MYITTAの工房

日々のくらしや手作り、ときどきミャンマー

August 2011

ミャンマー南部、ベンガル湾に面した半島部の海岸は、知られざる真珠の産地です。日本の某大手真珠メーカーもこの地に養殖場をもっています。南海真珠として販売されるその真珠は、白ばかりでなく、シャンパンイエローや淡いピンク、グレーなど、様々な色があり、大粒のものが多いことも特徴です。温かみのある大粒の南海真珠は、なんともおおらかな高貴さを漂わせています。

高い値段で取引される形が真円に近い真珠は、ほとんど海外で売られてしまうので、ミャンマー国内に流通する真珠の多くは、多少色や形にばらつきのある愛嬌のあるものばかりです。日本の高級店に並ぶ真珠のような近寄りがたいほどの高貴さではありませんが、淡い色合いのなかに清楚な美しさがあります。真珠とエスニックなシルバーのビーズを組み合わせて作られたアクセサリーなども、この土地ならではのセンスで何とも魅力的です。

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以前、ミャンマーの友人から頂いた白い真珠のセレモニーネックレスは、少しつぶれたお団子型の粒を連ねて作られていました。形が少し違うだけなのに、なんだか、これまでのパールネックレスのイメージと違っていて、なんともふくよかなのです。おおらかなお国柄が出ているように感じます。

マンダレーやパガンの特産品である漆の工芸品。なかでも、どうしても目を奪われてしまうのが、蒟醤(きんま)細工による漆の器たちです。濃い地の色に、朱などの鮮やかな色で隙間を埋め尽くすように刻まれた線画は、気の遠くなるような手仕事による逸品です。

作り方を大雑把にいうと、まず細い竹を巻いてつくった素地に、幾重にも漆を重ねます。黒い漆の表面に溝を掘るように線画を刻み、そこに色を埋め込んでゆくのですが、この工程を色の数だけ繰り返すのです。埋め込まれる色には朱や緑、青など様々。現代のバガンの漆学校の作品では、かなり鮮やかな色を多色使いした作品もありましたが、個人的には黒地に朱色のみで作られたものが好きで、我が家にはこれがたくさんあります。

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蒟醤技法の歴史は相当旧く、パガン時代には遡れるでしょう。なんと室町時代には日本にももたらされ、現在日本では、香川県の重要無形文化財として、さらに洗練された技となって息づいています。ミャンマー人でもそんな誇るべき歴史を知らない人が多いようですから、もったいないことです。はるか昔の人とモノと技術の交流に思いを馳せて、感銘を受けずにはいられません。

先日は娘の3歳の誕生祝いに、自宅にミャンマーのお坊さんを招いてミャンマー式のお祝い会をしたのですが、子供4人を含む総勢24人の集いとなりました。お坊さんのお祈り会というと、敬虔なミャンマーの人達はこうして集まり、皆でミャンマー料理を作って分け合うのです。

ミャンマー料理の準備のため、女性3人が前の日から泊りこんでくれました。東京と埼玉に住む彼らを主人が車でピックアップして、つくばにたどりついたのは夜中の12時半。お盆休みの渋滞にまきこまれて6時間もかかっての夜中の到着にもかかわらず、早速料理にとりかかって眠りについたのは午前3時半でした。

朝から次々と到着する友人たち。実は何人くるのかよく把握していなかった私は、イスも食器も足りないことに焦るばかり。和室とリビングとキッチンにわかれて、時間差で食事をとってもらい、お坊さんのお祈りとお話のあとは果てないおしゃべりで大賑わい。狭い我が家では不便も多かったと思いますが、皆の暖かい笑顔とつきないおしゃべりであっという間に居心地の良い時間が過ぎてしまいました。子供たちは外に作ったプールに飛び込んだり、お互い家族的ぐるみで楽しめたようです。

主人が買ってきたケーキが小さかったので、子供たちにだけに囲んでもらってハッピーバースデーを歌った時は、皆の歌声を聞いて、なんて幸せな子なんだろうとジーンとしつつ、今も苦しんでいる子供たちが世界にいることを考えると複雑な心境でした。少しでもみんなの幸せのために力を惜しまない人に育ってほしいと思うことしきりです。

普段は異国の日本でそれぞれ仕事に勉強に頑張っているミャンマー人。それを支える日本人の伴侶の方。外国で自立して生きてゆくことには、大変なストレスもあると思いますが、こうして集まって楽しい時間を過ごす機会は、とても心がなごみ、リラックスになると言う方もいました。でも一番暖かい心をいただいたのは他でもない私たち。感謝でいっぱいです。

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