さなコテージは、私もいれるといっぱいでした。

初日にざっくりと家庭内のルールを説明されると、それぞれ仕事に学校に皆出かけて行ってしまいます。あまり英語が得意でなかった私は、必要最低限の会話でも気後れして、自分から積極的に家族とコミュニケーションをとることもできませんでした。それでも、生まれて初めての海外家庭での生活は、いろいろなことを学ばせてもらいました。

ホームステイの学生を受け入れているのに、日中誰も家にいないことも驚きました。子供が二人いるワーキングマザーは、それだけでも忙しいのに、どうしてホームステイの受け入れをしているのだろうと。お母さんによると、だからこそ、子供に小さいうちから家の中でもきちんと片づけたり、意味のあるルールを守ったり、多様な価値観に触れる機会をつくることが大切だと考えているのだそうです。

10歳の娘は、外国人の私を見ても全く人見知りしませんし、毎回お風呂の後にバスタブをきちんと掃除して出てくる習慣も身についています。去年、何か考えさせられるエピソードがあったとかで、家族で彼女一人がベジタリアンになったのですが、両親は自分で考えて決めたことだから、と彼女だけに別の食事を用意していました。はっきりと意見を言う娘の姿に、最初は少し生意気に見えたものでしたが、子供に自立を促し、大人と同様に意見を尊重する教育に、日本の教育とは大きく異なるものを感じました。

ガーデナーのお父さんは、日中も仕事の合間にちょこちょこ家に戻ってきます。ときどき、私を庭に誘ってくれました。3月だったので、まだコートを着込んでも寒く、どんよりとした日が多かったのですが、私にとっては、はじめてのイングリッシュガーデンの体験でした。

穏やかで口数の少ないお父さんが、庭の説明となると明るくよくしゃべるのです。この庭はブルーの花ばかりを集めたブルーガーデンで、僕はここが一番気に入っている、この部分は僕の担当になってから新しく花壇にしたエリアだ、ここは大学の宿舎の庭だから、白い花ばかりを集めてみた・・・などなど。

広い公園のようなカレッジの庭から庭へ、一般の人は通り抜けできない柵やゲートを越える、庭師専用ルートを通って案内してくれるのでした。とあるカレッジでは、ここにそんな入口が・・・!と思われるようなところから重厚なチャペルの2階のメンテナンス用通路に入って、ステンドグラスの窓沿いに並ぶ鉢植えの植物に水をやって回ったり・・・。大学で園芸を学んだお父さんは、知識の一環として、日本の庭についても知っていて、ときおり比較しながら説明してくれました。

大学に専用のガーデナーが何人も住み込んでいるなんて、さすが英国と驚いたり、大学内のそれぞれのカレッジに歴史あるチャペルがあるというのも、キリスト教国ならではと感心したり。歴史ある建物を素晴らしく手入れの行き届いた庭が囲むその雰囲気は、最高の教育環境にほかなりません。あまりにも絵のように完璧なその景観が、このガーデナーのお父さんのおかげで生き生きとしたストーリーのある世界を見せてくれるようになったのでした。植物を愛するお父さんの職人気質な姿には、国籍を超えて、何かにうちこむ人への親近感も感じました。

今ようやく自分の家の庭を少しだけ手入れするようになって、ふとあのオックスフォードのお父さんのと廻った庭のことを思い出します。



8月12日はペルセウス座流星群を見るのに最適な条件といわれていました。夜中の2時頃、空を見上げてみたものの、残念ながら我が家の空は曇っていて、何も見えませんでしたが。

星を探して空を見上げるとき、いつも思い出すのは、昔仕事で訪れたアフガニスタンはバーミヤンの夜景です。

標高2500メートルほどのバーミヤン。もちろん電気もない荒涼とした世界の空は透明で、夜空がこんなに青いとは知らなかった!!と思わず呟いたのをおぼえています。地平線に向けて淡くなっていく青いグラデーションの中に、山の稜線がくっきりと黒く浮かび上がります。

そこにひろがる無数の星の世界!まるで広い海にたくさんのダイヤをばらまいたよう。その驚きと感動は息をするのを忘れるほど衝撃的で、地球上で経験できる現実とは思えないほどのものでした。まるで空と海が反転したような夜空はどこまでも広く、自分が地上に立っていることさえ分からなくなるほどでした。

なかなか心身ともにハードな現場での仕事でしたが、一緒に仕事をした仲間と見たあの夜景は厳しい環境ならではのご褒美でした。

現在のインドといえば、ヒンドゥー教徒が多いイメージがあります。言葉同様に、広い国内ではさまざまな土着の宗教と融合した宗教が地域によりみられるようでしたが、出会った人にいちいち信仰について尋ねたわけではないので詳しくはわかりません。

首都デリーの博物館の一角で、現地の仕事の関係者とミーティングをした日がありました。確か、文化庁関係の役所の建物だったと思うのですが、私は会議中に急にトイレに行きたくなってしまいました。壁際に立っていた女性に声をかけてトイレの場所を聞いたのですが。。。なんと施設内には女性用トイレがないので、自分の宿舎に案内するというのです。

うーん、女性用トイレがないなんて・・・男尊女卑?などと思いながら、案内してくれた女性の後をついていくと、役所の建物の裏に、小さな長屋のような建物がある敷地に入りました。女子寮のようなものだそうで、案内してくれた彼女もそこに住んでいるのだそう。

用を済ませてお礼を言って戻ろうとすると、「あなたは仏教徒ですか」と彼女。「はい、仏教徒です・・・」いつも宗教について聞かれるとこう答えるものの、敬虔ではない普通の日本人の私は、つい自分のえせ仏教徒ぶりに恥ずかしい思いをすることが海外でよくあり、あまり自信をもって言えないのです。

日本人だから仏教徒だろうと思って尋ねたのでしょう、それを聞くと彼女は急ににこやかに自己紹介をはじめ、自分も仏教徒だというのです。そしてこれをお土産に、といって、白い大理石でつくられた仏像を私に渡しました。「え?これお土産?」と驚く私に、「私の家に来てくれた仏教徒の方には感謝の意味で仏像をあげるのが習慣なのです。もっていってください。来てくれてありがとう」などと、私の手をとって言ったのです。

ただトイレを借りただけなのに・・・?とやや困惑した私でしたが、同年代と思われる彼女の親しげな瞳に圧倒されて、ありがたくいただくことにしました。

インドでは、若い女性が外国人と親しげに話をする印象はありません。特に男性社会のお役所では、若い女性の存在が目に入らないほど印象に残っていませんでした。もしかしたら、本当はホスピタリティにあふれたチャーミングで好奇心のある一面を垣間見たような気がします。向うも同様に、同じ女性として好感をもってくれていたのかもしれません。

会議室に戻ると、彼女はまた前のように無表情に壁に溶け込んだのでした。

その時の大理石の仏像は、今も私の家に飾ってあります。

↑このページのトップヘ