MYITTAの工房

日々のくらしや手作り、ときどきミャンマー

February 2012

最近のミャンマーの政治情勢の劇的な変化について、多くのマスコミが懐疑的ながらも積極的にとりあげていますが、そこにあるのは必ず「アジア最貧国」という枕言葉。GDPなどの指標にもとずく経済的な側面からは事実なのですが、この「最貧国」という言葉を聞くたびに、私はどうしてもギャップを感じてしまいます。それは、経済的には貧しくとも、心豊かに生きるこの国の人々の幸福度をすべて否定しているような響きを感じるからです。

敬虔な仏教徒で在家信者が多いこの国では、そもそも物質的な豊かさに関心がない人々が多く、誇り高くて物乞いも見かけません。外国からみると分かりにくいのですが、食糧は豊富にあり、天然資源にも恵まれ、モラルも識字率もきわめて高い国民です。電気ガス水道などのインフラ不足の問題から、生活の不便さはあるものの、「貧困」は全く感じません。むしろ、自給率の高さゆえに、諸外国の経済制裁が功を奏していないくらいです。家族とともに伝統的な自給自足の生活をし、富があれば寺院に寄付し、地域ぐるみで子供を慈しむ育む生活の中に、彼らの人間らしい幸せが営まれているのです。

この点は、最近注目を集めているブータンと全く同じだと思います。外からの文化の流入を規制し、愛国心を高めている点では、国家的な思想の統制という意味で共通点があります。ブータンの人と出会うと、例外なく自国の文化に誇りをもっています。ブータンの国民の幸福度が高いことは、伝統を重視する教育の成果であり、決して西欧的な、物質的な豊かさが故ではないことは、最近よく知られるようになりました。

ミャンマーの場合、批判されるべきは、自由を軍事力で規制してきた軍事政権や既得権と賄賂にまみれた役人であり、貧しさへの批判は全く異なる問題だと思うのです。貧しさは、生命を脅かし、国民が問題視するのであれば、国際的な介入が必要になると思いますが、ミャンマーの場合は清貧に近いものを感じます。むしろ、人々の「無欲さ」を糧に、これまでの軍事政権や役人が成り立ち得たともいえるでしょう。

新政権が民主化へ舵をきった背景には、当然経済的な発展を目指すことがあります。この変化と諸外国からの文化の流入は、この国を大きく変えようとしています。特に都市部の若者の価値観は、これまでの伝統的な価値観から大きく変化し、貧富の差も広がり始めています。新しい産業や工場で目先の収入が増加し、物質的な豊かさへの欲と個人主義に目覚め、子供との接し方がわからない若者が増えてきました。社会生活が駆け足になり、文化や人々のつながりが失われてゆくのは、もう私たちが経験済みの領域です。

将来、「最貧国」の枕言葉が過去のものになるとき、この国の本当の豊かさをも売り渡す結果とならないことを願っています。

メティッラーで毎回泊っているコテージタイプのホテルでは、目下ガーデンの整備中らしく、あちこちで大きな樹木を植えこむ作業中でした。私たちが泊ったコテージのテラスの外には、既に大きくなったバナナの並木道が。

banana


観賞用なのだと思いますが、あまり大きいので、コテージのテラスが暗くなるほど。
娘は目ざとくも、葉の間からバナナの実がなるのを見つけて大喜びです。
バナナは、その花(?)もとても大きくて紫色の不思議な形をしています。

banana2


この花弁のようなものが一枚、また一枚と上に開いて、その間に詰まった小さなバナナの房が育っていくようです。見れば見るほど、なんとも大胆でトロピカルな姿です!次に来るときには、この庭がどうなっているのか楽しみです。

ヤンゴンの国立博物館のミュージアムショップで見つけたコットン製のブランケットです。
畳一畳ほどの大きさで、コットンなのでラグにもなりそうなしっかりとした手触り。
こんなにシックな赤いデザインはあまり見たことがなかったので、気に入ってしまいました。
確か、カレン族のものだと聞きました。
ロンジーの布もそうなのですが、私が気に入ってしまうのは、どうもカレンのデザインが多いようです。

写真 (1)

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