MYITTAの工房

日々のくらしや手作り、ときどきミャンマー

最近の若者は海外志向が弱まっている、というのはコロナ以前から言われていたけれど、コロナ禍で加速しているようだ。

オンラインに慣れてしまったし、今はSNSでリアルタイムで世界中の人と感覚を共有できてしまう。ほんとにすごい時代だ。こんな時代に、若者を留学させようとするのは難しいけれど、今そういう仕事をしている。

ふと、自分がイタリアに留学した頃のことを思い出す。あの頃、インターネットはまだハシリで、ネット情報は偏りが多くて信頼できるかわからないと言われた時代。実家とのやりとりにはFAXを使っていた。現地に行かないと本も資料も信頼できる情報がなかった。

人づての情報も間違いが多くて、海外での失敗は山ほどあったし、露骨ではない差別も日々体感した。どちらかと言うと大変なことのほうが多かったし、無駄も多かったけれど、あの時代に間違いなく精神的に自立し、成長できたと今になって一段と思う。相対的に、客観的に物事を理解する力が身に付いた。

そういう体感というか、体得というものは、建築の内部に入って初めて建築を体験できることとよく似ている。

足を踏み入れて天井を見上げ、いや見上げなくてもわかる空間に囲まれて感じる感覚。それは美しい写真をたくさん見てわかるのとは全く違う。細部のことは忘れても、その時の自分と空間の位置関係から感じた建築の特徴や、建物が発する物体の質感は忘れない。

世界遺産や文化財といわれる建造物はもちろん、その忘れがたいオーラが半端ないし、名もない建物であっても、例えば学校の廊下や体育館、毎日通った駅舎や一時期暮らした家のように、そこに自分が存在したから思い起こせる感覚というものがある。

だから、やっぱり現地に行ってみるべきなのだと思う。

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最近気づいたらショパン、そしてアルゲリッチにはまっています。

昨年のコロナ禍以来、まずYouTube で久々にピアノ演奏をよく聴くようになり、次いで一年延期されてどうなるのかと見守った5年に一度のショパンコンクールのアーカイブを聴き比べ、ショパンの曲を聴いるうちにアルゲリッチに行き着いた、という流れ。

とくにこのところ、ショパンのピアノコンチェルトop11にハマってしまい、仕事の合間の昼休みも含めて朝からいろんな演奏を聴いて頭の中はピアノの音でいっぱいになっています。

この曲は憂いを帯びた曲調も素敵ですが、アルゲリッチの流れるような円熟みを帯びた演奏はやはり比類なく圧巻です。

しかし一番すごいのは65年のショパンコンクール優勝時の演奏!若き日のアルゲリッチの演奏は、一つ一つの音が人懐こい妖精のようで、生き生きとしています。

脳細胞が若返るような刺激がもらえるアルゲリッチの演奏の効果は薬以上!

アルゲリッチを再発見できたことは、コロナ禍の貴重な収穫だったかも、と思わずにいられません。




週末に大バッシングが起きていた大坂なおみ野会見拒否のニュースは、大会棄権と鬱の告白という急展開に着地、世界中にさまざまな後味の悪さを残す結果となっている。

正直、会見拒否で罰金もどうかと思っていたが、四大大会出場不可という脅しはやり過ぎだと感じていた。

今どき、さまざまな意見表明のやり方があるのだし、専門は話すことではないのだし。

今日、緊張して取り組んだ仕事であまり上手くいかなかったけれど、珍しくあまり落ち込みも反省もしすぎないで済んでいる。

本番前の昼に光浦靖子のエッセイを読み、疲れて帰宅後は「今日も厄日です」を読んで、いい感じで力が抜けたからだと思う。

若い頃は、真面目すぎたからか、よく思われたかったからか、何事も自分に厳しく、高めの基準を標準としてしまう癖があった。もちろん今でも若干そうだが、歳を経て、無駄に頑張っても自分が思うほどの意味も成果もないことがわかってきた。それより、無理なくバランスのとれた心の在り方を優先するほうが、何倍も良いのではないか。だって、どうせ誰も気にしていないのだから。

日本の狭くて肩にはまった教育を受けてくると、なかなかそれに気づかない。

気づいて自分らしくマイペースになることと、オバさんが完成に近づくこととは深い関係がありそうだ。

だから、なんだかんだ言って、あの若さであれだけの結果を残し、メンタルヘルスについて告発したり、社会に問題提起できる大坂なおみは、やっぱりすごいと思う。

私もオバサンになる前に、自分の心と向き合うべきだった!

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連休にカズオイシグロの最新作「クララとお日さま」を読みました。AIを搭載したロボットのクララによる優しい語り口で、厚さの割に思いの外あっという間に読了してしまいましたが、久しぶりに、不思議な読後感がいつまでも続く作品でした。

美しい子供とか、お日さまへの崇拝や友情についての純粋さへの賞賛のコメントが多いようですが、私はそういった眩しい面のほかにも、文学だからこその面白さや静かな警鐘のようなものも感じたので、備忘録がてら書いています。

まず、全編がロボットのクララによる観察の語りですが、この人間への洞察と何か観察者独特の偏った視点が味を出す手法は初めての感覚ではない…前にもどこかで…と思い返したら、「吾輩は猫である」でした。吾輩もクララも、独自の感性で、よく家族を観察し、理解しようとしています。その狭い世界の中に、人間の愛や愚かさがよく炙り出されているのです。

この作品は、文字だからこそロボットの観察力の表現に成功しているという面白い面もあると思います。著者は、翻訳者に対して、生まれたてのAIならではのクララ語をそれらしく訳出することを求めたそうです。全体的にあらゆる場面で説明がシンプルで、汲むべき行間が多いと感じるのですが、それが想像力を掻き立てているところでもあるでしょう。

例えば、最後の場面で、自由に動かせるのが頭だけ、視線だけとなったクララが、懐かしい店長さんと再会する場面。大変美しい語り口のままでしたが、もしこの場面を映画にしたらどうなるでしょう。残酷なものがたくさん写りこみ、見る者はそちらからの情報が多すぎて、また、人間の見慣れた先入観が情報を補いすぎて、間違いなくクララの視点を失うでしょう。

歳月がたってから、廃品置き場を訪ね歩いていた店長さんは、どんな身なりでどんな目的だったのか。おそらく風貌や景色が見えることで、クララにとっての店長さんとの関係に、別の印象がもたらされることでしょう。

他の場面でも、夕日に包まれた小屋の場面のように情景描写が際立つ場面がある一方で、敢えて物足りないくらいシンプルな描写にとどめている場面が多いと感じました。

文学だからこそ成し得たロボット目線による対象の絞り込みや世界観があるのだと思います。

また、クララの太陽盲信について。純粋だとか崇拝と理解する声が多いようですが、私はこれには、AIの暴走を仄めかしたのではないかと感じています。確かに、愛ゆえの一途さを示しているのですが、見方を変えれば執拗な目標の破壊に他なりません。頑なに信じたことを突き進むのは、人間なら思い込みで済むかもしれませんが、AIは最終目標を設定してしまったら、善悪の判断の余地は無いわけです。

友情もどうでしょうか。クララ達AIロボットは、子供の良き友達となることを期待されて造られ、購入され、消費されています。良い友達になることが目標なので、その目標に向かってクララはいつも努力するのです。そう造られているのです。子供が大きくなり、或いは目標が達成されて用済みになったとき、読んでいる私達人間は悲しいと感じますが、クララがそう感じたとはどこにも書かれていません。おそらくやはり、感じることはなく、理解できてしまうのでしょう。登場人物も当たり前のようにそれを受け入れている時代のように描かれています。

文学としては、それが一層現代の読者の感情を揺さぶることになります。

全体を通して、AIと人間との友情の可能性を賛美したり、クララを美しい子供として描いたという印象がありません。むしろ、今後関わりを深めざるを得ないAIに対して、ポジティブに捉えることもネガティブに捉えることもなく、一定のドライな距離感を感じるのです。

AIという鏡を通して、友情や家族愛、孤独や傲慢といった、人間の欲望や心の波を浮き立たせるとともに、AIそのものが負う、人間とは異なる性を敢えて強調しようとしているように思います。

それにしても、いつまでも不思議な読後感が続くのは何故なのか…。


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今年のバラの季節は、深い花色に釘付けになり、オデュッセイア、モン・プレジールを庭にお迎えしました。


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色と香りの素晴らしいこと。
ですが、バラの色を目で見たままに写真に撮るのが難しい。

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寝室に飾ると、柔らかなダマスク香が漂ってきて、最高の癒しです。


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庭のライラックが満開になりました。
室内に飾ると、爽やかかつ甘い香りが家中にひろがっています。


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3月19日に蕾が膨らんできたことを喜んで撮った写真(↓)と比べると、三週間位で季節が大きく進んだことを感じます。


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↑3月19日


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↑4月10日


このライラックは、4年くらい前に先代の木がカミキリムシのせいで枯れてしまい、植え直した苗木です。去年はあまり花が多くなかった記憶があるので、やっと充実した木になってきたようです。

先代のライラックの花は、色も香りも濃くてとても気に入っていたのですが、だんだん花が咲かなくなり、やがて元気がなくなり、根本付近の幹に直径8mmから10mmくらいの穴が複数開いているのを見つけたときはショックでした。そういえばその前年あたりに立派な成虫を見かけたことがあったのですが、まさか実害が出るとはピンときていなかったのでした。

実は同じ年にオリーブの木も穴だらけになって枯れてしまったので、知らないうちにかなりの数のカミキリムシの幼虫がいたようです。

二代目のライラックの花は色も香りも淡いと思っていたら、室内に飾るとかなりの香りの存在感でした。
葉の色も明るい黄緑で、癒されます。

ミャンマーのクーデターからもうすぐ2ヵ月。

状況はあっという間に悪化し、過去何年もつづいた穏やかな発展の兆しがあっという間に崩れ去りました。

しばらくの間、民主化に舵をきったかに見えていたのは何だったのか。

私たち家族がヤンゴンに住んだ5、6年前は、希望に満ちすぎてインフレが酷かったけれど、一番平和な時期でした。

我が家の庭ではライラックの蕾が膨らみ、球根が花をつけ始め、これから迎える春本番に向けて助走をつけてるよう。

ミャンマーの春はどこに。

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イタリアはミラノに住んでいた頃、よく中国人と間違えられました。いえ、正確にはイタリアだけでなく、他の国でもあまり日本人と認識されなかったような記憶があり、いつも不思議に思っていたのです。
通りがかりの同胞と間違えられて中国語呼びかけられたことも、一度や二度ではありませんでした。

顔や丸くて目も丸いからなのか、服装が日本人らしく(きっちり)していないという見かけの問題からなのか。はたまた、一人で行動していることが多く、遠慮がちとは程遠い言動からだったのか・・・。
当時、海外では日本人はお金持ちの旅行客のイメージがあったので、日本人と思われないことは、スリに逢いにくいとか、値段を吹っ掛けられないなどのメリットもありました。

それから何年も経ってから、ミャンマー人と結婚し、ミャンマーに旅をしたり住んだりするようになると、そこでも私は中国人かミャンマー人と間違えられることが多くなりました。しゃべらなければ日本人だと思われないよ、とありがたいのかどうかよくわからないことを言われることさえありました。

外国人料金設定の多いミャンマーですが、中国系の住人は多いので、中国人かミャンマー人に見られると、どこに行っても外国人料金を課されないというメリットがありました。

だから長い間、そうか、私は中国人っぽく見えてラッキー♪くらいに思っていたのです。

ところが、先日、ヤマザキマリさんの本を読んでいて気づいたことがありました。

20年くらい前から北イタリアには中国人がたくさん入ってきていて、多くの企業が表面的には見えなくとも社長は中国人、という状況が静かに進行していたらしいのです。気づくと、イタリア行きの飛行機のファーストクラスはほとんど中国人だったそうで、イタリアと中国の関係は、人材も経済的にも切り離せないものになっていたとのこと。新型コロナウィルスが早くからイタリアで感染拡大したのも、そういった人の流れと無縁ではないだろうというのです。
20年前といえば、私がイタリアに留学していたころです。

そして、中国人の進出といえば、ミャンマーではとっくの昔から有名です。ミャンマーでは町中に、目に見えて中国が根付いています。

つまり、中国人の人口が多いのです。だから私が中国人に見られたのは、その辺を歩いてるビルマ族っぽくない人は、たいがい中国人だったからなのでしょう。

イタリアで中国人に見られたのも、中国人からよく話しかけられたのも、私のルックスのどこが中国人っぽいというより、アジア人が目立つ環境で、多数派のアジア人といえば中国人だったということです。

長年のナゾが解けました。そして改めて中国の圧倒的な存在感にも身をもって気づかされたのでした。

ミャンマー軍の突然のクーデター。
日本や世界の国々が多少の制裁に舵を切ったところで、中国が黙認している限り、何の効果もないのでしょう。



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ほぼ家で過ごすことになったコロナ禍の年末年始。
時間ができたついでに、キッチンの収納や道具を見直してみました。今回新たにキッチンに導入して感動したモノベスト3です。

その1は、なんといっても冷蔵庫!
これまでの冷蔵庫は娘が産まれる前に買ったスリムでシンプルなタイプで、はや13、4年モノだったのですが、、、。昨年、冷凍庫の奥の冷気吹き出し口に氷山ができているのを発見し、夏を越えられるか心配つつ様子見していました。
働く母としては、かねてより冷凍をもっと活用したかったため、フリーザーを別途買うかどうか迷って検討の結果、冷凍庫の大きい冷蔵庫に買い替えました。

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シャープのメガフリーザー。
これが大正解で、合計170リットルという冷凍室は見た目以上の驚異的な収納量!コストコや業務スーパー、大量に作り置きした食材など、どんどん入ります。
ほんとにありがたや。

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キッチン革命その2は、魚焼きグリルで使えるグリルプレート。魚焼きグリルは、魚を焼くばかりでなく、活用すればフライパンより絶対美味しくなることに気付いていたものの、洗うのが面倒臭くて、使いこなせていませんでした。

家時間が増えた今期、やっぱり美味しく簡単にグリル調理がしたいと思い立ち、IHの魚焼きグリルで使用可能なニトリのグリルプレートを導入。肉も魚も野菜も期待以上に美味しくて、そして調理も後片付けも簡単!一日に何回もグリルを使うようになりました。

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ニトリのサイトからの図ですが、サイズも絶妙だし、軽くて本当に使いやすいのです。もっと早く使っていれば良かった。


そして、その3はシンクまわり。広く使えるよう、思い切って生ゴミ三角コーナーを廃止し、シンクの内側の左1/4に渡して設置していた水切りカゴを、シンクの外に置く大容量のものに換えました。

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燕三条のステンレス製伸縮水切り。

シンクの奥行きよりも少し大きい奥行き57センチで、普段は幅はスリム、広げて大容量に変えることも可能です。縁は断面が四角い細いステンレスで、シンプルでムダのないデザイン。しかも、しっかりしていて造りが良い!!たかが水切り、されど毎日目にして使うもの。惚れ惚れする水回りとなりました!

こうして今年の巣ごもり年末年始は、キッチンまわりが無事アップデートました。



年賀状、毎年面倒くさくてたまらなかったのですが、今年のお正月はコロナで移動を控える分、かわりに年賀状は丁寧に作ろうという気持ちになり、久しぶりに版画をつくることにしました。 

若い頃、趣味で落款を彫ったり、ハンコ屋さんでバイトしていた頃は、毎年年賀状は版画を作った時期がありました。しかしその後は長らくパソコンでデザインしていました。

久々にやる気になったものの、平日は仕事、週末もやることが溜まっていてなかなか時間がないので、無理せず木版はあきらめ、ゴム版にすることに。

デザインはわりとすぐに決まったので、続いて材料集め。

ゴム版は前にストックしてあったものが見つかったものの、バレンやローラーはどこに仕舞い込んだか、全く記憶になく。

季節商品だから買い物ついでにその辺で買おうと気楽に考えていたら、これが意外とその辺には売っていなくてびっくりでした。私が子供の頃は学校の図工の授業でも使ったりするので、あちこちで売っていたものでしたが。

結局文具専門店で、最後の1つとなったバレンを見つけ、ローラーは棚の上の在庫コーナーにはあるのを見つけ、インク代用のポスターカラーの小瓶とあわせてなんとか材料をゲット。

久しぶりに彫ってみたら、これが結構楽しくて、一気に仕上がりました。しかし集中しすぎて肩首が痛い…。印刷は明日!


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コロナ禍の大変な一年でしたが、我が家では約一名、うちのモフさんだけ、明らかに特をしました。
パパの在宅勤務が増えて、散歩に長く行けたり、かまってもらえる時間が増えたからです。

おかげで最近はワガママになり、撫でろとか、おやつとか、散歩中もこっちは行きたくないとか、あっちに行きたいとか、自己主張が激しくなりました。

話せないけれど、すごいコミュニケーション力。

夕飯後にパパが「ティッカニ タヤー(百回撫で撫で)」と名付けた時間があるので、おそらくこれが彼女が久々に覚えたミャンマー語でしょう。

今年で7歳ですが、我が家に来た頃はまだ4、5ヶ月くらい。

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まだあどけない子でした。保護団体から引き取ってすぐ、初めての我が家でスヤスヤと眠ったのが懐かしい!

それが今はすっかりいいおばさんに。

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でも、撫で撫でタイムには、この顔に。


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秋の剪定が適当だったからか、11月が暖かかったからか、まだチラホラとバラが咲いています。

先週あたりからだいぶ寒くなったので、寂しい庭に色があるのが嬉しい。

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ブルーフォーユーの実はオレンジ色に色付いていました。
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今年もはや12月。
コロナに始まりコロナに終わる未曾有の一年です。

ただ、新型コロナ問題を別にすれば、個人的に今年一番大きな出来事は久方ぶりに正社員になったことでした。

出産を機に常勤職をやめてから、かれこれ12 年。一旦主婦になり、ときどき非常勤やボランティアで働き、ミャンマー生活を経て、帰国後に契約職員などを再開し、40代半ば過ぎにして12年ぶりに常勤になりました。

子供が小さい頃は、良いママ友に恵まれて楽しく過ごしていて、またいつか、子供が小学生になったら何らかの形で働きたいと思ってはいましたが、漠然としたものでした。働くにしても、得意なデザイン関係か、日本語講師がらみで何かできれば、というくらいだったのです。

そんな呑気な感覚が変わったのは、やはりミャンマー生活以降でした。

当時アメリカの企業に勤めていた夫が、希望して異動したミャンマー転勤で、待遇面でも悪くない条件ではありました。

しかし、外国人の夫が外国企業へ海外転勤するのに伴うとなると、様々な日本の法律や社会保障制度から切り離されていきます。自分自身は任意で国保には加入しておきましたが、紐の切れた凧のような気分でした。

日々の暮らしでは、経済的にも生活面も全て夫に頼るしかありません。好きだった車の運転ができず、公共交通機関も使える状況にない中、移動も買い物も人に依存する毎日です。

日本語を教えたり、就職指導をするようになってからは、能力と気力さえあれば、一定程度の仕事や収入にありつけるという日本の当たり前の素晴らしさにも改めて気付かされました。有休休暇もあるし、何しろ急にクビにもなりません。失業した場合でも、失業保険だってあります。納めるものを納めれば、減るとはいえ、将来年金だって貰えるのです。

そして医療保険!デング熱にかかってしまった時は、輸血ができないミャンマーで、同じ時期にデング熱にかかった日本人がチャーター機でバンコクの病院に運ばれたと聞いて、心底心配になりました。私の場合は輸血が必要なほど重症化しなかったのは不幸中の幸いでしたが。

日本的な生き方や働き方を嫌ってミャンマーに住むことになった日本人にも時々出会いましたが、それはむしろ、私自身とのベクトルの違いを自覚させられる機会でもありました。

社会的にも、解決しようのない様々な問題を経験するにつれ、以前は好きになれなかった日本人の生真面目さや細かさ、日本の法律や制度がいかに優れたものであったかに思い至ったのです。

それはかつてイタリアに留学した時や、様々な途上国でのフィールドワークをしていた頃に感じていたものとは違うスケールの感覚で、やはり子育てしながら生活者目線で社会を見たからこその実感だったのだと思います。

日本も格差社会と言われるようになってきましたが、ミャンマーはじめ、様々な国と比較すれば、まだまだチャンスに恵まれた国。地球上では、どの国に生まれるかによって、歴然とした差があるのです。

日本に帰ることを決めた時、まずは日本人として日本社会の枠組みの中にコミットし、自立したいと思い、仕事を探しました。

既に40代に突入していたので、あまり好きではなかった英語も無理矢理売りにして探した結果、幸い先に仕事を決めてから帰国することができました。フルタイムではありませんでしたが、時々ニュースにも登場するような著名な方の秘書を2年ほど務め、その後また別のご縁があり、教育研究機関で契約職員となり、2年目。

内部登用試験を勧められ、今年から常勤となりました。年齢を考えるとありがたいことですが、海外経験や英語力が役に立ったので、ミャンマー生活もまあ活かされたといえます。

帰国後の私を見て、かつての主婦時代のママ友から、どうしてそんなに仕事するのと聞かれたことがあります。その時は、逆に聞かれたことに驚いてしまいましたが、確かに子育てしながら主婦をしていた頃は、フルタイムで働くことはハードルが高いという雰囲気があったのです。

しかし、人生100年時代がクローズアップされ、今ではかつての主婦友も、ほとんどフルタイムで仕事をしています。

今年は新型コロナで辛い社会状況でしたが、だからこそ、日本で仕事ができることはありがたいと思う一年でした。

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オンライン英会話で気の合う同世代の講師を見つけて以来、疲れて帰った日ほど英会話レッスンの予約を入れたくなるようになりました。

アイスブレイクがてら話し始めると、今日はこんなことがあった、こんなミスをしてしまったという仕事の話から、夫や子供の話まで、日々の出来事や感想をしゃべりまくり、気分が発散されるのです。もちろん進めるべき教材もあるのですが、脱線しておしゃべりになることも多く、英語をしゃべっているのか笑っているのかわからないくらい楽しくて、30分があっという間です。

夫も子供も、笑ってばかりいて、どんなレッスンをしているのかと興味深々。最初はまじめにレッスンしているのかと疑われていましたが、最近では呆れたり羨ましがられたりしています。

ときどきは別の講師のレッスンも受けながら、教え方や気が合うトレーナーを探し、3人ほどお気に入りのトレーナーができました。でもやはり、とてーも疲れている日は、一番話が合ういつもの方のレッスン。もちろん仕事上の英語のことを相談することもできます。

同僚でもなく、ママ友でもない、ある意味、趣味の友達のようでもあり、おしゃべりすることで気力をチャージ。ついでに英語を話す機会が増えて、一石二鳥。順番が逆のような気もするけれど・・・。


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季節外れの暖かい11月が続いたと思ったら、今週はだいぶひんやりしてきました。

植えたばかりのレモンの苗木に覆いを被せて冬支度。


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小さな野菜スペースにも覆いをかけて虫除け。

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夜、寝室に入ると、床に何やら黒いものが粉々になっていてギョッとしてしまいました。

よく見ると、それは去年のクリスマスリースからもぎとられた松ぼっくり。

やられた…!と思ってもあとのまつり。

季節もののグッズをしまっていたクローゼットが少し空いていたので、そこから取り出して噛んで遊んだのでしょう。


我が家ではワンちゃんは室内にいますが、毛が長く、しかも抜け毛が多いタイプなので、寝室には侵入禁止にしています。

とはいえ、柵をもうけているわけではないので、少しでも扉が開いていると、人の目がない時はこっそり開けて侵入しているのです。

たいがい痕跡が残っているので、「あー入ってたでしょ!」とバレて怒られるのですが。でも本人は、人の目のないところで、こっそり禁止区域に侵入するスリルがたまらないらしく、どこか開いていないかと家中をパトロール。あちこちにその痕跡が残されていたり、出てくるところを目撃されたり。

今日も、また私の寝室に松ぼっくりの残骸が散乱していました。クローゼットはしっかり閉まっていましたが、前に略奪されたときの一部がどこかに落ちていたのでしょう。

本人はもう廊下の自分の毛布の上で寝ていますが、残骸を見て、こっそり侵入して松ぼっくりで遊んでいる姿を想像し、親バカにもかわいいなと思ってほっこりしてしまうのでした。


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手芸店でも鬼滅グッズブームでした。
鬼滅デザインの畳の縁(?)布でペンケースを作成。
内布はそれぞれワントーン鮮やかな緑とピンク色の布で。


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ほんとに流行ってますね、この模様も。






英語の勉強というと、TOEICや英検に最短○ヶ月で合格する方法!といった、効率良く成果を出す方法についての記事が多いようです。

振り返ってみると、私の独学は亀のようにゆっくりでした。たまにTOEICを受けていたものの、主婦をしながらマイペースな勉強の成果が今どのくらいかを知る目的で、何点とるぞという強い志もなかったのです。

そんなことなので、初めてTOEICを受けて740点だったときから、900点になるまでに7年くらいかかりました。とくに、800点代半ばから900に届くまでが長かったように思います。

ガシガシ試験勉強したくなかったため、多読と多聴で慣れようと思い、ニュースはなるべくBBCかCNNを聴き、本を何冊か読みました。いくら勉強とはいえ、面白くないものを読む苦行はできなかったのです。

主人は英語の本しか読めないため、自然科学系の本も家にありますが、元々文系の私にはあまり続きませんでした。

なかでも面白く読めたのは次の3冊です。

1. Sheryl Sandberg, Lean in: Women, Work, and the Will to Lead



この方の本は、自分の体験をおしゃべりするように書かれているように感じ、さほど難しくなくどんどん読み進められます。仕事と育児をしている女性なら共感しながら読めると思います。


2. Frances Hodgson Burnett, The Secret Garden.



言わずと知れた名作です。庭好きな人が大人になってから読むと、さらにまた味わいがあると思います。


3. Michelle Obama, Becoming.



日本語版の出版前に、待ちきれずに購入しました。オーディブル版も購入し、毎晩寝る前に聴いていましたが、本人の声なので聞きやすく、よく眠れます。一人の女性を形作った幼少期から、ファーストレディーを全うするまでの半生を、悩みも赤裸々に綴られていて、読み応えがあります。




本を読むときは、知らない単語があってもいちいち調べず、文脈で理解することが多いです。共感するからこそ、一つ一つの単語がもつ意味のニュアンスをかんじとることができます。




英語の勉強を続けていると、急に英語力が伸びたなと自分で実感する時があります。
とくに、心から何かを伝えたいと思った時に、自然に言葉が出てくるように思います。

私の場合、今までで一番英語で話すのが上達したと感じた瞬間は、義理の姉に主人の文句を言ったときでした。

その日は、ニューヨークに住むミャンマー人の義理の姉親子が来日し、我が家に泊まりに来ていたのですが、普段は家事をろくに手伝わないで料理の文句を言ったりする夫が、姉の前だとかいがいしく家事を手伝っているふりをしたのです。

いつもはやらない癖に・・・。と私。義理の姉は私の言葉に鋭く反応し、そうでしょう、想像できるわ、と共感してくれたのでした。そのとたん、私の日ごろの不満が噴出し、止まらなくなってしまったのです。驚いたのは、とめどなく英語で文句が流れ出る自分に気づいた時です。言いたいことが優先で、文法なんて二の次だったのです。

海外旅行から帰ってきて日本の空港に降り立つと、急にアナウンスがすっと耳に入ってきて驚く(日本語なので)という経験がありますが、それと同じような驚きでした。そのくらい、自然に言葉が、いえ文句が流れ出てきたのです。

感情は言葉や文法を超えるものなのだと思います。

この経験を、私はミャンマーで日本語を教えるときにも使いました。上級クラスで、ディスカッションや発表をさせてみても、定型表現や優等生チックな答えばかりで、通常はなかなか盛り上がらないものです。特定の生徒以外は、話せるのに話さないこともよくあります。

そこで、ある自由セッションの時間に「これまでの学校生活で一番嫌だったことは何ですか」と聞いてみたのです。ミャンマー人は目上の人や先生に対してとても礼儀正しくするよう教育されているので、いまいち本音が見えないと日ごろ感じていたので、本音を聞いてみたいという気持ちもありました。

すると、一人がミャンマーの受験戦争の厳しさについて語ってくれました。親戚のライバル心の強さ、失敗したと笑われて悔しかったことなど、涙ながらに話してくれたのです。

するとほかの生徒も、ミャンマーの学校は絶対に先生に反対意見を言ってはいけない、なんでも「はい」と言わなければいけない教育が嫌だと言い、次々に生徒たちが話し始めたのです。

文句を言ってはいけないと教育されているので、日ごろ不満に感じていることを教室でシェアするのは初めてで面白かったと言う生徒もいて、時間がたりないくらい盛り上がりました。前にも後にも、あんなに生き生きとした生徒の顔を見たのは初めてというくらいでした。

心からあふれる思いを表現するのは言葉を学ぶための大きなモチベーションになります。いつも不満を言うのは教育上良くないかもしれませんが、たまには言いたいことを言って「外国語」という檻から自分を解放するのも悪くないと思います。

最近の自分の英語学習について振り返ると、オンラインの英会話の気の合う講師とおばちゃんトークを繰り広げると、一日の疲れがとれて癒されます。残業が続いたり、疲れている日ほどレッスン予約を入れたくなるのです。これは昔の日本の飲みニュケーションと同じ効果なのかもしれません。


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私は長年主婦だったこともあり、英語学習は独学でしたが、仕事で英語を使う機会が増えてから、アウトプットの機会を増やしたくなり、オンライン英会話を始めました。

最初は主婦からの再就職の武器になれば、と読む聞くの独学ばかりでしたが、Toeicで900点になったあたりで、話す書くが苦手でバランスが悪い自覚があったのです。リスニングは、毎日CNNを見ているのでかなり慣れてきましたが、やはり日常的なアウトプットの機会が圧倒的に足りないのです。

今は低価格のオンライン英会話がたくさんあるので、いくつかの会社の体験レッスンを試し、結局Bizmatesというビジネス英語に特化したオンライン英語学習に決めました。 

理由は、基本的なメソッドや教材がしっかりしていて、講師もしっかりトレーニングされた人が多いからです。

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そしてこの会社、元々ベルリッツにいた方たちが始めだのだそうです。ベルリッツといえば、昔イタリア語でお世話になったときに、そのメソッドの素晴らしさに感動したものでした。

Bizmatesは昨今のオンライン英会話の中では若干高めですが、ベルリッツの質とお値段も高さを知っていれば、十分納得です。

実際、一回のレッスン中にできるようになる目標軸がしっかりしていて、嫌でも自分で表現するしかないように構築されているのです。

逆に、他の安いオンラインレッスンは、いかにも体験だけ良くトレーニングされた講師が対応…ならまだ良いほうで、イマイチやる気が感じられない講師がふつうに現れて、反対に驚かされた会社もありました。

これまで、途中、一時休止を挟みつつ、かれこれトータルで1 年ほど続けているところです。

結果は、思ったことをかなり自然に口を突いて出るようになってきたというところでしょうか。なかなか真面目に毎日とはいきませんが、疲れきっていない日は、夕食後にゴロゴロしてしまう時間にレッスンを入れるようにしています。

慣れてくると、気の合う講師も見つかり、なかなか楽しいものです。


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