MYITTAの工房

日々のくらしや手作り、ときどきミャンマー

コロリンの歌

昨年、コロリン(犬)が我が家に来て以来、なんとなく娘と作って口ずさむようになったコロリンの歌があります。

今日は、ピアノを習い始めて3ヶ月目になる娘と一緒にこの鼻歌をピアノのノートに書いてみました。習いたてのト音記号やヘ音記号もなかなか上手にかけました!

ピアノで弾いてみると、当のコロリンがしっぽを振りながら寄ってきました。たぶん聞き覚えのある曲なので、なんとなく自分の歌だとわかっているのかもしれません。

英語の勉強のために、YouTubeで気になる人のスピーチなどを見ることがよくあります。スピーチの英語はわかりやすく話すことが多いので聞き取りやすく、事前に考えが練られているので、論旨もわかりやすいことが多いからです。

スーチーさんが自宅軟禁開放後に各国を遊説した際のスピーチもその一つです。スーチーさんは英語ネイティブではありませんが、オックスフォード大学で学び長い間イギリスに住んでいたため流暢に話します。そして、話そのものが、とても知的で力強く、しかも優雅で時にユーモアがあり、同じ女性としてもとても刺激を受けるのです。

開放後に世界中で引っ張りだこだったスーチーさんは、若い人と話すことで未来に希望をもちたいということで、ゆく先々の国の大学でスピーチをしています。昨年は日本でも、かつて研究員として過ごした京都大学などで話されましたし、学生時代を過ごしたオックスフォードでのスピーチは大変厳かでした。

2012年9月にはハーバード大やイェール大などそうそうたる大学でを訪れていますが、私が心惹かれたのは、コロンビア大学での熱狂的なスーチーさんの歓迎ぶりです。司会者も聴衆も、心から喜び、興奮していることがよく伝わるのです。後半には、学生からスーチーさんへの質問のコーナーも十分な時間が割かれており、感動のあまり言葉に詰まる民族服姿のミャンマー人学生の場面では、見ている私も目頭が熱くなったのでした。同時に、このような経験に恵まれたコロンビア大学の学生達が本当に羨ましく思えたのでした。

先日、とあるインターナショナルスクールを見学する機会に恵まれました。PreKから10年生まであるその学校では、先生方はほぼネイティブの英語話者ですが、生徒の日本語もOKなのだそう。そのため、この学校の子供達はどうしても日本語が多くなるという噂を聞いていたのです。この点について校長先生が次のように説明されました。

「私たちは日本語はダメ、何語はダメ、ということは言いません。言葉を制限することは、その子のアイデンティティを制限することです。それはデモクラシーではありません。」

なるほど・・・、と思うと同時に、正直少し戸惑いもありました。言語に対する学校の方針とデモクラシーを結びつけることに驚きがあったのです。

民主主義をめぐる戦いの続くミャンマー人と関わる私にとって、デモクラシーという言葉のひびきはとても重いのです。

現在娘が通うインターでは、よく校内では日本語禁止!と言われていて、英語力の向上のためにはそのほうが望ましいと考える親が多いようです。それはデモクラシーに反することだったのでしょうか。

確かにミャンマーはじめ、他民族国家では、衝突が続く周辺民族との対立要因の一つに、学校での公用語の問題があります。もちろんそれは主に公立学校の問題ですが、広い意味で言語の問題は、確かに民主主義とも関わる奥深い課題です。

子どもにとって学校は長い時間を過ごす場所であり、社会を学ぶ場であることを考えると、母国語を禁止するということのインパクトは、大人が思う以上に大きいのかもしれません。

一方で、校内は英語のみと厳しく規則付けないと、日本語を使ってしまい、英語がなかなか身につかず、授業についていけなくなります。日本語話者が増えれば、日本語話者以外が疎外感を感じるという問題もあります。ある種、特殊な環境であるインターナショナルスクールでは、校内は英語のみとするのは妥当ではないかと思うのです。

結局は学校の方針次第であり、どのような方針の学校を選ぶのかは、それぞれの家庭次第です。ですが、なかなか考えさせられた一言でした。

前から可能性があることはわかっていた主人のミャンマー転勤ですが、とうとう会社から打診が来たそうです。半分ミャンマー人の娘にとって、アイデンティティの形成のためにミャンマーで過ごす時期をもてるのは大切なことですし、将来ミャンマーに学校を作りたいという主人の夢もあります。世界どこに転勤しても大丈夫なように、娘はインターナショナルスクールで英語に慣らし、私も日本語教師の資格も取って準備をしていたのです。10月からヤンゴンというと、4ヶ月くらい準備期間があるのはありがたいことでしょう。

でもいざ現実となると、なかなか心が落ち着かないものです。やっと今のつくばでの暮らしにも根が生えてきたところですし、私自身、昨年来の体調不良がやっと改善してきたところで、まだ元気いっぱいというわけではありません。
若いころはいろいろな国に行き、途上国に行くことも経験として前向きに取り組めたものですが、不惑の40ともなると、だんだんと気持ちは保守的になってゆくもの。しかも、主人の会社は日本企業ではないし、子供連れでインフラが不安定な国で生活そのものをするとなると、なぜかとても気楽ではおれません。せめてあと5歳若かったら、もう少し違っていたか・・・なんていっても仕方がありませんが。

そこで、準備の記録がてら、自分の気持ちを励ますためにも、これからの悲喜交々をここに書いていきたいと思います。

各種手続きや住まいのこと、娘の教育などやることはたくさんありますが、より一番気がかりは娘の学校です。現地の公立学校か、日本人学校か、インターナショナルスクールが選択肢になりますが、今までなんとなく調べていたヤンゴンで人気のインターナショナルスクール、改めてよく調べてみると、なかなかの伝統校のようです。1952年創立のミャンマー老舗の米国系インターで、インターナショナル・バカロレアをはじめ各種欧米の学校資格を取得。大学入学資格まであるIBディプロマまであるので、12年生を卒業後は、イェール、MITなどなど・・・主に米国の有名大学に進学する生徒も一定数はいるのだとか。

現状では娘の年齢にあたる1年生は一杯でウェイティングリストに登録しなければなりません。たとえウェイティングに載せても、いざ空きが出来た場合には学校側の判断でふさわしい子供が選抜されるということで、待っていれば順番がまわってくるわけではありません。とりあえず、その登録だけでもしようということになりましたが・・・。これがなかなか大変なのです。推薦書や過去の成績表、健康診断、予防接種の記録といった一般的な書類(もちろんすべて英語版)に加え、国際的な能力試験の証明書など、すぐに誰でも準備できるわけではないものまで準備したうえで、登録のためのIDを取得し、すべてオンラインで手続きしていきます。オンライン上でも、親の収入や学歴、語学力の証明など含めた長ーいフォームに記入しなければなりません。主人は私よりはこの手の英語の手続きに慣れていますが、とりあえず登録、という気軽なことはできず、目下必要な書類の準備に勤しむことになりました。

いまの家は貸し出すべきか、犬は連れて行けるか。。。なんだかこれから大変そう・・・と気落ちしているとき、ちょううどBSでブラジル移民のドキュメンタリーを見ました。かつての至難を極めた開拓時代と紆余曲折を経て、今は自分たちの反省と感謝をこめてアマゾンの緑化のためにアグロフォレストリーという農業の普及に貢献している年配の方々。スケールの大きな話を聞いて、私も頑張らねばと思うのでした。



すっかりご無沙汰していたヴァイオリンですが、久しぶりに練習をしてみたら、案の定ひどい筋肉痛になってしまいました。ヴァイオリンは日常生活で使わない筋肉の使い方をするからか、下手で変な筋肉を使っているからか、久しぶりに弾くとひどく疲れるのです。それでまた遠のいてしまうのを繰り返していました。

今日は鎮痛や筋肉の炎症に良いアロマがあったことを思い出し、筋肉痛用のトリートメントオイルを作成しました。
練習後の疲れきった腕や肩、首、背中に塗ってみると・・・本当に不思議。1時間後には楽になっていました。

思った以上の即効性は、まるで湿布のようです。

レシピはおおよそですが;

(基材)
品質の劣化が少ない ホホバオイル 40ml
美容に良い ローズヒップオイル 20ml

(アロマオイル)各2滴くらい
筋肉の炎症を抑える ラヴェンダー、ユーカリ 
乳酸をとりのぞき回復を助ける レモングラス 
血液の循環を活性化する ローズマリー、スイートマジョラム
痛みを和らげる クラリセージ、ゼラニウム、イランイラン


最後にイランイランを加える前は湿布のような匂いになったので不思議。
効果はありそうだけれど、せっかくなのでイランイランも加えて香りも楽しめるようにしました。

こんなに効果があるのなら、今度娘の成長痛のときにも試してみたいです。

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バラのアロマオイルの中でも最高峰といわれるローズオットーの原料となるカザンリク。
昨年入手した苗が待ちに待った花をつけました。

強香というわけでもないのですが、軽やかで繊細、かつ高貴な感じの香りが咲き始めによく香ります。
そしてこのカザンリク、若々しい黄緑色の葉のほうも、軽くこするといい香りがするのです。

ローズオットー産地のブルガリアでは、このバラがたくさん植えられたバラの谷とよばれるところで
ローズのアロマオイルのために朝一番の花が摘まれるそうです。
谷一面この香りというのはどんなものでしょう。香りは体験しないと想像するのは難しいものです。

我が家の咲き終わった花はポプリにして、大切に長く楽しみたいと思います。


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我が家の庭のバラで一番好きなピエール・ド・ロンサールも咲き始めました。
香りは控えめですが、玄関の柱につるをまきつけて、よく目に触れる位置にあるためか、あまり虫や病気に悩まされることもなく、今年も元気で可憐です。

そしてアガパンサスもなかなかステキ。リビングに1本だけ飾りました。
繊細な花は外で見るよりも、部屋で眺めるほうが感動的かもしれません。

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ミャンマーでは女性や子供達が顔に泥のようなものを塗っています。タナカという伝統のスキンケアで、木の幹を丸い石のまな板の上で擦って作ります。

白檀に似た良い香りで、日焼け止めやデオドラント効果があるとも言われています。

毎日新鮮な擦りたてを使うため、タナカを擦る作業はミャンマー女性の毎朝の日課なのです。これはとてもエコなスキンケア。

以前、娘の幼稚園でミャンマー紹介をしたとき、みんなで実演して楽しんでもらいました。

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でもこの作業、なかなか大変です。今はタナカを利用したコスメもいろいろと発売されていると聞いたので、先週、主人がミャンマーに行ったお土産に既製品を頼みました。

それが、下の写真のようなクリーム容器のようなものに入ったものです。クリームというには硬いのですが、粉を固めたような状態なので水に溶いて使います。

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このタナカは、日本語や英語でなんという名前の木なのか今一はっきりしないのですが、香りは白檀、サンダルウッドといったところです。なかなかいい香りなので、首や手首に薄くつけるだけでもアロマ効果も期待できそうです。

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温かくなったと思ったら、もう蚊が飛んでいるのを目撃。さっそくアロマオイルで虫除けスプレーを作りました。

使ったのはラベンダー、シトロネラ、ティートリー、ゼラニウム、ユーカリ、パチュリ、無水エタノール、精製水です。

自宅用にたくさん作りましたが、ちょうど甥っ子の誕生日プレゼントを送るついでに、妹宅用にも虫除けスプレーをつくりました(写真右)。こちらはプレゼント用にオリジナルデザインのラベルも作って貼っています。

ついでにラベンダーとイランイランのアロマオイル配合のリネンウォーターも作りました(写真左)。

イランイランはプルメリアにも似たとてもアジアンな深い香りで、最近わりとはまっています。アイロンの際にスプレーしたり、寝室のリネン類にスプレーすると落ち着いて良く眠れます。

娘は本が大好きなので、寝る前に本を読んでとせがまれます。
本で釣ると、着替えも歯磨きもさっさと済ませます。
でもだいたい1冊ではおわらないし、同じ本を何回も読んでと言われたり、ベッドの部屋に絵本がたまったり・・・

面倒になった私は昨年から1冊に365のお話入った分厚い本を寝る前用に決めました。
この手の本、最近増えていて、本屋さんでも数ある中から選ぶのは大変でした。たいがい世界と日本の有名なお話は網羅されています。

そこで「マッチ売りの少女」のページを読み比べてみました。ポイントは、やはり読みやすいことと聞きやすいこと、そして感情移入できる描き方をしていることでした。同じお話でも、出版社によりこんなにも違うものかと改めて驚かされました。

結局私がえらんだのは「考える力を育てるお話 366 」(PHP研究所)という本です。一話1ページ、だいたい5分で読み終わります。世界と日本の童話に加え、自然科学や豆知識のようなお話も入っていて、実は娘は人体のしくみや、雲の出来方などの話のページが大好きです。

今のところ日付順ではなく、娘が絵を見て「今日はここ読んで!」と選んだページを読んであげています。
このスタイルでの寝る前読書がとても気に入ったので、今度は英語版を探していました。

とはいえ、近所の本屋で英語版のこの手の本は置いてなく、中身を確認できずにネットで買うことはできないので、しばらく探すことになりました。結局、東京の丸善本店の洋書コーナーで複数を比較することができ、選んだのは「Richard Scarry's Best Storybook Ever! 」(Golden Books )という本です。

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複数ページずつの様々なお話や、テーマごとに絵とものの名前を書いたpicture bookのようなページなど、82項目の内容があります。Richard Scarryの絵本は人気だそうで、そのシリーズの話が82も入っているというのはとってもお買い得なのではないでしょうか。絵が本当にかわいくてすてきで、娘も大のお気に入り。私が読んであげるのに難しすぎない英語という点でとても重宝しています。

というわけで、今は寝る前に、日本語の上記の本1ページと、英語の上記の本数ページを読んでいて、
ちょうどいい満足感で寝てくれています。

つくば市の小さなインターナショナルスクールに通う5歳の娘は、先週キンダーを修了し、来週からは1st graderに上がります。年齢的には日本でいうところの年長さんです。昨年のPreKから通った2年間の感想について書きたいと思います。

まずこのインターを選んだ理由ですが、我が家の場合、将来ミャンマーか他の国に転勤の可能性が高いので、英語に慣れることが一番の目的でした。つくば市内にはいくつかの私立のキンダーがありますが、他校では日本人の先生もいるので、子供はどうしても日本語をたよって生活してしまいます。自分の経験からしても、語学はその言語を使わなければならない環境に放り投げられることが大切ですし、小さいうちほどその効果は大きいです。校内は英語のみという方針を徹底していることと、そのために外国人生徒の割合が高いことが娘の学校の特徴でした。校長先生の自宅を増改築したとてもプライベートで手作り感いっぱいな学校ですので、運営や事務の面は目をつぶることも多々あることは否めませんし、担任の先生次第な面も大きいですが、私は本当に良かったと思えることばかり印象に残ります。

なんと言っても、娘にとって英語が自然な選択肢となったこと。相手が英語で話せば、英語で返すことが自然になりました。この1年の担任の先生は明るく楽しいアメリカ人の女性の方でしたが、子供の心をつかむのが上手で、アイディアいっぱい、子供達の成長は目を見張るものでした。16人のクラスメートのうち、ほとんどが外国人なので、娘が好きな子とは英語じゃないと遊べないという状況です。もちろん、英語が苦手な子もいて、そういう子達で固まっていたりもしますし、外国人でも日本語が堪能な子も多いので、選択肢はあります(校内では日本語を使わないように言われますが)。

そして毎月クラスメートそれぞれの国にターゲットを置いた学習があり、子供達が世界の様々な人や価値観に触れることができました。親も参加して国の文化を紹介したり、食べ物をみんなで作ったりする機会もあるので、親同士の交流にもなります。各家庭さまざまな国や文化的背景、考え方があり、子供の教育には皆さん力が入るので、学校でのイベントは、身近に、そして現実的に多様性を学ぶ良い経験にもなるのです。

実は、自分から積極的に関われば、何より親自身の日常英会話力の向上も図れます。私自身、仕事で少しは使えるようになった英語でしたが、毎日の担任の先生との会話のおかげで、英語が自然に出てくるようになりました。しかしこれも子供と同様に、自分次第です。様々な国の人が集まれば、考え方も様々です。良くも悪くも裏表なく意見をいう人が多いので、そこに関わり、理解しあうためには積極性が欠かせません。そしてこのことは、国際的な仕事をする際のコミュニケーション力の根幹にほかなりません(自分の反省をこめて・・・)。それを小さいうちから身をもって学ぶことが、英語を学ぶ事以上に大切なことであり、このような学校に通う一番のメリットではないかと思うのです。

娘はもともと人とコミュニケーションを図ることが大好きな性格なので、英語に拘わらず何でも楽しんで吸収しているようです。そして、親同士もオープンでざっくばらんな人が多いので、毎週誰かの家に親子で集まります。我が家としては、子供の環境としては考えていた以上に充実した2年間だったといえます。来週からまた新しい1年。しばらくはこのまま娘の成長を見守りたいと思います。

おしゃべり大好きな5歳の娘は最近ちょっとおもしろいことを言います。

今日は春の嵐で、夕方から大雨、強風に加えて雷まで鳴っていました。
雷さまにおへそをとられちゃうという話を思い出した娘は
必死でおへそを隠しながら、私にも「ママ、おへそ隠さないととられちゃうよ!」
と促してくれます。「ママも隠してるよ」と微笑ましい会話をしていると、
急に娘が真顔でいうのです。

「で、カミナリがおへそをとるのは何のため?」

「何のため・・・?」
思わず悩んでしまいました。

子供はよくなんで?なんで?というと思われています。

なんで?と聞いてくれたら「カミナリさまはおへそが好きだから!」
とかなんとか答えたかもしれません。
でも「それは何のため?」の答えにはちょっと・・・・。
娘は時々変化球を投げてきます。
もしかしたら、思考言語が日本的じゃないのかもしれません。

「カミナリはおへそを食べると元気になるから」と答えてみましたが・・・。

後で母にその話をすると
『「何のため?」は難題だね』とのこと。

ほんと、子供って面白いです。

とあるニュース記事から「ハーバードを出たのに主婦をしている女性」のブログ=harvardhomemaker.comに出会いました。

「Living & Loving the Domestic Life」というサブタイトルのとおり、心理学の専門を活かした(?)日々を楽しくする育児や生活の工夫がたくさん書かれていて、とても面白いのです。

書いているのはアクティブで様々な才能に恵まれた女性ですが、4人の子育ては、本当に大変なことでしょう。でも実用的なことばかりでなく、いかに子供をポジティブに導き、大切なことを忘れずに家族の暮らしを楽しむかが書かれています。

しかも、日本でよく見かけるハウスキーピング術とちがって、ある意味アバウトでポイントを押さえればOK!な姿勢に癒されます。片付けも、できない家族に不満がでるような方法ではなく、親子楽しく一緒に生活術ばかりか人間力までもが身につけられるような視点が多いのです。体裁の整った生活するためではなくて、大切なことに時間をかけるために無駄な手間暇は省きましょうということなのだと思います。

ハーバードを出ているのに「専業主婦」であることに対する異論の声に対しては、自分と家族にとって正しいと感じる道を選ぶことの重要性や、人生のステージに合わせて働き方や生き方を柔軟に考える自分を評価する姿勢に共感します。

私自身も、いったんは博士号を活かした仕事につきながら専業主婦になったことに対し、本当にそれで良いのかという思いが全くないわけではありませんが、主婦になった理由は彼女と同じものでした。でも人からその部分を突かれると、どうも申し訳ない気持ちになるのです。退職の際には周囲からは私の価値観が理解してもらえなかったり、昔の上司の方から再びお誘いをいただいた時は、辞退したあともしばらく夢に出てきましたし。。。。

このブログでは、彼女の歴史をすべてをポジティブに活かして考え、主婦業やママ業をも専門化するくらいの勢いに、とてもエネルギーをもらいます。知恵というものはどんな分野であっても活かすことができるのですよね。子供達にとっては、こんなママがいる家庭は最高でしょう。

英語のサイトですが、写真やグラフィックもアクティブで工夫されているので、タイトルと写真を見るだけでも楽しめます。もちろん、生き生きとした文は追いかけるのも楽しく、英語の勉強にも役立ちます!

世界的なバイオリン奏者の五嶋みどりさんが、昨年はミャンマーで子供達にバイオリンと触れ合うイベントを行ったこそうです。
http://www.gotomidori.com/japan/year_in_pics13.html

少女時代からの不屈のエピソードがアメリカの教科書にも載った天才バイオリニストとして有名な方ですが、自身のみどり教育財団などの活動を通して、世界の子供達に音楽を通じた教育を提供する活動でも有名です。

五嶋みどりさんのの音色はピュアなのに逞しくて哲学的で、私にとっては、学生時代に大学オケでバイオリンを始めたときからの憧れの方でした。特に低い音色の深さが好きで、とくに悩み事や考え事があるときに、みどりさんの音楽に耳を傾けることが多かったのです。

昨年私はメニエール病のせいで低い音の聴力が落ちてしまったのですが、五嶋みどりさんの生演奏を聞いていないことがとても心残りでした。アメリカに拠点をおき、演奏やチャリティ活動で世界を飛び回っているみどりさんは、日本での一般向けコンサートは多くはありません。昨年は、8月に岩手でのコンサートが唯一と知り、遠くはありましたが念願の生演奏を聞きに行くことができました。

とても小柄な体から溢れる優しくも力強い音楽に、久しぶりに心が動かされ、時がたつのを忘れて聞き入りました。私にとっての個人的な歴史が、彼女の音楽を聞いてきた日々の思い出と交わり、熱いものが込み上げたのでした。

音楽には本当に不思議な力があると思います。ミャンマーではまだ一般人がバイオリンのような西洋音楽や楽器と直接触れ合う機会は限られていますから、みどりさんの活動は、子供達に大きなインパクトを与えたことでしょう。

みどりさんがどれほど有名な演奏家であるのかを知らなくても、音楽のジャンルや国境を越えて、心のある生の音楽との出会いは、子供たちに感動の芽を開かせることになっただろうと思います。

そして、みどりさんのように、自分のもてる力を世界のために社会のために貢献している人を見ると、では自分には何ができるのだろうと考えさせられます。

そして、つい先日、五嶋みどりさんがソリストとして参加した「パウル・ヒンデミット作品集」が
第56回グラミー賞 最優秀クラシック・コンペンディアム賞を受賞しました!

歳を重ねるごとに人としての内面からの美しさが増してゆくみどりさんに、これからも目が離せません。

ミャンマーに行く人に、喜ばれるお土産について聞かれることがあります。

相手の方の年齢層にもよりますが、我が家でいつも用意するのは
日本の着物の模様がプリントされた生地(日暮里の生地屋さんで購入)と
○ルボンやミスター○トウなどの箱入りクッキーです。
値段にして100円前後ですが、おいしくてたくさん入っているし、
箱入りというのは便利です。
ミャンマー人はお茶の時間が多いし、お寺に寄進したり近隣の子供達に分けたりするので
量が多いのはとても喜ばれますよ。
日本のキャンディーやクッキーはミャンマーの高級スーパーなどで
と〜ってもお高い値段で売られていて驚きます。

反対に人気なかったものは、あんこ系のお菓子、過剰包装なクッキーなど。。。
服も廉価なものが現地で売っているし、好みも違うので難しいですね。
財布なども、サイズがぜんぜん違うのでNGです。ミャンマーでは札束が多くなるので
財布はカバンサイズだったりします。

以下、体験した成功例です:

●大人の男性向け
やはり電子機器が喜ばれます。
カメラやUSBメモリなど、日本のメーカーのものは人気ですし、
時計や電気炊飯器をリクエストされたこともありました。
薄毛対策の男性化粧品なども日本製が大人気です。

●家族向け
自動泡石けん(?)。センサーで泡石けんが出てくるのは便利だし、
日本っぽいハイテク感を生活にとりいれられるということで
魅力みたいです。値段も1500円くらいだったでしょうか。

●子供向け
子供には100均の文具セットや、多色サインペンのセットなんかも喜ばれます。
(36色をあげたら、3本ずつ近所の子供に配っていておどろきました。。。)
飴やチョコレートも王道です。

●女性向け
圧倒的に日本製の基礎化粧品の類が人気です。口紅のような色のあるものは、
向こうの人が好む派手な色が日本にないため難しいですが、
喜ばれるのは美白化粧水や洗顔石鹸、シャンプー、リンスなどです。
とくに日本語の書かれているもの。「潤い」とか「しっとり」とか、平仮名があると
中国製との見分けができて人気みたいです。

服は難しいですが、「最近日本で人気のユニクロよ」といってUVの白いカーディガンや
ストールなんかをあげたらとても喜ばれました。
仏教精神の強い人は黒を嫌がりますし、白なら何にでも合うのでいいみたいです。

●日本に来たミャンマー人がお土産に買っていた物
・百均の帽子を30個、
・鎌倉大仏のミニチュアを50個

帰国してからたくさんの人に配るのでしょうね・・・

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偶然テレビで知って以来、我が家のお気に入りになったイタリアの童謡があります。
イタリアでは子供の頃に誰もが聞いて育った有名な童謡らしいのですが、
なかなか奥深い歌詞と楽しいメロディーに、とてもイタリアらしさがあります。
定冠詞と不定冠詞の使い分けのあたりも、意味深いものがありますね。

うちの娘もあっという間に歌詞を覚えてしまい、毎日歌うようになりました。
歌の力、イタリア語の魅力を改めて感じてしまいました。




Ci vuole un fioreより抜粋

Gianni Rodari
作詞 parola Sergio Endrigo, Luis Enriquez Bacalov
作曲 musica Gianni Rodari
(1974年)

Per fare un tavolo ci vuole il legno
Per fare il legno ci vuole l'albero
Per fare l'albero ci vuole il seme
Per fare il seme ci vuole il frutto
Per fare il frutto ci vuole il fiore
Ci vuole un fiore, ci vuole un fiore
Per fare un tavolo ci vuole un fiore

花は必要

テーブルを作るためには 材木が必要
材木を作るには 木が必要
木のためには 種が必要
種のためには 実が必要
実のためには 花が必要
花は必要 花は必要
テーブルを作るためには 花が必要


ジャスミンというと、とてもアジアなイメージがあります。お茶や映画、アートから香水まで、アジアの文化とつながりの深い花と言えるでしょう。アウンサン・スー・チーさんのことを書いた『銃とジャスミン』という印象深いタイトルの本もありました。

私のジャスミンとの印象に残る出会いは、初めてミャンマーを訪れたときのものでした。寺院やマーケット、道端などあちこちでジャスミンの花に糸を通した花輪を売る人に遭遇します。ミャンマー語でザベーと呼ばれるこのジャスミンの花輪は、仏像に供えるほか、部屋や車の芳香剤として活躍しているのをよく見かけます。ホテルに戻ればロビーにジャスミンの香りが出迎えてくれるといった具合いです。初めてのミャンマーはまさにジャスミンの香りに満たされたものでした。

すっかり魅せられた私もジャスミンの花輪を買い、ホテルの部屋に飾って楽しむことにしたのですが…。主人曰く、ジャスミンは夜中になるとキョーレツな匂いを放つようになるから知らないよ、とのこと。

果たして、夜中に予想以上にキョーレツさを放ったジャスミンに辟易し、部屋の外に出すことになったのでした。

とはいえ、私にとっての最初のミャンマーは、ジャスミンの香りとは切り離せないものとなりました。後にはマーケットや発酵食品の匂いを知ることになるのですが…

アロマの王とも呼ばれるジャスミンは、夜に化学反応で強い匂いに変わるのを待って手摘みで花が採取されるそうです。そのため、そのエッセンシャルオイルは大変高価なものとなることでも知られます。

ミャンマーの特産品として、もっともっとジャスミンを活かす道がありそうな気がします。

幼児の言語習得過程ということを考えていて、日本語初級の難関のひとつに動詞の活用について思い出したことがあります。子供はいとも簡単に動詞の活用を使いこなせるようになってしまうのに、なぜ外国語としての日本語ではこんなに難しいのか。汽ループとか競哀襦璽廚箸、暗記する必要があるのって大変すぎます。そういえば、通常外国人に教える日本語では、動詞は「ます形」から教え始まりますが、子供は「て形」から覚えているようです。母親は頻繁に「ほら、見て」とか、「食べて」と子供に語りかけますよね。子供が発話するようになっても「これ、とって」とか「ママもやって」などなど・・・。これは、子供にとって言葉というものが他者に欲求を伝える必要から始まるからではないかと思います。

私が言語学を学んでいた頃、自分の子供の言語発達についてテープに録音してつぶさに調べた研究者の話を聞きました。そいいう研究もずいぶん蓄積されているだろうと思って調べてみると、これがなかなか難しいものがあるようです。単純に発話の順序や多さを比較することはできても、場面や状況、発話欲求の強さを勘案することが難しいからです。言葉は生き物ですから、そういった状況は重要です。1歳代に興味を覚えたことについて単発で発することばと、3歳頃に強烈な自我の目覚めによって強く相手に意思を伝えるために繰り返し言う言葉では、単純に同じ発達線上にのせて考えることはできないと思います。

個人的な印象では、言語発達の早い子と遅い子には、性格にも違いがあります。やはり自己表現の要求の強い子やリーダーシップのある子は言語の発達が早いです。一方、大人しく従順な性格の子は発話自体も少なめです。うちの娘は5歳ですが、クラスメイトを見渡すと、5歳の言語発達には既に大きな差があることがわかります。むしろ大きくなってからは必要な場面で必要なことだけを話すようになるので、自由気ままな幼稚園児では差が大きいのかもしれません。もしも言語学者だったら・・・、子供の観察は面白すぎるに違いありません。

大学で偶然ドイツ語の成績がよかった私は、実は最初ドイツ留学を考えていました。ところが、私の好きなドイツ人の作家や芸術家が口を揃えてイタリアへの憧れを書き残しているのをみて、当時大学院で建築史を学んでいた私もイタリアに行先を変えました。思い立ったのは秋、次の春にイタリア政府奨学生試験を受けることにしました。

6ヶ月で試験に受かるため、ベルリッツに通いながら猛勉強。研究室の大きなシンポジウムの手伝いや修士論文の作成と並行して勉強したため、その冬は睡眠時間2、3時間という日が続きました。結果、なんとか試験に受かり、8月からイタリアのミラノ工科大学に留学しました。

8月にイタリアに向かう飛行機のなかでは、隣に座ったイタリア人のおじさんと11時間会話が弾みましたし、現地でも生活で困ることは感じませんでしたから、使えるイタリア語が短時間で身に付いたのは確かなようでした。

なぜたった6ヶ月でイタリア語が覚えられたのか。それはもちろん、目的意識と集中して勉強したことに加えて、イタリア語と相性がよかったということもあるでしょう。でも、私がはっきり感じたのは、ベルリッツの教授法の良さです。たった一回のレッスンで、確実に話せることが増えるのを実感するのです。

ベルリッツメソッドは、幼児が言葉を覚えるように言語を教える直接法によるナチュラルメソッドの一つですが、長いこと日本的な語学学習の癖がついた私には目からウロコでした。

先生はほとんど何も教材も媒介語を使わず、口と簡単なメモ書きだけでレッスンが進行します。まずは幹となる文法と文型をリピートし、次はその文型を使って、生徒が先生に質問を投げなければなりません。最初は難しく大変な集中力を要しますが、先生はよくトレーニングされていて、順次枝葉を広げられるように指導してくれます。この間、先生ももちろん教科書も教案も見ません。最初から最後まで、お互いに目を見て口頭ですすめるのです。これは教師の側に大変な能力が要求されますが、生徒にとっては、教室を出たときから文法や文型が使いこなせるようになるほど効果大なのです。

このような教授法では、最近流行しているコーチングの訓練がとても効果的ではないかと思います。コーチングでは、本人が自然に習得する力を支援するのだそうてす。まさに幼児が自然に言葉を覚えるように語学を身につけるというアイディアと共通します。

また、どの順序でどの項目を叩き込むかということも重要です。まずその言語を使いこなす上で幹となる要素から教えるからです。イタリア語でいえば、基本的な語順と前置詞、イタリア語的な表現の要となるセンスのようなものから教え込んでいくのです。

では日本語に翻って考えてみると、日本語的なセンスを身につけるために必要な幹となる要素は何なのか・・・。ベルリッツでは日本語も開設しているので調べてみたのですが、まだ具体的な内容を入手することができませんでした。でも、ナチュラルメソッドの視点から、日本語の教え方について勉強してみることはとても意味があることではないかと思っています。

昨年来、日本語教育について勉強すればするほど、難しさや奥の深さを感じる日々。
今では、教材もたくさん出版されているし、ネット上にも経験豊かな日本語教師の方々が自らの教案や体験談をたくさん載せてくださっている。もちろん英語ほどではないかもしれないけれど、私が勉強してきた様々なマイナー言語と比べれば、その情報量の多さに驚かされます。日本語ネイティブなのに、知れば知るほど難しく感じる日本語教授法の数々・・・・

私は大学で言語学を学び、これまで様々な言語を様々な教授法で勉強したことがあります。その自分の経験と比べると、なんというか日本語の教え方の多くは、なんとも丁寧で細かく、とても日本人的という気がします。まるで、日本人の英語の勉強の仕方をそのまま日本語教育にあてはめた考え方。文字、単語、文法を基礎から積み上げ、機会練習を繰り返し・・・  文法の教授順序は綿密に研究されていて、混乱するからという理由で初級では触れてはいけない項目がいろいろとある・・・

実はうちの主人は日本語が大変流暢ですが、日本語学校で学んだ経験はありません。大学留学時に2ヶ月間、大学で留学生用の日本語コースを受けただけです。英語も上手なので、もともと語学のセンスはあるのだとは思います。

私が今まで勉強した言語は、途中で挫折を含めて10カ国語以上(英語、中国語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語イタリア語、トルコ語、フランス語、ペルシャ語、インドネシア語、ミャンマー語)あります。仕事で行かなければならないために急遽勉強して挫折したものもありますが、中国語とドイツ語は大学の外国語講座で集3コマ、文法、音声、会話などの標準的な授業を受けました。一番長いのはもちろん英語ですが、学校で学んだ頃はあまり身につかず、国際関係の仕事で使うようになってから上達し、今も毎日独学で勉強を続けています。一番短時間で効果があったのは、ベルリッツで習ったイタリア語でした。短時間で使いこなせるようになる指導法は、教師の腕がいいということもあるのですが、幼児が言葉を覚えるように言語を身につけるという直接法によるナチュラル・メソッドに分類されるベルリッツ・メソッドの実力を実感したことをよく覚えています。

翻って日本語教育の世界をみると、日本人が英語を学ぶように長時間の努力が必要でありながら、すぐに使いこなせるようになるのが難しいように感じます。これはなんだかもったいないことではないか。日本語ならではの問題なのか。それとも工夫の余地はあるのか。。。このモヤモヤを乗り越えるため、ますます日本語教育方法の探求に勤しみたいと思います。


おととしタリバンによる銃撃で重症を追って以降も、歩みを止めることなく女性の教育の重要性を訴え続けるパキスタン出身のマララさん。国連でのスピーチは記憶に新しく、ノーベル平和賞の期待も高いなど、世界から注目を集めました。教育や自由という、とても基本的な権利が、まだ大きな課題になっている世界があることを改めて気づかされます。

マララさんの話をきくと、いつもミャンマーの子供達を思い出してしまいます。お茶屋の丁稚奉公や家政婦などとして今でも児童労働が当たり前に行われています。ミャンマーの場合は、男尊女卑ではありませんが、貧しさや、宗教心の強すぎるお父さんが出家してしまったために子供達が働かなくてはならなくなったりすることがよくあるのです。義務教育制度がなく、小学生くらいの子供達が日常的に昼間から働いでいるということ。普通のミャンマー人は慣れすぎていてその不平等さに気がつかないことに私はかねてから疑問を感じていました。ミャンマーの知人友人にはいつも言いますが、言われて初めて気づくといった感じです。

でも、マララさんのすごいところは、あのような社会で生まれ育ちながら、高い意識をもち、声をあげたということです。私も仕事でアフガニスタンやパキスタンを訪れたことがあります。道を歩く女性を一人も見かけないような世界で、私が歩くと女がいると物珍しそうに声をかけられ、無視すると女のくせに生意気だと石を投げられました。一瞬怒った顔で振り向こうとした私に対して、男性同僚達はここで揉めて目立たないように私を諭しました。あの環境で女性として生まれることがどんなことか、想像もできません。

でもそのような環境から、立ち上がった少女がいるということが奇跡のように感じます。文化や環境にかかわらず、人間の権利や平等について気付き、変化させようと行動できる人がいるということなのです。それは人間が根源的にもつ能力であり、困難な状況にあっても抑圧しつくすことはできない本能だからなのでしょうか。

世界にはまだ多くの国で子供、とくに女性が教育を受ける権利さえないこと、人生の選択の自由がないこととは次元の異なる問題かもしれませんが、女性と教育、女性と生き方ということについては、先進国とて同じ根源的課題を抱えていると感じます。

マララさんが言っていました。学校に行けないと言われ、女性は家で家事や育児だけをやっていろと言われたら、そんな明日は想像できないと。実は、大学院で博士号を取り、一旦は専門職に就きながら、現在主婦をしている私にはとても痛い言葉でした。先進国で高い教育を受けた女性であっても、仕事一筋でないかぎり、女性が家事と育児に多大なエネルギーを割かねばならないことは目下の話題です。まあ、生き方や価値観は個人それぞれですが、改めて、現状に甘んじていてはいけないと思い立ちました。

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